トップ > コラム&ノート > 仏教と金剛禪の接点 > 合気道に勝ち負けなし

 日曜日に○○スポセンでやってたオフ会に参加してきた。mixiにも貼られていたが元は2ちゃん武道板発祥オフらしい、ということは聞いていた。  何をするのかは知らなかったけど、ひさびさだし、都内ということもあり行ってきた。 
 内容はもろに合気道だった。どうやら合気道スレッドがスタートらしい。参加者は最終的に15名ほど、ほとんどが合気道家で初心から四段クラスまで。内容は合気の解釈について、みたいなもんか。 

 技術的なことは遠くないが、表現が違うのでおもしろい。以下は技術的なことは置いといて、言葉について。 


合気道の呼吸
 ひとつは、合気道が好む「呼吸」という概念。「すべては呼吸」「呼吸力」といった表現はよく耳にする。 
 合気の呼吸とは、金剛禅で言う不二観のことであり、もっと身近な言葉でいえば虚実のことだと確信できた。「呼吸」という言葉は、門外漢からすると生理的な意味での呼吸の概念に縛られて、いまいち掴みきれずにきた。
 少林寺拳法も「少林寺拳法の6つの特徴」のように、異なるものを異なるものとみないという考えがあるように、わりかし日本文化では凡庸な概念、真髄と言ってもいい。これを合気道では呼吸と表現しているらしい。 

合気道に勝ち負けなし
 もうひとつに、合気道は技を掛け合った時は共にWin-Winであるから、共に勝つ。ゆえに「合気道に勝ち負けなし」という哲学だと明言していた。こちらもああそういうことね、とたいへん納得。 
 しかし聞いた時から金剛禅ではそうじゃないと感じていた。だから昨日からずっと考えいて、わかったぞ。金剛禅にも勝ち負けはない。(気性の激しい俗っぽい先代はいたw) 

 この「勝ち負け」という言葉を用いるなら、金剛禅でも「勝ち負けなし」とは云える。それはそのまんま「勝ちも負けもない」という意味だ。Win-Winという「勝ちといえる状態」がそもそも無いということだ。「勝ち」という概念が存在するなら「負け」という概念も付随する。金剛禅なら、「ある」だけではないかな。 (いる、もしくは存在する)
 あえて俗っぽく言うならば、「ある」という「勝ち」にただ気がつくために修行してるのが金剛禅てことだ。すでに勝ってることに気が付くためにね。 


  禅宗でなければこういうのを「生きていることが救い」という場合もある。なぜわざわざこんなことを書くのかというと、別にこの「ある」ことに対する気付きは、金剛禅の特異なところではないし、禅宗の特異なところでもない。仏法では普通の認識だとお断りを入れたいんです。ただ表現が違う。禅宗は、只あるだけよ。つまり脚下照顧だ。 

  くどく言えば、Win-Winみたいなのもない。強いていうならWinだからだな。二人じゃないのでWinは2ついらない。ふたりで「ある」。二人で一つ。どちらが、てのもない。これは組手主体。これはやや金剛禅の特徴といえる。専売特許とはいわんけどね。 

  そこらの花や石、山や川に勝ち負けなどあるだろうか、「ある」ということに、負けも勝ちもないし、すでに負けているし勝ってもいる。少林寺拳法は勝ちもしないが負けもしない。 
 開祖は「負けなければいい」と生き残ることを護身術に関連して訓えたが、案外またこれは的を射ているとも感じた。好意的解釈すぎるか。

 



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