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第9回 「居合道」選手権大会
アンドレアス・トーンゼック(1967年生,フリーレポーター)

 日本の剣術を専門にした協会がドイツにあると知って驚いた。7月27日、デュッセルドルフで行われた「第9回ドイ
ツ居合道選手権大会」を見に行ってわかったことは、ドイツには正式に「連邦居合道連盟」があり、250人もの会員
が日夜、「居合い抜き」の練習に励んでいるということた。選手権大会の前には、1週間の講習会が開かれ参加者
が一緒にトレーニングに励んだ。

物音がしない会場
 ドイツ人が「日本の刀」と聞くと、なんといってもまず、キラリと光る家伝の名刀で相手を次から次になぎ倒してゆく
孤高の「サムライ」の姿を思い浮かべる。映画でおなじみのあのシーンだ。だが、こうしたイメージをもってデュッセ
ルドルフの居合道選手権を見に行った人は、一瞬、「会場を間違えた」と思うだろう。そして次は、シーンと静まり
かえった会場に大いに戸惑うことになる。私は同市ガラート地区のスポーツセンターで開かれた講習会を見学し
たか、80人もの参加者か一緒に練習している会場は、トレーナーの掛け声を除いて,水を打ったように物音一つ
しない.刀がかち合う音くらい聞こえてもよさそうなのものだが,実は,居合道は刀を抜き,立ち振るう競技で,刀
どうしは決して触れ合うことはない.これは今回、私が一番始めに学んだことだ。

昔は人、今は空を切る刃
 会場に入るとすぐ、練習場が参加者にとって特別な場所であることに気がついた。黒い胴着をまとった参加者のだれもが,練習場に足を踏み入れる時にお辞儀をするからだ。参加者はまず、静かに、そして集中して刀を抜き、一人稽古を行う。その際に、シュ、シュと奇妙な音かするが、これは刃が空を切る音この刃は昔、空気ではなく人を切っていたのだが今日の居合道はきわめて平和的だ。東京からやって来た72歳のソエジマ・マナブ師範は、居合道は本来官分の命を守り、相手の命を奪う」という直接的な自己防衛手段たったが、その攻撃的な側面は、今ではすっかり失われてしまったと教えてくれた。今日の居合道は相手ではなく自分との戦い、そして技だけでなく、人間を内と外から磨くスポーツなのだ。
 ソエジマ師範が練習場に入ると、参加者全員が集合して一列に並び、正座して床に刀を置いて、師範にあいさつした。それから初心者、中級者、上級者の3グループに分かれての練習か始まった.師範はもちろん上級者の指導にあたったが,見ていて面白かったのがその時のドイツ人通訳のようす.大学で日本学を修め、自らも居合道を習っている人だったが、ソエジマ師範の言葉をすばやく訳して参加者に伝えるたけてなく、師範の厳格な、また時には不満そうな声の調子までそっくりそのまま真似るのだ。

「スポーツではない」
 さて居合道選手権大会は、赤と白の腕章を付けた2人の競技者かまず、試合場をはさんでお互いに、そして審判に向かって礼をすることから始まる。そうして試合場に上がった2人は、「横一線に」構えて、同時に5つの決められた形(かた)を披露する。見えない敵に向かって刀を突き出し、引き寄せ、切りつける動作をいかに早く、そして正確に行うかを競うのだ。足の位置がすれたり、表情に気合いか入っていないと減点されるから要注意。こわいくらい神妙な顔の3人の審判は、競技者の一挙一動を見逃さない。2人が5つの形を全て終えると、3人の審判がそれぞれよかったと思われる競技者の腕章の色の小旗を上げる。2人以上の審判から支持された競技者が勝ちというわけだ。同選手権大会にはもちろん女性も参加していた。上位に進出する女性も多いそうた、動きの速さ、正確さ、そして見えない相手とたたかう点でめい想的ともいえる居合道は、見る人を魅了するそして、一番最後になって私が学んだことをひとつ。インタビューで終始、居合道のことを「スポーツ」と呼んでいた私に対して、ソエジマ師範は言われた.「居合道はスポーツではありません.言うならば、長い伝統に裏打ちされたひとつの人生観であります」
        


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