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実戦で使える合気道、                 (範囲:当ページの全て)
合気道S.A.の関節技『格闘Kマガジン 2004 MAY. No.68』P.111-112より


  打撃を取り入れ、試合を行うなど、合気道の中では変わったスタイルを取り入れているのが合気道SAだ。演武のイメージが強い合気道において、合気道SAは、どのようなスタイルで行われているのか。合気道SAの櫻井文夫代表に、その技術と考え方を紹介してもらった。


Q.擾井先生は「実戦に使える合気道」をテーマに合気道SAを立ち上げられたわけですが、そもそもどういうきっかけで始められたんですか。
A.私は中学生くらいのときから武道には興味があって、空手や柔道を習ってはいたんですが、合気道にも興味があったんです。それで、私が高校1年生のときに、合気道を学ぼうと思ったんですが、当時は合気道の本は、塩田剛三先生の『合気道の楽しみ方』とか、『合気道入門』くらいしか無かったんです。それでその本で養神館の住所を確認して、道場に行きまして、入門しました。それで、塩田先生などに教えていただきながら、合気道を続けて、職員になったんです」

Q.1養神館から独立を決意されるようになったきっかけは何だったんですか。
A.「私が合気道を習っていて感じていたのは、武道としての変わっていく姿勢が感じられなかったということです。私は武道を習う以上、実戦で使えないと意味がないのではないかという思いが常にあった。しかし、合気道の場合は、型稽古は行うんですが、そこで止まってしまっていた。もちろん型稽古は重要なんですが、型だけでは形を追求するだけで終わってしまう。本来ならそこから先の、なぜこのような型を習うのかという部分から、型を反復練習することによって、実戦で使えるようにしていかなくてはいけないのに、その手前の部分で終わってしまっていたわけです。
私は塩田先生という、達人に指導していただいたわけなんですが、塩田先生も型は教えてくださるんですが、その型の一番大事な、真のエッセンスについては教えてくれないわけです。その、一番大事な部分を教えて、後の世代につなげていかないと、武道としての発展はないな、という思いがありました」

Q.合気道を習いながらも疑問を持っていたわけですね。
A.「私も塩田先生に師範にまでしていただきましたから、ある程度は認めていただいていたと思うんですが、やはり組織に属しているわけですから、その中で批判はしづらいですよね」

Q.塩田先生とそういうお話はされなかったんですか。
A.「もちろん、何度か私の疑問を聞いたこともありましたが、先生は『試合はあくまでヨーイドンで始めるもので、真の武道とはそういうものではなく、いつ誰が襲ってきてもいいように対処できるようにするのが武道だ』という趣旨のことをおっしゃっていた。ですから、試合の話なんてとてもできなかった。試合をすると技が汚くなる、美を追求するのが武道だ、ともおっしゃっていました。私も美を追求するというのはわかります。しかし、試合などの実戦無しに、型稽古だけで美を追求したら、それは単なる様式美ですよね。
うわべだけのきれいさを追求するのはいくらでもできると思うんです。それが果たして武道なのかなと。泥くさい稽古を散々重ねていって、最終的に完成されて美しくなる、それが武道の美ではないかと思いました」

Q.塩田先生とは異なる考え方だったわけですね。
A.「塩田先生のお立場もありますから、一概に試合を肯定するわけにはいかなかった部分もあると思います。ただ、様式美を追求するのみの型稽古に終始していたら、古典芸能と同じではないかと思います。本来の、昔の型稽古というのは、もっと実戦のエッセンスが詰まっていたものだったのではないでしょうか。そのエッセンスの部分をなおざりにして、型の美を追求して果たして武道なのか、これから先も生き残っていけるのかというと、厳しいかもしれませんね。
当時の道場では、試合のシの字もいいだせない雰囲気がありました。例えば私が、『試合をしないとこういう部分がわからないのではないですか』といっても、『それはお前の型稽古のやりかたが悪いんだ』といった感じでしたからね。私はもっと幅広くとらえたかったので、最終的には養神館をやめ、36歳のときに合気道SAを設立することにしたんです」

Q.塩田先生は反対されなかったんですか。
A.「辞めるときに館長室で塩田先生とお話をして、私はこういう考えなので、もっと合気道で実験をしてみたいので辞めますという話をしましたが、先生は『よし、わかった』とおっしゃられていました。ですから、ケンカ別れしたわけではないです。応援してくれるとまではいいませんが、認めていてくれた部分もあったと思います。具体的にどんな試合をやっていたかまではご存知なかったと思いますが、櫻井は試合をやってる、くらいのことは存じていらっしゃったでしょうね」
Q.そして合気道SAで活動されているわけですが、現在は会員の方は.どのくらいいますか。
A.「今は500人以上いると思います。ウチの会員さんは様々ですね。ただ昔と違うのは、必ずしも合気道の技を習いたくてウチにくるのではなく、たまたま近くに道場があったんで習いに来た、という方も多いですね。合気と気を混同してらっしゃる方も来ますし。空手はきついけど、合気道ならできそうという方も多いですね。今はもっと合気道SAの知名度をあげていって、いろんな人に知ってもらって、武道としての合気道の面白さや、護身術として広まっていければいいと思ってます」

Q.護身についてはどのように考えてらっしゃいますか。
A.「例えば危険なところに近づかないとか、いろいろあるんでしょうが、私は良質の稽古を積み重ねて、実戦に役立てていくことだと思います。もちろん試合と実戦は厳密には同じではないですが、型、そして試合の積み重ねが護身につながると思います。ただ、意味の無い稽古を積み重ねるのではなく、いい指導者のもとでちゃんと役に立つ稽古を行う、それが武道であり、今後も生き残っていけるものではないかと思っています。そういうものの中に、合気道SAが存在できるように頑張っていきたいですね」




櫻井文夫(さくらいふみお)
1954年、東京都生まれ。15歳で養神館に入門、塩田剛三門下で、合気道を習う。23歳で本部職員、25歳で本部師範。36歳の時に養神館を辞め、より実戦的な合気道SAを設立。合気道SAの普及に尽力している。

  どうも私たちの少林寺拳法とかなりかぶるような耳が痛い内容ではないでしょうか.同じ内容でも他流派を見ることで客観的に話が聞ける気がします.櫻井先生も悩まれたようですね。えーと,1954年生まれで36歳の時に設立だから,1990年に設立ですね.合気道では15年ほど前にこういう問題が表面化していたということですが,少林寺拳法でも月刊誌ではたまに似たような議論がありました.
今回はあえて何処も強調文字を入れていませんが,かなり沢山着目した箇所が有ったんではないでしょうか.
(615期生)


『格闘Kマガジン 2004 MAY. No.68』P.111-112より
「合気道S.A. 実戦で使える合気道」の一部.上記の文章以降も記事は続きます.記事に興味が沸いた方はバックナンバーでどうぞ.バックナンバーも買えます.
合気道S.A.

 【関連参考】月刊誌の乱捕り特集 新人戦は超人への大きな第2ステップだ


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