トップ > コラム&ノート > 仏教と金剛禪の接点 > ものしり

 如是我聞、
(最近の話、実話、と聞いてる)
 ある老僧と学者が話していた。話していたというよりは学者がほとんど一方的に話していた。釈尊とは、禅の哲理とは、老僧はフンフンと聴いていた。

 話がひと通り終わって学者が帰ろうとしたとき、僧が尋ねた。「あなたの師匠は誰ですか」 学者は答えることができなかった。もう一度僧は口を開いた。

  「あんたは、ものしりやね。」

 禅は不立文字であり教外別伝であると言われる。つまり書物・経典などだけではなく師資相承という師匠と弟子の真剣なぶつかり合いで伝えるものだと認識されている。だから「師匠は?」と問われて答えられなかったとき、学者は困った。

 そんでもっと深刻なのことに、ものしりと言われてしまった。禅僧てのはしょっちゅうつまんねーギャグをかますもんなんですよ。さらっとかまします。
 ここで言う「ものしり」てのは、モォ〜の尻、つまり牛のケツの事やって言うんです。うちらの開祖もよく用いてたあの言葉のことを言うてるんです。曰く、鶏口となるも牛後となるなかれ。
 つまり老僧は、学者の言葉は机上の知識に過ぎず自分の境涯が含まれてないね、ていうことを言うたんです。禅宗は経験を大切にしますからね。自分で歩いたこと、自分の気がついたことにこそ生命があると考えますから。


 私達も拳法で、ものしりになってないだろうか。


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