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 拳法も時代とともに変遷があります。例えば最近の拳法は、「どちらかといえば」、大きな体捌きや痛覚多めの柔法が嫌われるような空気があるように、思う。昔の風格を嫌う人もいるし好む人もいる。それはしかたのないことだ。


 最近はキックや総合ルールの流行り廃り、技術の変化を聞く機会があったのですが、また他方で合気道の変遷も耳にしました。
 キックの方は長く対角線コンビネーション(例えば左で突いて続けて右で蹴る)が一つの地位を占めていましたが、これへの対策も追って浸透していったので、効きにくくなってきた。だから同方向コンビネーション(左で突いて続けて左で蹴る)を練習する者が増えてきている、と聞いた。これはとても興味深い。
 総合ルールでも変遷があり、昔は組み技で一本取ることを目指す人が多かったのに、最近はグランドで優位なポジョンを取って打撃でとどめを刺す人が増えてきている、と聞いた。これもとても興味深い。
 特に勝敗が明確な競技は、格闘技にかぎらず常に試行錯誤のテンポが早い。しかし勝敗・正誤が明確ではない競技でもやはり変遷はあるようだ。
 聞いた話なので私人自身が確認した話しではないので恐縮ですが、合気会初代の植芝盛平先生はけっこうガツンと掛ける方でけが人が耐えなかったようです。
 次に二代目の吉祥丸先生になってソフトなかけ方が広がったという。初代は受け身が取れないような投げ方したようですが、二代目は受け身を取れるような投げ方を好んだようです。
 これは吉祥丸先生のキャラクターもあるのでしょうが、これは時代の変化で必要な流れだったのかもしれません。そしていま三代目を迎えてまた初代の技に戻ってきているとか。
 やはり合気道の中でも時代のニーズや門下生のニーズでそういう変遷があるのだと感じました。そしてそのような
変遷は必要なことで、途中を無理に端折ったりなかったことにする事はできないのだと感じます。

 学生時代に免疫学の論文で、数年後に流行る風邪の傾向を、現在の人間の抗体のタイプを大規模調査して常に把握しておけば、数年後に流行する抗原の傾向を統計的に予測できるはずというのがあった。これを思い出します。次に流行る抗原は現代の抗体に左右されるというのは分かる話です。武道にもこのような流れがあるんだなと感じるところです。

 変遷は少林寺拳法にも常に起こっているのだと思います。これは拳士が常に技を真摯に研究するが故であり、その変化の先に不具合があればまた振り子の幅のように自然と戻ってくると思います。合気道や現代格闘技の例を見て思いますに、その変化の幅はさほど多様ではなく数十年ごとに近いところを行き来しているように思います。同一ではないでしょうが近いところを通過して行くのではないでしょうか。
 現代の少林寺拳法の変化ももし使えない技術であれば戻ってくるのではないでしょうか。しかしそれがまた50年後くらいに流行る可能性が高いと思います。これがどのようなスパンで起こるのか知らないが


 江戸時代の剣術の稽古では合戦の時に戦えないことを理解している剣術家はそこそこいたようですが、現代の武道愛好家はどうなのでしょうか。合戦の場は体力と腕力が何より大事で、技術はその後、そうでないと生き残れないし活躍できないというのが実際だったようです。敗戦後の武道家で線の細い人などいったい何人いたのでしょうか。開祖だって自他共に認める大男です。
 太平の江戸時代に精妙な剣術指南が流行ったように、現代日本
もそういう時代なのかもしれません。
アメリカ製ゲームの代表的な主人公 日本製ゲームの代表的な主人公


 拳法を狭く捉えてはいけないように思う、
たとえその技術が自分の好みではなくとも。自分の拳法こそが本物だとかまた正当だとか、それもつまらない。ただ狭くしてしまうだけではないか。振り子が止まってしまうことが最も恐ろしいことで、動いてさえいればなんとでもなる。
 怖いのは技を統一しようという考えだ。開祖は目の前にいろんなタイプの拳士を置いてそれを統一しようとしたか。拳士を見れば支部がわかる。これが本来ではないのかな。

 振り子の幅、それはまさに孫悟空が釈尊の手から飛び指すことがでなかった話のようだ。私は今日も開祖の手の中で振らされている。教範を見てるといつもそう思う。

 


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