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部分と全体。


少林寺拳法はパクリ」!?
 なんてことは、きっと今でも2ちゃんでは書かれまくっているんだろう。ハッキリ言ってパクリでええやんといつも思う。パクられないような技術こそ恥ろというものだ。昔の少林寺拳法は(うそかほんとか)よくパクパクされたという、具体的な話も聞いたことがある、むふふ。昨今知らん、わはは。 

 大切なことはそこでないと思うのです。部品はあちこちからパクればよろしい。要点はどう組み立てられているのか、どのように組織されているか、
どのように体系化されているかではないかなと思います。ブランドで身を固めても組み合わせが悪いと成らんものです。最高の食材を集めても美味しいとは限らないのです。対してユニクロだってかっこよく着こせる人もいます。そこそこの食材でも、以下省略。

ままこの画像は、コントラストとかモデルからして差がありますけど。


たとえばお勉強なら
 学問だってそうじゃないか。基礎がっしっかりした上に編み上げられた知識は頼もしいが、個別に存在するだけの雑学などなんちゃーことない。たとえそれがどんなにレアな知識でも。小学校のテストであれば、授業でAはBと習い、テストでAを問われBと回答すればよかったかもしれない。でもだんだん勉強が進めば、
  • AのときBであった。ではB'はどうなるか。
  • AのときBであった。ではCはどうなるか考察せよ。
  • ABが知られているが、そんでもってCDというデータがある。ではEはどうなっちゃうのかな?
とかとか、まぁ習ったものがそのままテストに出るだけの事はなくなってくる。多少実際のEと回答が間違っていても、その考察次第では点数もくれます。むしろ考察の方が大切な場合もよくあります。ではその考察の根拠はなんだ。


A→Bで法形
 Aは現象である、ここでは原因だ。Bも現象である、ここでは結果だ。そしてAとBを結んでいるもの「→」これは理だ。宗教で言えば、東西ともに「はたらき」とか言う、表現はいろいろあるけどね。拳法なら原理原則とか言うてもいいし金剛禅なら法と言うてもいい。ダーマというてもいい。目に見えないけど存在するやつね。「A」と「B」はのあるもの、それと「→」ので、あわせて「法形」ね。
 AとBの関係が分かれば、未知の事柄でもある程度の予測ができるかもしれない、これが科学でしょう。理系だって基礎は詰め込みでやってます。たくさんの現象を知っとくほうが有利だから。でもそれはすべて「理」を得るための詰め込みです。
 そんで話を拳法に戻すと、たくさん基本やってそれ組み合わせて法形にするでしょう。たくさん法形やってそれたくさん組み合わせて乱捕り、そんで演武するでしょう。大切なことはその中にある流れ、つまり「はたらき」は本物かということです。それがうまく個々を全体として結び付けているかと言うことです。

 いくつもの現象を学ぶのは「はたらき」を習得するため。それにそれを練りあげて高次の体系を作っていく、学問でも拳法でもこの過程はあたりまえでしょう。これが分かんない人が、パクリ言うたり、言われて気にしたりする。くだらんね。言わしとき。

 全体全体と言うてますけど、別に部分はくだらないと言いたいのではありません。それぞれの部品の質が高いことももちろん大切です。しかしその質が生きるためには全体のなかでの位置付けがまた大切になってきます。結局のところ、全体の無いところに質の高い技とか言ってみても、そんなものは単なる宴会芸で終わってしまうのです。部品はやはり必要なので部品から教えないといけません。しかし終始、部品だけの修練で終わってしまいがちな少林寺拳法はもったいない。位置が決まったとき部品も全体も生きる。
 体系
もある程度は教えることができるが最後はの最後は自分で生み出さないといけないものです。それは失敗と工夫を繰り返すしかありませんでしょ。


少林寺拳法はパクリ!!
 例えそれぞれの、個々の技がパクリでもそれをもって作り上げた体系(system)を見る者がイケメンです。パクリパクリとか見ると「ああ、この人は現象しか見ることができないんだな」と思う。こういう相手はほどほどに相手しとけばいいんです。いい師匠に出会えるといいでね、としか思えん。
 そして拳士に対しても思う。あんまり細かいところまで気にするな、粗探しばっかりするなと。細かいとこばかり見てると全体が見えなくなる。全体を見ることは容易ではないけども、でも
観ようとする意志が無ければそのままだよ。そういう構造を見る視点が拳法で身に付けば、きっと道場の外でも役に立つしね。
 ついでに言うと、拳士はもっと他流派様をパクリなさい。自分の体系に適うと思えば貪欲にパクリなさい。開祖だって、どこかで「少林寺拳法」を習ってそれを多度津で教えたわけじゃない。開祖もパクリまくって、そんで自分の形を創り上げたんだし。

 最後に教範から引用。
(前略)
 私は戦前に、中国で拳を学んでいるうちに、或るとき、ふと、このことに気が付き、それまで修行していた各種の技術を分類整理して見て確認したことは、前記の三種類の原則動作とそれの利用や組み合わせによる数十種類の方法を、物理学的或いは生理学的原理に基づいて行っているに過ぎないと云うことであった。
 そのことが解ってからの私は、柔道や空手、ボクシング、相撲その他を研究し、(中略)これを戦時中に得た貴重な実戦の体験と私の創意ほ加えて茲に少林寺拳法を編んだのである。(後略)
「『少林寺拳法教範』 第三編少林寺拳法について 第一章少林寺拳法について ニ少林寺拳法の創始」より一部引用

戦後日本で創始された少林寺拳法も、毛主席に云わせれば、日本人は再び中国の余技を集めて少林寺拳法をつくったと云うかもしれない。しかし、我々はあえてそれに反対したり否定する必要はないと思っている。なぜならば、たとえ元は異民族のものであっても、それが良いものとわかればそれを充分に採り入れて我が物となし、長を採り短を補って改良し、それを自分の民族に適合するものに育て上げることは、何等はずべきことではなく、むしろ自信を以って、これを誇るべきではないかと信じているからである。
「『少林寺拳法教範』 第二編印度拳法の発生と仏教の関係 第三章中国の武技と日本の関係」より一部引用
 少林寺拳法はパクリ、仰るとおりさ。




 少林寺拳法は個々の字を綺麗に書こうとはするが、全体のことはあまり考えない傾向がある。
 何故なら少林寺拳法では、個々の技に対して蘊蓄量がすさまじく、、、トメ・ハネ・ハライを言われたとおりにこなすことで、もう精一杯である。
 しかし、個々が綺麗に書けても、全体のバランスが悪ければ、結局その綺麗な字も生きることがない。
 世の中には基本が下手だけど乱捕りは上手い、という者が確かに存在する。実社会にも居る。そういう者は体系が生きている。

 自分のスタイルを我に還せ、そして生命を宿す、それが宗門の行。

自分の拳法が体系化されているかのチェック

  1. 新しい知識を得たときに自分の知識の中で、どの知識に付け加えるべきなのか、ある程度思いつく。どの引き出しに入れべきかが分かるか。(既知のインプット)
  2. 未知の場合、新しい引き出しも用意できるか。(未知のインプット)
  3. 未知のものを体系に組み込むために、引き出しの中から相性のいいものを模索できるか。(インプットの整理)
  4. 後輩の質問に、八割以上すぐに、それなりの解答が出せるか。(既知のアウトプット)
    ゆっくり考えれば対処法がある。それはまだ未分類の引き出しに入っている可能性が高い。拳法に限ればゆっくり考えるのはアウトであるけど、また体系が最適化できる可能性はある。
  5. 見たことも無い事態に、思考停止をしないか。(未知へのアウトプット)
    対処できる引き出しが無ければ、体系に穴があるか整理が完了していないか。「諦める」というのもありだけどw
  6. ある程度、体系化に満足したら、使ってない引き出しの中身を捨てることができるか。要するに自分の体系の性質を知っていて、合うもの合わないものの判断ができるかどうか。(アウトプットの整理)
 要は、君のエロ画像フォルダと一緒だよ!!


体系はひとつとは限る必要もない。いくつかスタイルがあるのもいい。
  • 強い人とやるスタイル・同じくらいの人とやるスタイル・格下とやるスタイル
  • 組み技相手の人とやるスタイル・打撃得意の人とやるスタイル
とかね。
  • 仕事の時の思考パターン、家族と過ごすときの思考パターン
とか、ある程度いくつかあるもんかもしれない。まぁいずれはこういうのもまとまって来るんでしょうけど。ただ、何が何でもひとつ出なきゃ見たいに考えると、それはそれでしんどいかなと。


最後に、ネットの情報
 以前掲示板で「現代は大抵のことはネットで調べれば分かる」と書いてた人がいたけど、それは本当だろうか。多くの場合それは煩雑な知識の波に過ぎないのではないか。私はそれらのほとんどが体系化されていないと考えている。それほどのボリュームはない。もちろん既に持ち合わせた体系にいい刺激を与えることはあるだろう。しかしネットの情報で何かを本当に学べるなんて考えは浅はかだと思う。
 多くの場合は素人が書いている。専門家が長年にわたり継続的に追いかけてきたものではない。やはり専門家の立場で書かれた書籍や、図書館という存在意義は極めて大きい。また結局のところ書籍ですら不足するのが現実だろう。我々は体験を尊ぶべきである。
 故に、丸廉サイトなんて真面目に信じてはいけない。読んでどんどん意見したくなるくらいがまとも。鵜呑みにしてはいけない。そこんとこ、よろしく。


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