トップ > コラム&ノート > 法縁 RUSHER's case


 第1回からその存在は知りつつも、なかなか予定が合わず参坐できていなかった丸廉OFF会。そこに参坐を果たせたのは、8月の最後の日曜日(8/31)だった。

 「OFF会にDQNはいない」と呟き、自らを鼓舞してやってきた体育館。ドアの向こうに打棒を抱えて座っていたのは、大学の後輩だった。破顔爆笑。さらには、私が存じ上げない先輩まで参坐していた。
 そして他にもどこかで見た顔がある。勘は当った。ビスキュイ氏は、私が属するブロックの大会で、私の3年前に模範演武をやった人だった。参坐初回から、たいした法縁の現れであった。

 この丸廉の場に連れてきたい仲間の拳士の顔が次々と脳裡に浮かんできた。在籍している(していた)道院支部の拳士、近隣の道院支部の拳士、後輩達、本部他の講習会で知合った拳士、OFF会で出合った拳士……。だから彼らには早速、その日の出来事をメールで知らせた。そのうちの何人もが関心を示し、参坐してきたし、今後も参坐してくるだろう。


 法縁とは、育むものでもある。
 少林寺拳法の稽古は、身体的に危険に及ぶこともあるが、同時に凝り固まった虚栄心や気取りを吹き飛ばしてくれて、強度のスキンシップをも産み出すものでもあるようだ。
 あなたがたも、もし、共に稽古した拳士達、ご指導くださった先生方とその晩に飲み屋で出会したら、きっと笑顔で挨拶し、談笑に興じるのではないだろうか?

 そこは法縁を広げる絶好のチャンスだ。リップサービスは不要、我々に必要なものは行動。
 「今度、そちらの道場の稽古に参加させていただけますか?」
 もし、そう切り出すことができたなら、極力間を置かず、必ず行こう。時が経てば経つほどに、もう先方は自分のことなんか忘れてしまっているのではないかとの不安が、むくむくと頭をもたげてくる。それは、稽古を休めば休むほどに敷居が高くなるのと一緒だ。思いきって……そうだ、「いつでもおいでよ」と言っていただいてから二週間のうちに、都合をつけて行ってみよう。いちばん最初に少林寺拳法へ入門するときに出した勇気を、また出してみよう。

 旅行も、一つのチャンスだ。
 一人旅をしてみれば分かるだろう。素敵な人に巡会えた街は、素敵な街としていつまでも想い出に残る。名所旧跡も風光明媚も、贅沢三昧もいいけれど、やはり旅は、人との邂逅が何よりも楽しく、嬉しい。
 この現代はWWWで簡単に支部がわかる。メールを書いて問合わせてみよう。都合がついたらアポを取ろう。鞄の奥に道衣を入れていこう。稽古の後は、彼らと街を歩いてみよう。見慣れぬ異郷の風景にも親しみを感じてくるから。誘われたら飲みに行こう。耳慣れない言葉すら、なぜだか意味が分かってくるから。
 帰ったら、すぐにお礼を書こう。ご無沙汰してしまった? そんなときのために年賀状/暑中見舞/クリスマスカードがあるじゃないか。いずれそんなメールの行き来が、きっと新たな法縁を生む。

 
あなたも種を蒔こう。知り合った仲間を誘ってみよう。
 日本を訪れる欧米人にとって何よりも嬉しいことは、日本人が己の家庭に招いてくれることだそうだ。たとえそれがどんな「ウサギ小屋」であったとしても、何より彼らは、胸襟を開いてもらったことに感激するのだそうだ。
 それは我々だってそうだ。ましてや、少林寺拳法の拳士とは一つの大きなファミリーなのだ。


 法縁とは、育むものでもある。
 すりぃぱぁ氏に頼まれて、138B氏の道院へ連れていった。tothemoon氏に入門式で演武を披露してもらった。出張で上京したわんわん氏を仲間の道院に招いた。兄弟子との練習会にts577氏を混ぜてもらった。……。
 これまでも誘ってきたし、これからも誘うだろう。
 あなたを。


(RUSHER 2003/03/03)

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