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以下は、特に具体的な例ではありませんが五つの動作があったとして、人は自然にそれら五つの動作を一連の動作として集約し始めるということを三つの過程で書いてみました。人は端折ってしまう、ということです。 このように端折ってしまう、という認識をどのように活用するのか、それは以下であります。 ●できない動作は段階を分ける 〜意図的に添加する できる人には何故できないのかわからない、できない人には何故できるのかわからない。こんな経験はよくあります。鉄棒や投球、また自転車に乗るという動作がそうですが、拳法ではたとえば受身です。前受身も後受身も横転より起上がりも、言われてすぐできたという人は結構いらっしゃるのではないでしょうか。私もそうなんですけど。でもできない人はなかなかできない。 こういう場合は動作のエッセンスを分解して練習、また指導することを皆さんは既にやっているはずです。丸廉サイトでも、まさにドンピシャ「受身練習解剖」というページがビスさんによって作られており、受身動作を「解剖」して段階的練習を掲載しています。 受身に限らず、振子突でも柔法でもこのように分解は稽古の切り口として意識的に多様しましょう。 ●できる動作は、意図的に省略する これは上ともまだ内容が被ってしまいますが、例えば強い逆突(直)が突けない時に、ではまず順突(直)を軽く出してから逆突をしてみる、としましょう。まずワンステップ、順突を入れることで肩が入れ代わって逆突がしっかりと突ける、このような練習は初期の段階によく行われていると思います。 次にこの順突を「やったつもり」で逆突をするのです。このやったつもりは本当にやったつもりで無ければ効果はありません。しかし面白いことは、実際に順突を突いていた時ほど物理的には肩が返ってなくても意識さえあれば同様の威力の逆突が出せるということです。また上達すれば、乱捕り稽古のときに相手が出してもいない順突に反応することまである。まこと人間とは面白い。でもこれが本当に起こる。 こんな感じで、予備動作を他の動作で呼び出すことで体感覚を身に付けていくことは少林寺拳法の法形でも多用されている要素です。龍系諸技で捕る前に当身を入れる動作は格闘上の意味もありますが、用の剛柔一体の意味もあることは周知の事実です。 話を戻して、普段二つもしくは三つの動作でやってきたこと、上の順逆二連突のように自分で加えた動作ではなく、指導上当初から段階的に与えられてきた複数動作も意図的に端折ってみることもよい稽古になる、と提案したいのです。みんなもうやってんですけどね。意図的にやる。その意図的にやるときのポイントが、「やったつもり」なんです。動作は端折っても意識は残す。例えば、有段者になったら鈎手をやったつもりで進めてみる、といった具合です。 柔道にも有名なのがありますよね、「足払いしたつもり」とか。合気でもこれは要点であると言う人もたくさんいらっしゃいますね(Youtubeの3:00くらいから)。そして少林寺拳法でもこれはきっと重要な稽古との方向性のひとつとなるはずです。少なくとも体格的に劣る人間にはこのような先に関連する稽古は不可欠です。 上記「ハイキックに対して軸足を刈る」も同様です、「左ステップ」を入れることで格闘上の安全を加味しているという意味合いもありますが、何より精神安定上の問題へのアプローチであり、これにより「蹴り」を落ち着いてしっかりとできるように導いてます。これは決してタイミングを合わせる稽古ではありません。 ●指導時の視点と注意点 これらを「やったつもり」ということを認識した上でさらに、もうちょっと提案させていただきます。これは上でも書きましたこれらついてです。 まず指導を受ける時から、つまり「周りの人」の時であります。この「やったつもり」というのは、錬度が進むと「やったつもり」という意識すら無い場合があります。しかし身体はその元のやってきた動作を覚えている。これが罠です。例えば先生が、小手をかけるときに…、
少なくとも若輩がそれを見て自信満々に「この動作はいらない」とか言ってしまうことは頭痛の種になります。よくよく考えてみてください。 そして指導する時の注意点であります。どうか全国の指導者の皆様、自分の動きをよく観察してください。自分が知らないうちに端折ってしまっている動作は無いでしょうか。きっとあるはずです。そしてそれをそのまま白帯や級拳士に教えてしまっていることはありませんか。もちろん端折ってもいい動作もあるでしょう。しかし端折ってはいけない動作もあるはずです。ご確認ください。
「やったつもり」はいい稽古を導くし、また罠にもなります。
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