『ネットは新聞を殺すのか 変貌するマスメディア』の著者である湯川氏はネットユーザの間ではマスコミが嫌われ、新聞の記事が信用されていないと指摘する。その原因は読者との対話が不足しているからだと語る。
『新聞がなくなる日』の歌川氏は日本の新聞に主張や顔がないのは、明治以来、最大公約数のために記事を書いてきた「小新聞(こしんぶん)」をビジネスモデルとしているからだと語る。新聞に未来はあるのか。
文/吉村 克己 2006年4月17日公開
――日本の新聞が読者を誘導するような報道をしているのではないかという不信感が一部の人にあるような気がしますが、その点はいかがですか。
湯川:不信感というのは数値としてはとても調べにくいものだと思いますが、一応、先進国の間では新聞に対する信頼度調査がありまして、それによれば日本人は先進国の中で最も新聞を信頼している国民だという結果が出ていました。もっとも「信頼」という言葉自体が言語によって違ってくるので、一概には比較できませんが。
私のアメリカ生活体験からいっても、日本人の方が新聞に対する信頼は強いかなと思いますね。しかし、それもインターネットの普及で急速に変化していると思います。というのも、何か注目すべき事件や事故が起きると、インターネットでは全国紙各紙の報道ぶりを並べて比較するようなサイトがたくさん出てくるようになりましたから。
それを見ると、どの新聞がどのような取材をして、どこが手抜きなのか、あるいはどこが誤報を流したのか一目瞭然です。それで、新聞はどうも信用できないなというムードがネットのユーザの間で広がっています。
読者が「記事を鵜呑みにできないな」と思っているので、毎日新聞さんなどもそれを感じて「主張を押しつけるだけの新聞はもういらない」といったキャンペーンを張っていらっしゃるのでしょう。
このように新聞もいろいろな主張を並べてみせるという方向に向かっており、ネットはその先を行っていますから、確かにかつてほど新聞への信頼はなくなっていますが、それは必ずしも悲観すべきことではなく、読者がメディアリテラシーを獲得して、賢明になってきたということではないかと思っています。
週刊誌が売れるのは“嫉妬”
――新聞の社説などを見ると意見が次の週には変わったり、皇室典範改問題で「宮様は発言しない方がいい」といった傲慢な態度を感じます。一方、週刊誌は一時よりまともになってきたように思いますが。
歌川:週刊誌のビジネスモデルは一品料理なんですね。これに対して新聞は幕の内弁当だから、新聞社が作る週刊誌は売れなくなる。売れている週刊誌がいま何をターゲットにしているかというと、“嫉妬”なんです。
私もたまに週刊誌を読みますが、読むのはほとんど電車の中です。週刊誌をよく読む人は通勤時間の長い人が多いですね。私の家も相当遠い。つまりは、裕福な家庭じゃないということですよ。日本の中流社会は下流になり、二極化が進んでいるということです。
家の遠い人は社会に対して「こんちくしょー」と思っている。だから、スキャンダルが大好きなんですよ。私は週刊誌が嫉妬をテーマとしている限りはこれからもかなり有望ではないかと思っています(笑い)。
新聞社も週刊誌を持っていますが、雑誌系の出版社にはかないません。これは同じ週刊誌でもジャンルがまったく違うからです。雑誌系は特別なセンスを持っている記者が多いですからね。いい悪いは別として。幕の内弁当屋が経営する週刊誌は負けますよ。
『ネットは新聞を殺すのか?』&『新聞のなくなる日』(その3)2
同じような記事を書いていると排除される
――日本の新聞社、通信社は世界中に記者を派遣していますが、相当な費用がかかっているのではないでしょうか。
湯川:世界に取材ネットワークを持っている会社はテレビ局を入れると、おそらく10社ほどあります。それは大きな取材力だったのですが、今後はネット上にニュースが流れるようになると、テレビも新聞も通信社も関係ないので、激しい競争になるでしょうね。
地方紙はまだ堅調だというお話がありましたが、それは競争が割と少ないからでもあります。常に地域の情報を独占できるので、まあまあやっていける。一方、10社が同じ土俵で戦うとなると熾烈になります。
私は世界中の新聞社、通信社、テレビ局、個人のブログの流すニュースを一覧表示できるソフトをパソコンに入れてありまして、40サイトほど登録してあります。1日に目を通す記事が600〜800本ほど。
はじめは日本の大手新聞社3紙を登録してあったのですが、ほとんど同じことが書いてあるので、いまは1社だけ登録しています。ボタン一つで簡単に解除できますからね。そのように同列に並べて記事が簡単に読めるようになると、同じような記事を書いているマスメディアはどんどん排除されていくでしょう。
戦争取材ができないのは労働組合のせい
――戦争報道などで、日本の新聞記者はあまり戦場に行かないという話も聞きます。これに比べて外国の記者は犠牲になることも多いが勇敢に取材して、いい記事を書くことが多いような気がしますが、いかがですか。
湯川:戦争とか紛争が起きると、行きたいという記者は私の回りにも山ほどいます。私も本当に戦争取材がしたくて仕方ありませんでした。それで命を落とすことになってもいいと思いました。日本では実際の戦争を見る機会などない。そうした機会を得ることができるのは私たちの喜びなんです。
だから、記者個人としては日本人が欧米記者より劣るとか、ジャーナリスト精神が足りないということはないと思います。しかし、労働組合の問題はあります。労働組合の存在によって危険な場所には積極的に行けない。だから、多くの場合、フリー記者が戦争や紛争現場で取材し、大手メディアに配信しているのです。
歌川:どこの国でもやる気のあるジャーナリストも、ないジャーナリストもいる。日本だけが劣っているとは思いませんが、一つアメリカと比べて違うのは日本の方が「会社あっての記者」という意識が強いかもしれません。アメリカの場合は、あくまでも個人がたまたま新聞社などに勤めている。そして、自分自身が断固として報道の自由を追求していくんだという気概を持った記者がいる。
そうした気概を持てる文化なのかどうかが背景にあるが、記者個人の資質の差というものはないと思います。
『ネットは新聞を殺すのか?』&『新聞のなくなる日』(その3)3
新聞はもっと読者と対話せよ
――最後に、新聞はもう少しこうあってほしいといった希望をお聞かせ願えませんか。
湯川: やはり新聞はもっと読者と対話をしてもらいたいと思います。いまようやくインターネットという道具が出てきて、対話できる環境が整っているのに、いまだに情報は一方通行です。それがちょっと残念ですね。
ネットではマスコミという存在は嫌われていて、「マスゴミ」などと呼ばれています。それは、やはり我々マスコミ人が読者に門戸を閉ざしているからだと思いますよ。これから報道機関はもっと読者の意見を聞き、情報交換してもらいたいと思います。
歌川: 日本の新聞社が作る電子新聞は底があまりに浅すぎます。例えば、私が『新聞がなくなる日』という本を書くときにアメリカの新聞社の電子新聞を調べましたが、情報が大量にある上にリンクを縦横に張って、どんどん奥底まで調べていける。
ところが、日本の電子新聞はほとんどリンクを張っていないし、情報量も少ない。お皿にケチな人が盛ったちらし寿司みたいなもので、ハシがすぐに皿に当たっちゃう。ケチなことをせずにどんどんリンクを張って、記事の内容で真剣勝負をしてほしい。産経新聞は最近、若干やるようになっていますが。
新聞社会の木鐸ではなく鏡(以下は会場からの質問者とのやりとり)
――かつて朝日新聞は「北朝鮮は夢の国」と思わせるような記事を書き、北朝鮮が拉致問題を認めても、申し訳ないとすらいわない。各新聞社にそれぞれ「顔」があるとしたら、特徴ある報道はそれでいいが、顔という看板に対してもっと忠実であってほしいと思うのですが、いかがでしょうか。
歌川: 実は日本の新聞には顔がないんです。私はこの問題に相当悩まされました。絶望したり、あきらめたり。なぜ、日本の新聞が信念を持った発言をしないのかというと、それは歴史的な問題なのです。明治時代に「大新聞(おおしんぶん)」と「小新聞(こしんぶん)」という言葉がありました。これは発行部数を指す言葉ではなくて、社論という顔があるかどうかなんです。
大新聞が政論を漢文調で主張する硬派であるのに対し、小新聞は下世話な世相や事件を取り上げた。発行部数は小新聞の方が多かったんです。現在残っている全国紙は小新聞の系統なんですね。大阪の朝日新聞がその歴史を作ったといわれていますが、多数の人に売るために客観主義を標榜した。だから、顔がないというのは明治から始まっているのです。
朝日新聞の有名な記者だった扇谷正造さんが「新聞を社会の木鐸と思っちゃいかん。新聞は社会の鏡だ」といいましたが、我々は国民の大多数、最大公約数を頭に置いて記事を作りなさいという教育を受けてきた。顔がないのもその結果なのです。
湯川 鶴章(ゆかわ・つるあき)
1958年生まれ。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒。サンフランシスコの地元記者を経て、時事通信社米国法人に入社。2000年5月より現職。著書に『ネットは新聞を殺すのか 変貌するマスメディア』(NTT出版、共著)、『ブログ・ジャーナリズム 300万人のメディア』(野良舎、共著)など。
歌川 令三(うたがわ・れいぞう)
1934年生まれ。横浜国立大学経済学部卒。毎日新聞社に入社、ワシントン特派員、取締役編集局長などを経て退社。中曽根康弘氏の世界平和研究所設立に加わり、主席研究員。現在、東京財団特別研究員。多摩大学院客員教授。著書に『地球紀行 渡る世間には鬼もいる』(中央公論新社)、『新聞がなくなる日』(草思社)など。