まぁ、実際のところはどうかわかりませんけど丸廉サイトを覗いている人の一定の割合の人は乱捕り稽古だとか、護身術として少林寺拳法!!!、とか言われるものに関心が高いのではないかと思います。比較的関心の高い人であって、道院やら支部やらまたクラブやらで孤独な模索をしているという人も、まぁいるのかなと、思うのであります。
いまさらではありますけど少林寺拳法では、何故か乱捕り稽古に対して積極的姿勢を見せるとあまり気持ちのよろしくない視線を感じることがある。そしてたまになんか言葉を懸けられるとよくわかんない的外れなことを言われたりするものです。経験はありませんか?
そんな言葉の中で、今回はひとつ取り上げてみようかなと思います。それは、「実戦派なんですね」である。なんか近いこと言われたことないかな。そんな時は、そもそも護身術という看板も掲げているわけだし、とまた繰り返しになるいろいろな定型文が浮かぶわけであります。
少林寺拳法では勝たなくてもいい負けなければよろしと説きますが、負けないためにも自己の実力はちゃんと知っておかないとまずいわけです。この体格にはこのくらい間合いを取っておきたいなとか、この感触は(今の私の実力では)柔法かからないなとか、まぁそういうことですかね。掛からないなら掛からないなりの対処があるわけです。なんかしら検証を要することは当然の成り行きであります。基本的に負けると感じたら選択肢はダッシュしかない。勝てるのか勝てないのかまったく判断つかないのが一番まずいのではないのか。
どうせ痛い目見るのは自分ですよ。あんまり自信は無いけど、もう三年もやってるし、黒帯にもなったからきっと大丈夫だろうとかそんな判断で我が身を危険にさらせるだろうか、何よりそれは後輩を危険にさらすことにもなる。それは不誠実といわざるを得ない。
だから私はこう言うんだ「いやいや、実戦派じゃなくて誠実派て言ってください」て。だって自分のできることできないことを「ちゃんと」検証としてるだけだもん。実践派?そりゃ的外れだ。模試を受けただけで「実戦的!!」とか言う人はいない。実生活で、もしそんなこと聞いてくる人がいたら「こいつまさか拳士か!?」と疑って試しに合掌礼でもしてみるといいかもしれない。
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