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1597 名前: Syami@office 投稿日: 2005/07/05(火) 16:41:12
(前略)

>普通の杖と金剛杖って何が違うんですか?

この場合の「普通の杖」がナニを指すかが問題だけど、所謂「杖道」で使うものならば長さが四尺前後、太さは25から27mmの丸棒となっています。
鹿取神道流から神道夢想流、更には合気道でも使用します。ちなみに同様のものを中国では「鞭竿(竹冠ではなく木偏だけど)」と呼びます。

金剛杖は長さ太さは同じようなものですが、山岳信仰の山伏やお遍路さんが使用していますね。
お遍路さんの場合は断面が四角です。そしてこの四面はそれぞれ「発心門・修行門・菩提門・涅槃門」という四つの門を表わしているそうです。
杖の先端に塔を彫りこんであり、行き倒れた場合はそのまま「卒塔婆」にもなると言う優れものです。(ちなみに「卒塔婆」とはサンスクリット語の「ストゥパ(塔)」を音写したものネ)」
先端には「五大(「地水火風空(ア・ビ・ラ・ウン・ケン」)」の種字に続いて「南無大師遍照金剛同行二人」と記されます。
遍照金剛(空海のコトね)といつも一緒と言った意味で、金剛杖自体が空海の分身と言う意味で大切に持たれるそうです。
一方修験道では断面が四角のもの以外に八角形のものも用いられるますが、これは富士山の八つの峰を表しているそうです。

金剛禅が八角の杖を使うのはどう言った意味合いですかねぇ?
私は個人的に八正道を表している位に理解してるんだけど…。
どなたかご存知の方はご教示お願いします。

…え?「まにあ」丸出しだって?

1617 名前: 名無しさん@いらっしゃい 投稿日: 2005/07/09(土) 17:20:11
>>1597
お詳しいので感服しました。昭和四十年代後半までは、入山後の修行の合間などに八角金剛杖で、杖術の稽古をしました。
金剛杖はもともと新客の先達人となる、入峰五回目の先達に許されるもので、おっしゃるとおり四角です。もちろん市販などはされません。
錫杖での鍛錬法は習ったことも、見た記憶もありませんので、修験道、山伏以外と思います。
その頃の錫杖は六角で地面から耳くらいの長さ、今は角も無く、肘切り長さと短いようですね。
参考になるでしょうか?

1619 名前: Syami 投稿日: 2005/07/09(土) 22:31:40
>>1617

ようこそおいでくださいました。大変参考になりました。
書き込んでいただいた文章から察するに修験の方とお見受けいたしましたが如何?
私達金剛禅宗ではその宗門の行の一つである少林寺拳法の体系の中に「法器」と呼ばれる武具を使用する技法群があります。
「法器」には錫杖、金剛杖を使用する「金剛伝」、如意棒(短棒)を使用する「如意伝」
金剛杵を使う「独鈷伝」があります。創成期の頃は宝輪を用いる「法輪伝」も有ったようです。
修験道にも修験武術と呼ばれる体系が有ると聞きますが、なかなか実態を知る機会は有りません。
でもやはり杖術はなさるのですねぇ。金剛杵なども使われると漏れ聞きましたが如何でしょうか?
また是非とも御光臨いただきご教示いただきますよう。
その際は一つハンドルネームをお使いいただきますようお願いいたします。

1620 名前: とっしぃ 投稿日: 2005/07/09(土) 23:15:45
>>1617のかた
大変興味深いお話ですねぇ
杖術の稽古をされたこともあるとか?
夢想神伝流などといった、杖道とはまた違った流れなのでしょうか?
もっと、お話を伺いたいです。

1621 名前: でんべえ 投稿日: 2005/07/10(日) 16:48:52
とっしぃさんに独鈷を見せてもらいました。
錫杖が「武器」なら、とっしぃさんのアレは「凶器」でつ。
貸して貰って紅卍をやってみましたが、最初の打ち払いで切っ先が後頭部を掠めていきました。
外受も何気にやると顔に刺さりそうで怖かったです。
やっぱり一尺の独鈷は規格外でつ。

1622 名前: まんじ丸 投稿日: 2005/07/10(日) 16:52:55
>>1617さん
修験武術?ものすごく興味が湧いてきました。
差し支えなければ、聞かせて下さい。

1626 名前:投稿日: 2005/07/11(月) 12:58:42
この掲示板を混乱をさせてしまい。すみません。
ハンドルネームは理解しましたので、「空」とします。修験内容については、語るほどのことはありません。
たまたま、錫杖について調べるため検索で「法器、錫杖」と入れたところ、御方の頁に辿り着いて、面白く興味深く拝読し、つい書き込んでしまいました。勉強不足ですが、Syami様他の方々は禅宗の関係ですね。
ご存じのように古来、修験者は密教学僧支配下で御師と呼ばれ、御岳の一般信者方々の道案内や警固をしていました。
Syami様他の方々の宗派は、法具を使われるということから、もともとは吾等の学僧から分派していった系統なのかも知れませんね。
禅宗なので、珍しいと思いました。

ご質問の修験者の武術が存在するかというと、私としては特に無いように思います。
あるとすれば、私よりも年輩で、75〜80歳以上の方ならばご存じかも知れません。
何故かというとそういった武術が、修行上必要ないからです。

何かのご縁です、行については書けませんが、修験と法具について、
少ない知識でよろしければ書き込みますが、いかがでしょうか?

1627 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/11(月) 13:35:12
>空さん
いらっしゃいませ〜。我々が修行しておりますのは開祖宗道臣(そう・どうしん:以下「開祖」)が1947年に香川県は多度津町にて創始しました「少林寺拳法」という武術でございます。この武術は同じく開祖が創始しました金剛禅という宗派の「宗門の行」という位置付けとなっておりまして,それ故「錫杖」「独鈷」「如意」等の法器を使用する技術体系を内包しております。ここに書き込みいただきましたのも何かの御縁でございますので,修験と法具につきまして是非とも我々にご教授くださいませ〜。

1628 名前:投稿日: 2005/07/11(月) 15:36:51
ありがとうございます。金剛禅少林寺拳法良く理解できました。
紋が密教の「輪違い」ですから、禅宗と真言密教の統合された形に思いました。
修験道は明治政府によって、真言と天台に統合された経緯がありますので、それ以前の修験道とは一線を画しています。

武術と法具ですが、如意については全く分かりません。
行者は菩薩の当体であるから、六輪の菩薩の錫杖を用いますが、六輪は六波羅蜜を表します。皆様方の禅僧体がよく托鉢時に用いて、声杖、智杖、徳杖、鳴杖ともいいます。六角棒が本来です。錫杖での術は聞いたことも、見たこともありません。
金剛杖は、先達に許されたり、遍路使うものが四角ですが、八画を使う方が握りに力も入り、何かと便利です。

教わった杖術は、皆さんからすると運動のための遊びに近いものだと思います、
特に何流ということで教わっていませんし、修験武術ということで体系的に教わったわけでもありませんが、指摘されて考えてみるとひょっとするとこれが修験武術と言われるものなのでしょうか?剣劇でみるものよりは、使える気もします。しかし、時代劇の金剛杖から刀が出てくるものは見たことがありません。岩場で引っ張り上げるときに抜けると人と一緒に落ちてしまいますでしょ。私には判断しかねます。

杖の用法は中からひと拳先を普通に下げて立ち、先は相手の目につける、そのまま滑らせて杖を飛ばし、顔を突きます。あとは剣術と同様に打ち合う、突き合う、普通に人の考えつく範囲のものです。
ただ、映画や芝居のように振りかぶることはない。振りかぶると周辺の木や枝や茂みに当たるからで、小さく早くということが、注意すべきことです。
登りでは普通に持ち、先は傾斜に沿い上ガルです。
下ルは腋に挟み、先下ガルです。

この杖法と螺緒(カイノオ)という現代でいうロープ、の使い方を併せ学ぶと様々な局面で利用できます。落ち葉の深さ、沢の深さ、岩の高さ、足場の尺取りを計り、寝床の梁、つえ、牽引の道具、六尺だと長すぎて邪魔ですし、短すぎると役に立ちません。御岳の杖は武器ではなく、生き抜くための道具です。

他の法具については、意味があまり理解できずにいます。
結界に関わる、護摩の行法では、独鈷杵の片側が剣になっている護摩剣(不動剣)を使いますが、特に武術とは思いません。この他に山刀(脇差しに近い短剣)を持ちました、獣道では灌木を切り払うなど様々に用いますから、自然に使い慣れ、そういう点では人との戦いにも使える気はします。戦いの局面となっても、精神的に動揺することはまずあり得ないと確信します。

法輪とは輪宝のことでしょうか?武術的な使い道は無いように思うのですが、違う仏具があるのでしょうか、自信がありません。
金剛杵は、先を尖らせて小動物に上手に投げて捕らえる人は確かに居ました。
今回皆様には、凄い技術があるのだと察し、感心しております。
若いころに修験武術の存在を知っていれば、学んだであろうと悔やまれます。
また、時々読ませていただこうと思います。
修験武術をご存じの方が出て来られることを祈願しておきます。
失礼を致しました。

1629 名前: まんじ丸 投稿日: 2005/07/11(月) 16:59:42
歩行の補助として大いに役立つと、読んだことがあります。
確か、金剛杖を上手く使うコツは、
@平地や登る時は、杖をまっすぐ突いたときに腰と同じあたりの高さで持つ。
A岩場を登るときは持つ位置をスライドさせながら使う。
B下山するときは少し長めに持って手前に突いてブレーキをかけるように使う。
C杖の突く位置を変えながらバランスを取り、体をあまり倒さないようにする。
以上の5点です。上手く使えば疲労を減らすことができるとあったような?

私は「輪宝」が分かりませんが、
法輪は、少林寺拳法の教範の初版復刻版に下記のように載ってました。
「金属製の金剛杵を三本叉四本組み合わせて,首のところを輪でつないだ様な形をしているもので、これも金剛杵と同様法器にして武器の一種である。」
「羯磨」と似たような形状です。
羯磨は五鈷杵を2本、柄の部分でクロスさせたような形状ですが、独鈷を3〜4本組み合わせた一番外側を輪でつないだ形状です。
分かりにくかったら、すみません。

1630 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/11(月) 18:09:43
>空さん
詳しいご説明ありがとうございます!大変勉強になりました〜。
少林寺拳法と直接には関係がない内容でも大丈夫ですので,よろしければ気軽に書き込みしてくださいませ♪

>まんじ丸さん
マニアだ…

1631 名前: まんじ丸@ケータイ 投稿日: 2005/07/11(月) 19:49:55
そういえば、古い先生達は練成道場で畳を立て掛け独鈷を投げる練習してたとか…聞いたことがあります。

ビスさん
あなたにまでマニアと言われるとは思わなかった。
てか、言われたくないなぁ(爆)
力愛ぷにさん風に言うと、私はオタクかと…。
いや、それ以下ですよ。

1632 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/12(火) 08:43:11
>古い先生達は練成道場で畳を立て掛け独鈷を投げる練習してたとか…聞いたことがあります
それを聞いて本当に試すあなたはマニア以外の何者でもありません。三節棍に流星錘に錫杖に如意に独鈷にその他様々な危険物…まんじ丸さんは何処に向かっているのか…

面白いからもっと行け〜♪

1633 名前: まんじ丸 投稿日: 2005/07/12(火) 10:39:36
>本当に試すあなたはマニア以外の何者でもありません。
2〜3回試しただけですよ。
うまく刺さらないんだもん。
鉤突きの稽古を積まなきゃできません。
数年後には・・・ムフッ。

>まんじ丸さんは何処に向かっているのか…
戦国ジェダイ突入した時に、北朝鮮や中国に真っ先に狙われるのは日本かとその中でも、九州西部はンケキかと・・・。
その日のために・・・(爆)
ビスさんも、やってることはワシとそんなに変わらないでしょ!
というか、1ランクも2ランクも上のことしてるでしょ!

1634 名前: rusher 投稿日: 2005/07/12(火) 10:48:45
前期倭寇に関して
http://www5d.biglobe.ne.jp/~katakori/e04/e39s10.html

1635 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/12(火) 11:09:18
>戦国ジェダイ突入した時に

なるほど,ライトセーバーならぬライト独鈷を片手にダーマの加護を得ながら闘うと…

1636 名前: Syami 投稿日: 2005/07/12(火) 12:34:06
>>1628 空様
ようこそおいでくださりました。勉方よろしゅうお願い致します。

>紋が密教の「輪違い」ですから、禅宗と真言密教の統合された形に思いました。
あの「紋」はこの4月に変わったもので、それまでは「輪違い」の位置に「卍」が入っておりました。
仰るように豊山派と混同されやすいので、問題として提起されているのですがどうも不勉強なデザイナーがデザインしこれまた不勉強な本山の誰かが承認したようで各界から苦情や批判が集まっているようです。
逆に真言宗の方達は「どうぞお使いください。」と仰っておいでのようですが・・・

四角の金剛杖はお遍路さんしか使わないと思っていたのですが、修験でもお使いになるのですね。修験武術は情報が少なく私も詳しくは存じ上げないのですが、これを源流とした古武術は多いようです。仕込みの金剛杖は浅草の演劇用品店で見かけたことがありますね。(笑
林や藪の中で用いることを考慮して振りをコンパクトにすると言うのは聞いたことが有ります。
道具としての金剛杖の用い方は漏れ聞いてはおりましたが、なかなか詳細に触れることはできませんでした。
大変勉強になります。ありがとうございます。界を結ぶ時の独鈷杵と言うのは護摩壇を築く時の「けつ」にあたるものですね。これはチベットでも同様で「プルパ」と呼ばれるものが用いられるそうです。
と、言う事は山中で壇を営む事もあるのですね。すごいなぁ。

「法輪」とは輪宝の事です。
まんじ丸君には以前私の持ってる法輪の写真を送ったね。これはインドでは「チャクラ」とか「チャクラム」と呼ばれる環形の投擲兵器が元になっているそうです。これは中国に伝わった時に「輪」となり刃が付いた物、付かない物等各種のバリエーションが発生しています。
両手に持って打ったり突いたりします。

金剛杵の原型もヒンドゥーのインドラ神の得物で「バジュラ」と言われています。インドラ神は日本では雷帝と言われていますので、実はバジュラは「雷」を象徴しているそうです。ラーマヤーナ等のインド神話によるとアシュラとの戦争の時にインドラはバジュラを大いに投げつけその軍門を砕いたとか、悪竜「プリトラ」との戦いの時にも用いたと伝えられています。金剛杵はそもそもが投擲兵器、「投げ物」だったと言うわけです。
元々のプロポーションは奈良三月堂の「執金剛神像」や東大寺の仁王尊のものだったようですね。
双頭の手槍といった感じでしょうか?
(なお、現代のインドの神画で見るとインドラ神が持っているのは棒状の武器ですが、調べてみるとバジュラというのはインドでは「武器一般」の事を指すそうです)我が国でも金剛杵の形を模した手裏剣状の得物が見られます。

>>まんじ丸君:見てみたかったら画像を送ってあげるよ。
しかし、実際に金剛杵を投げたり、その練習をしている話は初めて聞きました。
>>まんじ丸君:さすが大先達の弟子は聞いてる話が「違う」なぁ。
まさかあの独鈷手裏剣の出所はウチじゃないだろうなぁ?

では、空様、またのお出でをお待ちいたします。
合掌再拝

1637 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/12(火) 12:47:36
マニアの親玉がぁ〜!

1638 名前: まんじ丸 投稿日: 2005/07/12(火) 13:19:02
>>1636
親分、見たいです。
メェルして下さい。

独鈷の投げ方は、どうも2種類ありそうです。一つは数年前に聞いた話で・・・うろ覚えなので自信がないです。
一つは、握りを緩めて親指と人差し指で挟んだまま縦鉤突きの要領で振り上げて飛ばします。
クルクル回転しながら、飛んでいくらしいので相当な練習が必要!私はこれを試してできませんでした。
二つ目が自信のない方なんですが、横鉤突きの要領で突いていき真っ直ぐ飛ばすらしいです。
壁際に立たされて、その横に刺さったのを見たか聞いたかしたらしいです。
ロビンフッドのリンゴみたいなことを独鈷でしたんですね。
((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

1639 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/12(火) 13:23:11
ふむふむ,独鈷はないけど早速練習を…ゲフンゲフン!

1640 名前: まんじ丸 投稿日: 2005/07/12(火) 17:15:42
独鈷手裏剣すごいですね。
良いですねぇ。。。
物欲が・・・。
でも、形状からすると?のような投げ方が向いてそうですね。
軽ければですが・・・。
少林寺の飛ばし方では、上からは見たことがないと聞いてますので
もう少し、鈷と柄の間の部分に窪みがあった方が良さそうです。

1641 名前: まんじ丸 投稿日: 2005/07/12(火) 17:17:31
ちょっと訂正!
上から振り下ろす投げ方は見たことがないと聞いてます。

1642 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/12(火) 17:54:27
アンダースローかサイドスロー限定なわけですな。
多分手に持った状態から最小の動きで投げる為なんでしょうね〜。

1643 名前: Syami 投稿日: 2005/07/12(火) 17:57:43
モノとしては棒手裏剣だね。でも「投げ物」としては我々には「寸針」があると言うからなー。
私も話だけで見た事はないけど。

1644 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/12(火) 18:12:01
「寸針」ですか〜「外物」の技法は現在誰か伝承されてる先生はいらっしゃるんですかね?
失伝しちゃってるのかな…

1645 名前:投稿日: 2005/07/12(火) 19:22:59
>>1636 【Syami様】
また長くなりますが、誤解があるといけないと考え、あえて書き込みます。
最後と思ってお許し下さい。Syami様はじめ、本当に良く勉強されており、年代は判りませんが、驚くと同時に深く感心を致しました。
現在、膝を悪くし、残された時間を経験に基づき「信仰と民族」と題して、エヌマ・エリシュから一神教、ヴェーダ(Veda)〜古代ヒンドゥー、道教、神道などの相関をまとめているかなりの爺です。
武術と諸仏の毘廬遮那の所持する法具(武器)について、勉強したいと思いました。
補足となりますが、お遍路自体は宗派に関係ありません。四角の金剛杖はご指摘の通り真言から発したお遍路さんが使います。行者の金剛杖は、丸・六角です。段階や富士など場所によっては八角も使います。考え方はお遍路のものと同じ考え方をします。檜杖が円形であるのは上求菩提・下化衆生、あるいは自利他利の二利円満を表しています。お遍路さんは初めてでも四角の金剛状を持ちますが、修験では正先達が持つ決まりです。杖は上部を金胎不二の塔婆形に作っています。
順逆峰に際し、入峰五度未満の新客の持つ杖は檜の枝にあまり手を加えない自然の木で、閼伽(あかargha:水桶)や小木等を担うのに用いたりします。
今ではリュックを背負って、ペットボトルで水を用いる行者が多いようです。檜は火に通じていて、火は「智火」と解釈します。旧来長さは身長に合わせました。お山での壇を組むことは無いとします。(現在は防火対策でなかなか出来ません。)
金剛杵の使い方には驚きました。長い物を見た記憶があるように思います。行者の「不動の智剣」というものがあります、「柴打ち」とも言います。
独鈷杵の片側が一尺三寸ほどの剣になっているものです。短刀同じような片刃のものもあります。昔の物は本当に切れます。これなどは、私の想像する以外の使い方があるのでしょうか?プルパは独鈷杵のことで、結界に関係します。投げ打つに適しています。
武術以外の不思議はあります。
独鈷杵を打つよりは、鳥を落としたり、野ネズミを動けなくしたり、不殺と言いましょうか。色々な行者が居ることは事実です。
それから、修験道と寺社密教、僧侶山伏と修験山伏は歴史的に色々ありまして、あまり書けませんが。

山伏問答の中で錫杖の儀は、一法界の総体を顕わす衆生覚道の智杖と説明します。
三種類の形があって、四輪は「四諦」を、十二輪は「十二因縁」を、六輪は「六波羅蜜」を表し、錫杖の音声により三界六道に苦をうける衆生の迷夢を驚覚すると考え、行者は菩薩の当体であるとして、六輪の錫杖を持ちます。
御宗では何輪をお使いでしょう、儀については違うのでしょうか?
「法器」の意は本来、「仏法を受け、修行するに耐えうる能力(器)を持つひと」
を言います。転じて、修行を行うに用いる道具ということです。
皆様にはその心を持って、修行に励んでくださることをお願いいたします。
七宝のひとつ「輪宝」を受けた転輪聖王は戦わずして、争いを治めたと思っていましたが、確かに刃をつけて投げると凄いことになりますね。
「羯磨」も同じ使い方なのでしょうか?

修験道は、呪法もあり、悪者に良く間違われます。Syami様はお詳しいので、ご存じと思いますが、『リグ・ヴェーダ』の内アタルヴァ・ヴェーダの呪法(mantora)には薬草、鉱物などの用法についても書かれ、インド医学、中国医学の進歩に貢献しています。「呪法」の実施法についてはカウシカ・スートラに『治病、息災、調伏、反撃、婦女、和合、王位回復の国法、開運増益、贖罪、バラモンの福利増大』の法と書かれていることで、「呪文」の内容はほとんど、その厄災や病などが他の土地や他部族に行くことを願う内容になっていることが分かります。行者も同じ気持ちであります。
呪法は悪い内容ではないということを広く知って頂くと嬉しく思います。
また長くなってしまいました。すみません。
今日で終わり、読むことに徹することにします。

1646 名前: Syami 投稿日: 2005/07/12(火) 23:36:48
>>1645 空様

>年代は判りませんが、驚くと同時に深く感心を致しました。
恐れ入ります。
このページに参加している者は私を始め多くが若輩者であります。

>行者の金剛杖は、丸・六角です。段階や富士など場所によっては八角も使います。
八画は富士の八領を表すと聞きますが、六角は何を表しましょうか?
六道か六波羅蜜辺りでしょうか?
円形の意味が上求菩提・下化衆生、または二利円満を表していることは初めて知りました。
ご教示ありがとうございます。
ちなみに「二利円満」は私たち金剛禅では「半ばは己の幸せを、半ばは他人の幸せを」と言う文言で表現しています。

「金胎不二の塔婆形」に関してご質問をさせていただきます。
金剛・胎蔵で塔婆の形は変わってくるのでしょうか?

>旧来長さは身長に合わせました。
私達の伝書(教範)でも錫杖の長さは身長に合わせるとあります。
九條錫杖経にも錫杖は山行の時に用いるとありますから、長すぎる物は邪魔になってしまいますね。

>金剛杵の使い方には驚きました。
私たちの独鈷杵は尺五寸が定形になっています。鍛錬に用いる場合は一尺程の物も用います。
打突にも用いますが、主には逆技の補助や急所の押圧に用います。

>行者の「不動の智剣」というものがあります、「柴打ち」とも言います。

こちらは↓の様な物でしょうか?
http://www.k3.dion.ne.jp/~vajra/sankotukaken.htm

>独鈷杵を打つよりは、鳥を落としたり、野ネズミを動けなくしたり、
>不殺と言いましょうか。色々な行者が居ることは事実です。
科学的には説明が付き難いですが、私も念を凝らして小動物の動きを封じるという実演を観たことがあります。
その時演じた行者の方は「気合術」と仰っておいででした。

>御宗では何輪をお使いでしょう、儀については違うのでしょうか?
私達の修行会は昔は「布薩会」と言っていました。また修行自体を「菩薩行」とも言っていました。
これを背景としているのか、私共は六輪の錫杖を用いています。
法器の本来の意味は寡聞にして存じ上げませんでした。ご教示ありがとうございます。

>「羯磨」も同じ使い方なのでしょうか?
羯磨は壇を組む時に用いるのは存じ上げていますが、その源流は残念ながら存じ上げません。
見た目は手裏剣ですけどね?(笑

>修験道は、呪法もあり、悪者に良く間違われます。
確かに小説などでも山伏や修験の行者は悪役で出てくる方が目立ちますが、これは実態があまり知られていないせいであると思います。呪法と言うとなにか禍々しいイメージがつきまといますが、陰陽道の世界では単なる認知の問題でしかないとも聞きます。(名前を付ける事自体が「呪」の始まりだとか・・・)
大戦の時に行われたと言われる怨敵調伏の呪法は日本中の神社仏閣で行われたと言いますし、皇家で行う五穀豊穣の祈願も言ってみれば「呪」であると理解しています。

ヴェーダに関しましてはさほど深く勉強した訳ではないのですが、拳法の修行の関係上アーユルヴェーダ(生命科学)は少し勉強したことがあります。プラーナやチャクラと言う考え方は漢方と照らし合わせた時大変興味深く感じられました。
(ここからは空様以外に・・・)ヴェーダとはインド最古の文献と言われ、サンスクリット語で「知る」の意から転じて「経典」とか「科学」とか言った意味になります。4大ヴェーダとして
  1.リグ・ヴェーダ
  2.サーマ・ヴェーダ
  3.ヤジュル・ヴェーダ
  4.アタルバ・ヴェーダ
が挙げられます。どれも詩の形で多くの真言(mantora)のルーツになっているそうです。
最初はヤジュルヴェーダまででしたが、後に民間の呪法、療法を取り入れてアタルバ・ヴェーダが組まれたそうです。

空様、これも法縁です。今日で終わりなどと仰らず、またご教示頂きますようお願いいたします。
お膝の方お大事になされますよう。

再拝合掌

1647 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/13(水) 12:54:33
>空さん
凄い勉強になります!気が向いた時で結構ですからぜひまた書き込んでくださいな〜。
楽しみに待っておりまーす!!

>Syamiさん
やはりマニアの親玉…

1648 名前: Syami@office 投稿日: 2005/07/13(水) 13:11:05
>やはりマニアの親玉…
失礼な。探究心が旺盛と言って欲しいモンだね!

1649 名前: まんじ丸@ケータイ 投稿日: 2005/07/13(水) 13:31:00
>やはりマニアの親玉
禿しく同意

Syamiさん
親分と呼ばせて下さい。まだまだ、マニアに仲間入りできるほどではありませんが、精進します故、よろしくおながいしますorz

1650 名前:投稿日: 2005/07/13(水) 17:01:25
>>1646 【Syami様】
良く勉強されており、なんだか山伏問答をしておるように感じます。
御宗も九条錫杖経を唱えておられるようで、驚きました。
分かれたかのようになっている禅と密教の融合は新しい発見ですし、嬉しいことです。
九字法の種類はいかがでしょうか、これを聞いてはいけませんね、失言でした。

Syami様の指摘される意味は分かります。衣躰については天台・真言・修験宗・里修験(山伏)で、歴史もあり少しづつ違いがありました。
例えば「不動の智剣(護摩剣)」などは真言では「柴打ち」とは言いません、写真を見ましたが、あのように長い剣ではありません。
現在は所持しての行者はいません。持っていても狩猟ナイフです。
峰も天台系は順峰・真言系は逆峰が一般的なのですが、別に仲違いしている訳ではありません。密教僧侶、神道禰宜、各流祈祷師もまた修験をします、解釈の異なる場合もありますが、修験は宗派にとらわれずに一様に同じく「講」をなして、行する良さがあります。たまたま密教の影響が強く、仏教の言葉を多く使います。Syami様ご一同様も、今では誰でも参加できる派もあるようですから、「講」に申し入れて修験されると何か発見があるかと思います。

説明が悪く色々と混乱させていますが、六角について、錫杖を「六波羅蜜」、金剛杖を「六道受苦衆生(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の輪廻迷夢からの覚醒」としてまとめてはいかがでしょうか?
これに十二入処いおける、六内処(眼・耳・鼻・舌・身・意)清浄により、六外処(色・声・香・味・触・法)を現じ、六識の分別に至り、六方(東・西・南・北・天・地とし、父母・師・夫婦・友人・沙門・雇人を重ねる)を礼拝さしむ。とすると遂に分からなくなります。

富士の八角はおっしゃる通りですが、富士講は歴史的に浅く、修験の対象とは言い難いものがあります。我々の言うところの「二利円満」の二利というのは自利、利他と言うことで、利他によって自利が完成でき、自利を完成しようと思えば利他を忘れることができないという、人間の生き方のなかにある表裏関係を言葉で示そうとしていますから、少し意味合いが違うかも知れません。

入峯道などでは、錫杖が危険になることもありますから、金剛杖の方が実用になります。合図などには手錫杖で充分です。武器としての杖については説明が出来ませんが、古来からの聖の鹿杖と思ってくだされば良いと思います。
斗薮に際しての金剛杖を簡単にすると
  @金剛杖-三度以上入峰した度衆先達の持つ杖
  A円形桧杖-正先達が持つ杖
  B新客(入峰五度未満)の加工しない担杖としての杖。
となります。是ぐらいで如何でしょう?

>金剛・胎蔵で塔婆の形は変わってくるのでしょうか?
 他に知りませんが、身長に合わせる意味は、持ち手の行者自身が「金胎不二の塔婆」となるを表す説もあります。

>その時演じた行者の方は「気合術」と仰っておいででした。
 「験力に法あって、術無く、修法によって徳を験す。」

>私達の修行会は昔は「布薩会」と言っていました。
>また修行自体を「菩薩行」とも言っていました。
 不勉強で申し訳ありません。修験道も菩薩行です。

>「羯磨」・・・見た目は手裏剣ですけどね?
 初めて投げてみましたが、当たると痛いと思いました。
 刃があれば大変なことになりますね。
 独鈷など投げ方があれば教えてください。
 私の記憶では胸の前、九字切りと同じでは無かったかと思います。
 独鈷杵の種も記憶に自信が無くなって来ています。

吉野と熊野を結ぶ大峯奥駈道は両峰分けから、北側を金剛界、南側を胎蔵界と考えます。金剛界の拳印である金拳と胎蔵界の拳印である胎拳は、金拳・胎拳ともに「拳−こぶし」です。禅の合間に法具を武器に拳法を修行される、「心と仏具」が一体となって「法器拳者」となられることを祈願いたしております。
また長すぎました、いい加減最後に致します。

1651 名前: まんじ丸 投稿日: 2005/07/13(水) 18:23:58
空さん
>独鈷など投げ方があれば教えてください。
>>1638
>>1641
に私が書いたものがあります。失伝されているのではないか?という程、伝わってないようです。
実際、私も正式に習った訳ではないのですが・・・。何度か練習しましたが、私には難しかったです。
徒手の基本をもっと積んでからの楽しみに取っておこうと思います。

最後と言わずに、もっとご教示下さい。

1652 名前: Syami 投稿日: 2005/07/14(木) 21:32:14
>> 空様

>良く勉強されており、なんだか山伏問答をしておるように感じます。
恐れ入ります。弟弟子達には「まにあ」と揶揄されておりますが…
遠からず彼等に仏罰が下るは必定でありましょう。(笑

>御宗も九条錫杖経を唱えておられるようで、驚きました。
当宗で九条錫杖経を知る者は今や僅かです。私が知る限り初期の先達とその直系の弟子ぐらいで多くの者は法器の伝承には触れる事も出来ず、在る事は知っていても見た事が無い者が殆んどです。あまつさえは法器自体の存在を知らぬ者すら居るくらいです。

>分かれたかのようになっている禅と密教の融合は新しい発見ですし、嬉しいことです。
申し訳ありません。私共は宗教法人から始まり、今や社団法人、学校法人の三つの法人格を持っております。
しかし現在の二代目の代表は宗教色を薄めたい意向のようで、五十年来の当宗の紋章から卍を降ろしたり修行の時の衣からも卍を外させたりしております。代わりに「輪違い紋」が入っているので普通の宗教者の方々からは空様仰るように真言宗との融合かと思われております。
しかしこれは紋の改修を担当した山の者が不勉強で「輪違い紋」を知らずに導入したのではないかと疑っております。
この一事だけでも私共の程度が知れると言うものであり、恥ずかしく思っております。
(本山の担当者は輪違い紋とは組み方が逆になっているとは申しておりますが、道義的に如何なものかと思っております
一見して輪違い紋にしか見えませんからね)

>九字法の種類はいかがでしょうか、これを聞いてはいけませんね、失言でした。
個人的な興味で一時期高野に学んだ時期がありますのでこの種の修法は存じ上げておりますが私共では九字の呪法を始め加持祈祷の類は行われておりません。結印も数種類に限られます。真言も日本語に意訳されたものを僅かに唱えるくらいです。
稀に唱える般若心経も書き下したものを用いております。
現在は殆んど行われておりませんが座禅を組む時、または整法、活法を施す前の精神集中の時に観想と共に外縛の独鈷印を用いていました。
(一応三密を修しているので本質的には密法と変わらないかも知れません)

>Syami様の指摘される意味は分かります。衣躰については天台・真言・修験宗・里修験(山伏)で
>歴史もあり少しづつ違いがありました。

この辺が門外の者にはなかなか理解し難いのではないかと思います。
私に関して申し上げるならば修験道が仏教系の教えなのか神道系のものなのかさえ判然としませんでした。

>例えば「不動の智剣(護摩剣)」などは真言では「柴打ち」とは言いません
写真の三鈷剣等はむしろ各種の修法に用いると聞きました。美しいものですね。
「柴打ち」と言うと山刀の様なものを想像しておりました。

>密教僧侶、神道禰宜、各流祈祷師もまた修験をします、
>解釈の異なる場合もありますが、修験は宗派にとらわれずに一様に同じく
>「講」をなして、行する良さがあります。
>たまたま密教の影響が強く、仏教の言葉を多く使います。
ご教示ありがとうございます。旧来の疑問がやっと解けたかに感じております。キーワードは「講」だったのですね。
つまり宗派に関係無く「講」を成して「験」を求めて「修」するのが修験道であると。

>これに十二入処いおける、六内処(眼・耳・鼻・舌・身・意)清浄により、
>六外処(色・声・香・味・触・法)を現じ、六識の分別に至り、
>六方(東・西・南・北・天・地とし、父母・師・夫婦・友人・沙門・雇人を重ねる)
>を礼拝さしむ。

六根清浄から六方礼拝に至る訳ですね。
六方礼拝は確か阿含経典にあるお話でしたか。

1653 名前: Syami 投稿日: 2005/07/14(木) 21:34:20

>富士の八角はおっしゃる通りですが、富士講は歴史的に浅く、修験の対象とは言い難い
>ものがあります。

そうでしたか。修験道の開祖は役行者とお聞きしております。生駒を中心に活躍なさったと聞き及んでおりますが、中心はやはりこちらになるのでしょうか?またこの機会にご質問を差し上げたく思います。
富士山の信仰と言うと御岳神社と浅間神社が思い浮かびますが、浅間神社の「浅間」とはどのような意味になりましょうか?信州の浅間山とは関係あるのでしょうか?
実は不勉強で最近まで浅間神社は信州の浅間に縁があるものとばかり思っておりました。

>我々の言うところの「二利円満」の二利というのは
>自利、利他と言うことで、利他によって自利が完成でき、自利を完成しようと
>思えば利他を忘れることができないという、人間の生き方のなかにある表裏関係を
>言葉で示そうとしていますから、少し意味合いが違うかも知れません。


申し訳ございませんでした。私の言葉が足りなかったやに思われます。
私どもの「半ばは己の幸せを、半ばは他人の幸せを」は「自他共楽」と言う文言に集約されております。
その意としては「自らの幸福を成就するためには、他人のそれをも成就しなければならない。
そのためには自らが利他を行うだけの「力」を持たねばならない」と。
ここから「自己帰依」に展開して行きます。
無論三宝帰依はありますが、教義の基本となった教典が法句経になりますので総体的な傾向は原始仏教なのです。
「己こそ己の寄る辺 己をおきて誰に寄るべぞ。よく整えし己こそ まこと得難き寄る辺なり」

>斗薮に際しての金剛杖を簡単にすると
>金剛杖-三度以上入峰した度衆先達の持つ杖
>円形桧杖-正先達が持つ杖
>新客(入峰五度未満)の加工しない担杖としての杖。
>となります。是ぐらいで如何でしょう?

ご教示、ありがとうございます。

>金剛・胎蔵で塔婆の形は変わってくるのでしょうか?
>身長に合わせる意味は、持ち手の行者自身が「金胎不二の塔婆」となるを表す説もあります。

ははぁ、なるほど。承知いたしました。

>>その時演じた行者の方は「気合術」と仰っておいででした。
>「験力に法あって、術無く、修法によって徳を験す。」

う。恐れ入ります。

>>また修行自体を「菩薩行」とも言っていました。
>不勉強で申し訳ありません。修験道も菩薩行です。

こちらこそ失礼いたしました。「菩薩行」と言うのはごく一般的な言葉でした。

>>「羯磨」・・・見た目は手裏剣ですけどね?
>初めて投げてみましたが、当たると痛いと思いました。

うぉっ!?投げてごらんになりましたかっ!??
羯磨は十字金剛とも呼ばれ、輪宝と同じように古代インドの投擲兵器がモデルになっていると聞きました。
チベット辺りでは三鈷杵ではなく五鈷杵を組み合わせたものの方が多く見られるそうです。
江戸時代には輪宝の外側に鈷がはみ出た如何にも危なげなものも作られたようですね。

>吉野と熊野を結ぶ大峯奥駈道は両峰分けから、北側を金剛界、南側を胎蔵界と考えます。

あの辺が修験の行者の方々の修行場になっているとはお聞きしていましたが、これは壮大なお話ですね。
私の同門の者も錫杖を求めて彷徨った事があります。
最近は当宗独自の錫杖も販売されていますが、それまでは皆苦労して自作したり仏具店を回ったりしていたものでした。
しかし仏具店で扱われているものの多くは真鍮の鋳物であり、たった一度の打ち合いにも耐えられません。
修験の道具を扱うお店で、丈夫な錫杖は入手出来ないものでしょうか?

>金剛界の拳印である金拳と胎蔵界の拳印である胎拳は、金拳・胎拳
>ともに「拳−こぶし」です。

ご質問を差し上げます。金剛界の結印は「智拳印」、胎蔵界のそれは「法界定印」と学びましたが、
「金拳・胎拳」とはこれとは別なものなのでしょうか?

>禅の合間に法具を武器に拳法を修行される、「心と仏具」が一体となって「法器拳者」となられることを
>祈願いたしております。

ありがとうございます。私共もそのように修行して行きたいと思っております。
これも法縁の妙と存じます。またのご教示をお待ちしております。

1654 名前:投稿日: 2005/07/15(金) 18:47:12
たびたび済みません。
>>まんじ丸君:さすが大先達の弟子は聞いてる話が「違う」なぁ。
これを読み落としておりました。大先達のお弟子様達でしたか。通りでよくご存じの筈です。要らぬ事ばかり書いておりましたことを恥じます、ご容赦願います。Syami様は高野で修行されたとのこと、詳しいはずです。試されてしまいましたね。
「錫杖と金剛杖」について、書き込む内容に不安を生じています。錫杖は元々修験の持ち物で、毒害虫を遠ざけるための音を発する道具でした。金剛杖は特に巡礼で使い、本来は四角で4つの面が発心・修行・菩提・涅槃の4つの門を表します。葬式ではこの4つの門から送ることになっていますから、遍路中に亡くなるとその間墓標になるようになったようです。
最近の金剛杖は、先が塔婆になっていて、キャ・カ・ラ・バ・アと書かれています。これは、空・風・火・水・地の五大を表しております。修験で使うようになった金剛杖は、述べたとおりですが、霊山によっては、御岳山は六角、富士山では八角の杖を使っていました。八角は嶺の数と八正道・八功徳水を表しています。
杖の頭を塔婆形にするようになったのは近世からです。金剛杖に錫杖を付けたり、付けなかったりとわりと自由で、実用を考えていた。頭の頭襟(ときん)も小さいけれどもヘルメット代わりなのです。ユダヤ教のヒクラティーに似ていますね。本来は、山伏・修験が錫杖を持ち、巡礼者が金剛杖を持つと考えた方が分かりやすいと思います。

>本山の担当者は輪違い紋とは組み方が逆・・・。
 それは大変、三輪では組み方は逆、
 是では輪足らず(和足らず)となりますな。

>九字の呪法を始め加持祈祷の類は行われておりません。
>結印も数種類に限られます。
>真言も日本語に意訳されたものを僅かに唱えるくらい。

 真言は詳しくはありませんが、真言はインドから中国にもたらされた行法を習得したものですから、「マントラ(真言)」は「アタルヴァ・ヴェーダ」の呪法韻律によって読誦されるべきで、訳して何も得ることは出来ないでしょう。Syami様は折角高野で学ばれたのですから、法器行の際だけでも、真言と印を行じては如何でしょうか、そうすればすべてが違って感じられると思います。

>「柴打ち」と言うと山刀の様なものを想像しておりました。
 「護摩の剣」「宝剣」「不動の智剣」などと色々名があって迷われます。あまり名称にとらわれない方がよろしいと思います。
山刀といっても、寸延び短刀と思えば良いです。

>六方礼拝は確か阿含経典にあるお話でしたか。
 漢訳ではそうです。「仏説尸迦羅越六方礼経」

>修験道の開祖は役行者とお聞きしております。生駒を中心に活躍な
さったと聞き及んでおりますが、中心はやはりこちらになるのでしょ
うか?
 これはあまりに有名です。始祖は、役行者(本名・賀茂役君小角)で、「役」という葛木の神から神託を預かる一族の出身とされます。験力は孔雀明王法にある。葛城山、大峰山、生駒山などで修行し、大峰山上ヶ岳で修験道の金剛蔵王権現(不動明王に似て異なる)を祈り出したとされます。

>浅間神社は信州の浅間に縁があるものとばかり思っておりました。
 古語で火山を「あさま」と言います。富士山も浅間山も火山でしたから、関係はその程度でないでしょうか。富士の浅間(せんげん)神社では、木花之開耶姫(古くは浅間大菩薩と呼んだ)を祀っています。

>傾向は原始仏教なのです。
 より身近に感じます。

>修験の道具を扱うお店で、丈夫な錫杖は入手出来ないものでしょうか?
 紗波理を使っていますので、割合丈夫ですが音の方を重視していますから、打ち合いに向く作りではないでしょう。昔は、今のような鋳造では無く、打物として作られていましたから、京都の古い仏具製造元を尋ねてみられると良いでしょう。私も少し聞いてみましょう。
出来るとしても、錫頭だけで20〜30万円はすると思います。
古い良い物は、輪も沸かしづけですから、落ちる心配はありません。

>「金拳・胎拳」とはこれとは別なものなのでしょうか?
 仰るとおりで、真言密教による大日如来金剛界の結印は「智拳印」、胎蔵界は「法界定印」です。
しからば、金胎両部の曼陀羅と言うべきも、修行専念の本尊は、大日如来の教令輪身大忿怒形の不動明王にて候として、修験本尊は「金剛蔵王菩薩」剣印と拳印、吉野と熊野を結ぶ両峰分けに鎮座する。どちら側から観ても、拳印となると思って下さい。ではまた。

1655 名前: ビスキュイ 投稿日: 2005/07/15(金) 21:17:06
>空様
我々は金剛禅の門徒とは申しながらも、どうしても「拳(武術)」の修行が中心になりがちです。空様のお話は本当ッッッに為になりますので、無学な私どもにご教示いただくような感じでお気軽に書き込みをくださいませ。本当に勉強になります。これぞ法縁というものだと思います〜。

1656 名前: Syami 投稿日: 2005/07/16(土) 00:26:38
>>1654 空様

>大先達のお弟子様達でしたか。
申し訳ありません。空様には誤解をさせてしまいました。「大先達」と申しましても当門の大先輩と言う意味で、三十六入峰の「大先達」とは違います。まんじ丸君の師匠は本門の専修修行者の最古参の方なのです。

>Syami様は高野で修行されたとのこと、詳しいはずです。試されてしまいましたね。
試すなどとんでもございません。
私共は本当に若輩の集まりで、ビスキュイなどが申しておりますように他宗の大先輩とお話する機会は非常に希なのです。この度は法縁を得て大いに勉強させて頂いております。
高野で修行と言っても最初は修行用の金剛杵を自作しようと思い立ち、密教美術の勉強に赴いておりました。そのうち彼の地で行われる講義を聴くようになりその延長で簡単な修法の勉強もさせて頂きました。
最初に彼の地を訪れて驚いたのは1200年前に結ばれた界が未だ有効に働いている事でした。

>最近の金剛杖は、先が塔婆になっていて、キャ・カ・ラ・バ・アと書
>かれています。これは、空・風・火・水・地の五大を表しております。
塔婆の形自体が五大を表現しているとも学びました。

>山伏・修験が錫杖を持ち、巡礼者が金剛杖を持つと考えた方が分かりやすいと思います。
なるほど、得心いたしました。ご教示ありがとうございます。

>>本山の担当者は輪違い紋とは組み方が逆・・・。
>それは大変、三輪では組み方は逆、
>是では輪足らず(和足らず)となりますな。
やや!?これは私も寡聞にして・・・。これは不可んですね。
これはお山の者も間違いなく知りません。・・・とさっそく連絡してみれば・・・
「私達の『ソーエン(双円)』は楕円が二つ重なったもので円が二つ交わった『輪違い』とは違う」
との事でした。個人的には納得し難い返答でした。

>>真言も日本語に意訳されたものを僅かに唱えるくらい。
>「マントラ(真言)」は「アタルヴァ・ヴェーダ」の呪法韻律によって読誦されるべきで
>訳して何も得ることは出来ないでしょう。
ご教示ありがとうございます。
実のところ一人で修行する時は原文の真言で行っております。

>>浅間神社は信州の浅間に縁があるものとばかり思っておりました。
>古語で火山を「あさま」と言います。
おぉ!これこそ寡聞にして存じ上げませんでした。得心致しました。
ご教示ありがとうございました。

>>修験の道具を扱うお店で、丈夫な錫杖は入手出来ないものでしょうか?
>紗波理を使っていますので、割合丈夫ですが音の方を重視していますから
>打ち合いに向く作りではないでしょう。
錫杖は鳴り物ですからね。確かに良い錫杖は場や魂を浄めるような美しい音がいたします。

>昔は、今のような鋳造では無く、打物として作られていましたから
金剛杵も鎌倉時代辺りでは刀鍛冶が打っていたと聞きます。

>私も少し聞いてみましょう。
ありがとうございます。もし良いお話がありましたらお知らせ頂きますようお願い致します。
実は修験の方達が山行の道具としてお使いになっている錫杖は鋼で打たれているものではないかと勝手に思っておりました。

>古い良い物は、輪も沸かしづけですから、落ちる心配はありません。
最近出来た私共の錫杖は環は閉じてはあるものの蝋付けなので、振っていると時々六波羅蜜が四諦になっている事があります。(笑

>>「金拳・胎拳」とはこれとは別なものなのでしょうか?
金胎両部の曼陀羅と言うべきも、修行専念の本尊は、大日如来の教令輪身大忿怒形の不動明王にて候として、修験本尊は「金剛蔵王菩薩」
剣印と拳印、吉野と熊野を結ぶ両峰分けに鎮座する。どちら側から観ても、拳印となると思って下さい。

おぉ、これも得心いたしました。ご教授ありがとうございました。
またのご教授を楽しみにしております。

合掌再拝

1657 名前: まんじ丸 投稿日: 2005/07/16(土) 15:43:42
九条錫杖経を唱えたことは、数回しかないです。これからは、唱えようと思います。
最近はサボりがちなので、週末しかやっておりませんが、以前は、毎朝起きてすぐに鎮魂行をしてました。
摩訶般若波羅密多心経は和訳を、時間がある時は音読も読んでましたが・・・。

空様
>大先達のお弟子様達でしたか。
>通りでよくご存じの筈です。要らぬ事ばかり書いておりましたことを
>恥じます、ご容赦願います。

私は、空様とSyamiさんの会話についていけていません。半分以上は「ん?へぇ。。。」と「学習」の「学」の段階です。
ただ、技法に関しては環境に多少恵まれているおかげで、知識としてあるだけで、これまた「知」の段階で「智」に至りません。
インターネットのおかげで、ここ数年すごい勢いで法縁が広がり、嬉しく感じています。
「必要な時に師は現る」というのを実感しております。
まだまだ若輩で未熟者ですので、これからも気軽に書いて頂き、ご教示お願いします。

1658 名前:投稿日: 2005/07/16(土) 21:41:42
こんばんわ。
ご紹介は出来ませんが、山伏専門の林勘法衣店さんに率直に相談されて、
無理であれば、良い鍛冶師などを紹介して頂くことが良いかと思います。
(有)林勘法衣店http://www5.ocn.ne.jp/~room884/
まずはメールで相談されると良いです。

1659 名前: Syami 投稿日: 2005/07/18(月) 00:19:43
>>1658 空様

ご教示ありがとうございます。
ここ40時間ほど業務に痛めつけられておりお礼遅れました。
ニッケルの錫頭など良さそうですねぇ。ちょっとお問い合わせさせていただきます。


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