260 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/12/20 00:50 ID:RpGShfDn
う〜ん。違うな。
法形は乱捕を想定した技術じゃあないからね。 法形のスタイルで乱捕をやることにはそれほど意味は無いのでは。
攻撃やシチュエーションを限定させれば別だが。少林寺のスタイルは演武で体現すればいいでしょう。
乱捕は常にいろいろな目的性をもっておこないますから、変に法形にこだわると目的自体を見失うことになります。

「少林寺らしい乱捕」は常に夢想されますが、乱捕のやりかた・ルール・その人により目的がことなるのですから、具体的に指導することのほうが大切です。

むしろ「少林寺らしい乱捕をしろ!」などといわないですむような仕掛けを指導者は講じるべきです。具体的な指導でないと後輩拳士の上達は望めません。


292 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/12/24 02:20 ID:86iSJ//C
>>290さん
「法形は実戦の雛型ではない」ということを以前聞いたことがあります。
法形は法形を通して相手の重心操作の仕方や原理といったものを学ぶ為の一つの手段と考えてはいかがでしょうか?
例えば、今日は重心操作を逆小手を使って研究してみよう、今日は内ち受け突きを使って攻撃線の外し方を研究してみようってな感じです。
また、昔の剣術家が「こうきたら、こう受けるとか、こう返すっていうのは畜生剣法(つまり程度の低いって事)だ」と言っていたというのを、本でよんだこともあるし。


314 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/12/27 00:47 ID:gxL1R7u3
うちの監督が言うには、「空手には空手の戦法、キックにはキックの戦法、柔道には柔道の戦法がある。自分たちの持ち味で戦うことだ。少林寺には少林寺の戦い方、すなわち法形がある。
法形使える情勢にすることが我々の戦法だ。構えで誘うのも戦法のひとつだ。」とのことです。
まあいわんとすることはわかるのですが、実際には赤卍も含めて誰も出来ないのが現実です(まあ弱い相手にはできなくもないようですが)。
皆さんに質問なのですが、現実に目の当たりに出来ないこのような理念を目標に皆さんも修練されているのですか?生意気なことを言っているこの私はまだ茶帯ですが、やがて納得がいく時期がくるのでしょうか?強くなったという実感はどこからくるのですか?
皆様のご経験からご指導頂けたら幸いです。


315 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/12/27 01:03 ID:Jd5orS6E
>>「法形は実戦の雛型ではない」
>正しくは、「実戦の雛型ではない法形”も”ある」じゃないのでしょうか?
>「誰がするんだそんな攻撃?」みたいなものを防ぐ法形も確かにありますから・・・
>しかし、「内受け突き」なんかは、実践の雛形そのものだと思うんですがね。

というか、法形は大事だが、法形に必要以上にこだわるなと言うことでは。使える状況なら使う。ある状況なら応用法を使う。ある状況では有効だが一見少林寺でない動きを使う。でいいんじゃないの? とにかく、実践は生き残ることが先決だから。法形にだわりすぎて殺されても、それで満足な人はそうすればいいし。 ただ、前に誰かが言ってたと思うが、自分の条件に状況に合う技を磨かねばならないし、本部にも?な人いるし、自分に責任とれる技を目指しましょう。


225 名前: 空手蟲 投稿日: 01/12/18 23:22 ID:xIZGHBA7
それと一言拳士の方々に言っておくが、空手家は型の分解というものを非常に崇高なものだと思っている。
それは競技に走ってしまい、今の法形のようなものが空手には失伝されてしまっているからだ。
今競技空手に走った諸流派は、空手の型から法形のように分解されたものを懸命になって研究している。
何も空手が犯した過ちを繰り返すこともないでしょう。
少林寺は天才が作った法形を活かした乱捕り、または競技を目指せばいいと思う。


126 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/13(土) 02:37
少林寺の剛法だけは?と思う。 あの突き蹴りだからあの法形で返せるんだろう。普通はそういうの型として理解するんだけど、少林寺は使えると教える。反射神経すら追いつかないのが剛法なのに型がそのまま使えるはずないではないか?
そういうところが残念。


127 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/13(土) 02:38
剛法がそのまま使えるなんて教えないよ。基本、法形は練りなの。

182 名前:名無しさん@一本勝ち 投稿日:2006/06/16(金) 23:05:34 ID:CZD+rCBq0
>型と組み手ってそれくらい一緒だと思う。俺も。

少林寺限定で言うとかなり認識が違う。乱捕の練習をしていないっていうよりも攻撃の練習が不足している。
法形にしても「受の為の攻撃」になっちゃっているんで乱捕にはあまり役に立たない。
鈎突系や膝蹴、下段蹴みたいな技術はあるけど法形で使うことが少ないから殆ど練習しない。乱撮を視野に入れるなら法形の無い技術の練習は必要だと思う。総裁は教義を全面に出して人を増やしたいんで技術については昇段に使う程度でいいと思っているんだろうしそれでいい人が集まって尚更練習しなくなるんでしょうね。そういう流れになっちゃったからもう戻らないんだろうな。


189 名前:J 投稿日:2006/06/17(土) 16:00:10 ID:DJ1GiKUCO
法形と乱取りを同じようにと言っても、法形の意識で乱取りをするのか、乱取りの意識で法形をするのか、法形・乱取りは、格闘なのか、武術なのか、武道なのか、そして、稽古なのか、練習なのか。意識の仕方で意味が変わり、意味によって何をするものなのかが変わってきますね。

48 名前:名無しさん@一本勝ち 投稿日:2007/04/12(木) 14:38:34 ID:v5w1Wb/20
空手家は、型や基本を大事だと発言することが多いが、K-1や総合に挑戦する
場合、ボクシングや柔術を学ぶ例は事欠かないが、型や基本稽古をやり込んだ、なんてことは聞いたことがない。
自分が通っている道場でも、試合前に型や基本を繰り返すヤツはいない。
道場の先生は、型や基本の大事さを訴えているが、試合が近づくと、練習内容がミットやスパーリング中心になってしまう。
こんな状況で、型の大事さを訴えられても、説得力に欠けると思う。


49 名前:名無しさん@一本勝ち 投稿日:2007/04/12(木) 14:47:16 ID:RH4tyrNEO
当たり前だろ。
K-1や総合は飽くまでも競技。
空手ではない。
空手をやりたいのならその流派の技法を納めろちゅう話だよ。


51 名前:名無しさん@一本勝ち 投稿日:2007/04/12(木) 15:03:34 ID:ibEaVqRfO
出題範囲が決まってる計算テスト直前に、定理をいちから証明している奴はいないでしょ。
出題範囲の定理なんて覚えて、参考書で既に誰かが考えてくれた解法を使ってガンガン問題解くのがいい。
そんなの当たり前。
しかし、そういう勉強しかしなかった人は、出題範囲が変わったり、そもそも出題範囲なんて概念がない問題をつきつけられた時なにもできなくなる。

型を研究するってことは、広義には、エリオ・グレイシーが柔道の投げや寝技をバーリトゥードにカスタマイズしたことに該当する。
あるいは、日本拳法の体系を作り出すことも、型の研究の成果。
誰かが作り出してくれたものを学ぶだけでいいと思っているなら、原典としての型なんて学ぶ必要はない。