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「いきどおり」ではなく
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ある仏教関連のエッセイで以下のような内容があった。
- 大日如来が象徴する性質は、「智慧」、不動明王が象徴する性質は、「怒り」。
大日如来と不動明王。誰でも聞いたことくらいはありそうな、なんかお寺で見れそうなビックネームです。この二体、密教ではとても大切な存在なのですが、不動明王は「大日如来の化身、或いはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。wikiより」という。
つまり大日如来と不動明王は別個のものではなく一体であるという認識がらすぃ。このエッセイにも一体とあり、何故かというと、
という。例えば、社会に目を向ければ知れば知るほど人の世には様々な混沌と不条理、欺瞞に満ちている。このような不条理や欺瞞を知り怒りが沸かないとすれば、
となっ。暴力沙汰、政治家の汚職、大企業の隠蔽、性犯罪…知れば知るほど腹立たしい、、、時もあるよね? いくらかは。このエッセイには、
- 昭和初期までは、「社会闘争」というのは仏教者の常識だった。仏教者から「社会闘争」の臭いがしなくなったのは、坊主が保身に回ったからである。
なんて過激なこともw |
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| ↑大日如来 ふふふ(-∀-*) |
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| ↑不動明王 憤ってます |
まぁ私としては、別に大日如来や不動明王は信仰の対象じゃないけども、仏教においてこのような話があるのは実に面白いなぁと思ったわけです仏像見るのは好きだし。また私にとって仏教とは「癒し」「平安」という印象よりも「闘争」「葛藤」「克己」という印象がずっと強かったので比較的受け入れやすかったのです。「社会闘争」てとこね。
実際、開祖も「このままじゃ日本がダメになっちゃう!!」ということで発願し、教範に『真実の仏教は…口先だけの慈悲や忍辱を説いていたのではなく、平和で住みよい世界を作るためには、積極的に行動することを教えていたもので、正義、正法を守り、理想世界の実現をはかるために、破邪顕正の力の発現を認めて、それを仏像に表した…』と書いたわけでしょう。
佐藤一斎曰く、「憤の一字は、是れ進学の機関なり。」 まさにこれ。
この、大日如来の智慧、不動明王の憤怒に相当すると考えられるものが金剛禅にもあります。力愛不二、そして天方と地位です。力愛不二=行念一致ですから、ここでいう、憤怒は「念」、智慧はこれを実行する力となるものだから「行」となるんとちゃうかな。
『義を見てせざるは勇なきなり』という言葉があるように、「あっ!!」と思ったときに即実行できる実力があるというのは素晴らしいことだし、また大切なことだと思います。力愛不二というのはこういうものではないかな。
【関連・参考】心外無法 | 開祖法話 | 怒りということの大切さ、君らは忘れていやしないか 天方と地位と力愛不二
※「憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや。予何人ぞやと、まさに是れ憤なり。学は立志より要なるはなし。立志もまた之を強いうるにあらず。ただ本心の好む所に従わんのみ。」佐藤一斎
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