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60周年ですか。

 私には少林寺拳法の技術というものがわかりません。 技術もまた無常を免れず移ろいでいるようですが、また変わらないものもあります。

 開祖の技を追う人がいます。これを正統だと呼ぶ人がいます。
 中野先生の技を追う人がいます。これを正統と呼ぶ人がいます。
 しかし、動画や伝聞を見る限りこの二人は似ているというレベルすら感じさせません。真実は万事に示されていますが、多くの場合は形から入りますから実際の指導の場では複数の正統な形が存在することになります。結局のところ、これら正統など虚無なのではないのかと思ってしまうのです。
 また直系の師の技を追う人がいます。教外別伝を考えればこれはとても自然なことです。

 たまに私は学科の時間に言います。合宿などの長い学科の時間には必ず最初に言います。私の生年月日と期生を示すのです。私は開祖には会った事がないのです。私は開祖を知りません。
 多様な技術に興味があるのです。単に「古い」技術に興味があるのではありません。私は開祖の技、中野先生の技にはまったく興味がありません。それを学んだ先達の生の技に関心があるのです。どれが正統だとか、どれが「正しい」などどうでもよいのです。触れたことも会ったこともない人の技術など、水面に写った月に過ぎないのではないかとこれを恐れているのです。


 生物種は生まれ滅ぶのです。それが人為的にしろ非人為的にしろ盛者必衰栄枯盛衰を免れないのです。今のままに保持しようというのはヒトの束縛にすぎません。 滅したの生物それは、仏法で言えば得度されたのだと思います。人は生存競争・弱肉強食に敗れたというかもしれません。これも誤りではありませんがその生態的地位を終えたともいえます。大乗が生きることは救いであると説くように、生物学ではマイナーチェンジを繰り返しつつも収斂進化が見られることは、種が滅んだということはその時もう役目を終えたともいえます。自然界は役割(ニッチ)のないものを生かすほど優しくはないのだと思います。りんごが落ちる理由は地球を好いていたからではありません。

 もし本当の技術というものがあり、いつまでも残るようなものであればそれはもっと平凡でもっとも一なるもの、たとえばそこらに舞う大腸菌やウンコに塗れたバクテロイデスのような存在だろう。成長因子を要求するマイコプラズマは生物としてはやや脆弱と言わざるをえない。 閉鎖環境に安住したドードは弱いのだ。

 法形という言葉は実にうまい。変わるもの(形)と変わらないもの(法)、この相反するがゆえに切り離していけない、不二をよく示している。形は変わる、開祖と中野先生の形が違うように。しかし変わらないものもあるはずだ。それはけっして見るものではなく、観るものだ。形まで「変わらないもの」にするなど無理(理が無い)な話だ。
 正統でははない技でも、その技が用をなしているならそこにはいくらかの真実が含まれているのではないのか。乱捕りとは、その小さいな小さな「いくらかの真実」をかき集める作業ではないのか。


 2ちゃんには達人が多い。
 ある者はいう。じぃさん達は格闘技の50年の進歩を知らない。ローキックの受け方すら知らない。戦後のままの技術だ。
 またある者はいう。若いやつらはかつて教えられていた正しい少林寺拳法を知らない。本当の少林寺拳法を知らない。

 いったいこの両者にどれほどの差があるのが。肯定という自己制限・否定という拒絶にどれほどの差があるのか。またある板はではいう。仏教など邪教だ。続く、大乗仏教など本来の釈尊の教えとは異なる。またいう、禅宗など外道だ。また繰り返す、金剛禅など異端だ。実に面白い、フラクタルだ。

 結局は少林寺拳法の拳士は他人を認めることができない。他流のことなどなおさらだ。もとより他人を認めること受け入れることは難しい。しかし少林寺拳法はさらにそれを困難にしている。肥大した知識が強固な壁を作り出し、他者を拒み自らを狭めている。その壁はあまりにも厚い。私もそうだ。眼が開かぬ足が動かぬ。悪臭を放つもーのしりだ。
 拳士は自分を信じることができない。信じるにたる痛みを知らない。つまりここには易筋などない。またさらに厳しい現実として、少林寺拳法は組手主体ということだ。開祖曰く「人を知り己れを知る道だ」というが、今の少林寺拳法に道をつけることなどできるのか。

 おそらく少林寺拳法は今後もこの知識の壁、知識の束縛を超えられないだろう。少林寺拳法の現行教育システムはあまりにも不完全だ。その傾向は今後より進むのではないかと思う。これは禅宗ならばもっとも畏れなければならない傾向ではないのだろうか。拳法というこれほど用いやすい別伝題材が示されているのになんと勿体無い事か。



 少林寺拳法は今年で60周年を迎える。40年後に少林寺拳法てあんのかな。
 少林寺拳法に幸あれ。
2007年10月29日23:55


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