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開祖法話003

  行としての拳、教範に原点を求め、十二分に読め
  1973年の法話
※このリライトは「宗道臣大禅師法話集」の第11巻A面より編集したものです。今日では差別表現として好ましくない言葉や不適切な表現もありますが、開祖が差別助長の意図で使用したことでないことをご理解ください。

一番大切なのは心の通じ合い
 今、諸君の手元へ、新教範を届けた。これは、今までにもう既に10何回刷り変えておるわけです。それ、その都度変化してます。いくらかずつ。それは本質の技術が変化している所はありません。ただ、内容、形態、編集の仕方、それから中に取り上げてる、いろんな先人の語録だとか、いい言葉とか、いろんなものを取り入れて、私が一昨年から、体の調子がよくないもんだから、正直言って、いつ死ぬかわからない。私の生きている間にどうしてもある程度の基本は残しておかなければならんという状態が来てしまったのでだ、実は着手して何回か改正をした。
 そうして今、今度の分には組演武の基本形も写真版で入れてきたし、それから偉い人のいろんな意味での語録も入れたし、それから写真版の一部もやり変えたり、いろいろした。これがある日の最終版になるかもしれない。そう言いながら私が生きとったら、また1年も2年もせんと、もっと状況が変化して、また変わるかもしれないけれども、本筋は変ってはいない。ただ、だんだんよくなってきてるということで、それで、これは今までのように、希望者にというのでなくて、強制的に全部持たせることにした。なぜかって言うと、正直言って、この中にもう既に20何年前の弟子がおります。道場持ってる連中。教範を持ってるかと言うと、1番初期の頃の教範ぐらいしか持っていない。ひどいのになると、それを誰かにやってしまって、自分は持っていないなんていうのも中にはいる。それから新しく変わったら、変わったようなものを、少なくともこれは学校の先生でも、それからその他の職場でも、いろんな所で言えるんだが、自動車でもそうです。新型が変わるとね、どこが違うかと言うたら、ちょっとの違いなんだが、やっぱりみんな変えたがるはずである。本当言えば。
 少林寺の場合でも同じで、新しく版が変わるたんびに、どっかがよくなりよるのです。ならばそれを知ろうとし、それを持とうとする。また、持つことに喜びを感じる。古い物は、バッチひとつでも最初から集めて、コレクションにして、楽しんでる人もいれば、古い物を捨ててしまってる人もいる。もちろん、あれは回収していますから、回収せずにわざわざ買って、自分で、少林寺の歴史のつもりで集めているような、切手マニアじゃないけど、バッチマニアみたいな人もおるわけでそういう意味でなら、今のうちの指導者の姿勢は、ちょっと安易すぎるように私は思える。なんかこう、本当の指導者なのか、それともええかげんになんとなくやってるのか、もっと悪いことを言えば、少林寺を利用して、ただ弟子をだまくらかして、弟子から金を倍も3倍も取って、それでごまかして自分だけが優雅な生活をしたい、なんていうなのも出てくるわけです。要するに、少林寺という名前が人を集あるという段階がもう来ているわけですから、特に私は今回の指導者講習会については、そういうことについて再反省をしたり、いろいろしたいと思います。
 日本だけ1億人おります。武道と称するものだって、何十流派ある。宗教だって何百もある。その中で、少林寺を選び、少林寺の中に生き甲斐を見つけてる諸君、これ、なんかそこに縁の働きと、人の出会いと、それから心に染みるなにかがあったから、今日続いたんではなかろうか。どうだろう。ただ漠然とやっている人も中にはあるかもしれないし、それから今までの数人の誰かみたいな、やっぱりバカがおって、口では私と同じ事を言うけれども、心が通じていないもんだから、やる事が変ってきておるという者も出てきている。そうすると、どっちが大切かというと、一番大切なのは、その心の通じ合い、即ち、心はひとつである。目的がひとつでなければならない。

おれたちは同じダーマの分霊を持った人間なんだ
……そういう自覚と誇りをもういっぺん持とうではないか

 私は最初から主張してるように、日本中が焼野原の終戦後の日本へ帰ってきて、広島だけじゃない、大阪も東京も全部焼けてしまった。仕事もない、工場もない。もちろん、占領軍がおって、物資の輸送だって自由でない。おったのは、乞食みたいな、浮浪者みたいな子供が一杯おって、その上に大陸、南方からどんどん引き揚げてきた、兵隊くずれといった、悪いのは、特攻隊くずれといった。要するにもう、やけくそ。体を張って強盗、強姦をやる日本人が一杯おったんですよ。
 特攻隊くずれという悪名がなぜできたかというのは、特攻隊というのは「死ぬ」ということを、唯一の目標に育てられた連中なんです。だから死ぬことはかまわない。死ぬ前になんかやっておいてやろうと。いい方になんかやってくれるならいいけれど、悪い方へやる奴が案外多かった。だから、日本のつい昨日までは、愛国の志士であった特攻隊員が、日本に引き揚げてきた途端に、特攻隊くずれというヤクザ以下の存在に見られるようになった。なぜでしょう。自分がそうなったからです。世間が冷たい目で見ただけじゃないんです。もちろん世間も冷たかったです。私も引き揚げてきてみて、それはそうでしょう、みんなが食えないんだから。食えない食えない所へ、余分な奴が帰ってきたようなもの。それでそいつらがまた悪いことをする、ケンカはする、ユスリはする、タカリはする。女が欲しけりゃ、そこいらで遮二無二押さえる。なんてなことを始めたもんだから、特攻隊くずれというものは、日本人のもう、恥部の頂点みたいなものである。恥ずかしいところの、一番露呈した姿であった。それ以前、それ以後は腰抜けか、わけがわからんかという時代である。そういう時代に私は、戦後1年間外国に、外地におって、共産軍の支配下におってです、共産主義というものに、ひとつのユートピアを我々は感じておった。今でも赤旗を振ってる連中は、観念的にユートピアが頭の中にこびりついているんだろうと思う。その為には、人を殺そうがハイジャックをしょうが構わない。テルアビブ(=イスラエル西部の都市)の問題じゃないけど、いきなり飛行場の中で、女や子供を機関銃でぶち殺す。これが革命だと思い込んでいるような思い上ったバカを作っちゃった。これには本当の思想もありません。愛国心もない、なんにもない、これは。こういうことを考えてみると、,今から28年前も、今の日本も大差ない。私はそう感じる。この間、今度、全録音が来ておるから、この間東京で全日本実業団連盟の大会がありました時に。中国大使館のおえら方全部をお迎えをして、彼らの目の前で、国家公安委員長であり、自治大臣である江崎さんの前で私がかみついた全録音があるから、これも後で時間を作って、是非聞かせたい。まあ、できればまたもって帰ってみんなにも聞かせてもらいたい。
 その中にも私は触れておるんだけれども、28年前の日本の姿と、今とどこが違うかと言ったら、ほとんど違わない。ただ、物資的な繁栄があるだけである。自動車に乗れたり、着るものが自由にあったり、買いたいものが買えるというだけの繁栄はあるけれども、心の中は本当に殺伐としておる。あの時に私は、たまたま見つけた新聞を取り上げて、江崎さんに食いついたんだけれども、ある、苦学をしておる大学生が、牛乳配達をやっておる。牛乳配達ってのは、楽なアルバイトではありません。新聞なら放り込んだだけでいいけれど、牛乳びんは放り込むこともできない。そうっと置いて、そしてまたそれを回収して洗ってというのが牛乳配達なんだ。その苦学生の牛乳配達を40前後の男が平気で盗んで飲んでおる。カーッとなってそいつをぶんなぐった。まあ、そのいきさつは死んでいるから、もうわかりませんけれど、新聞の見出しは、「泥棒をつかまえてどこが悪い」ということなんだ。その上に、弁償までさせられる。いうので本人は電気のコードで首くくって、その牛乳屋の2階で死んでるんです。だからもう、警察が一方的検証で、警察の立場を勝手にかばっているけれども、実際はもっともっと奥があったと思うんです。なぜかというと、自分の責任配達区域というのがあったら、何本どこに配達せいという義務がある。それをせなんだら文句を言われるから、チョイチョイ盗まれてるに違いない。それをたまたま見つけたものだから、「おい、こらっ」というようなことになったら、「牛乳の1本ぐらいいいじゃないか」ってなことが返ったんだろうと思うんです。これは思うんですよ。死んどるからわからんけどね。物も言わずにぶんなぐったということになっているけど、そんなことはないと思う。「おっさん、その牛乳、取ったらいかんでないか」と言った。「やかましいやい、牛乳1本くらい文句あるか」ってなことになる。「なにを!」ってんで、疳が立つから、牛乳びんでぶんなぐったと、まあ、いうのがおそらく状況的に私は判断できる。たまたま、相手がけがをしたと、しかもひっつかまえた上で本人が警察にそれを連れて行っていってるわけである。連れて行ってるのに、警察の方がやったのは、通行人も一緒に警察に引っぱって行って、参考人として取り調べたっちゅうんだ。ええ?泥棒連れて行った奴と、泥棒した奴と、通行人を警察に連れて行って、ほいで取り調べをして、「たかが、牛乳1本じゃないか、金にしたってたかが知れとるじゃないか、微罪じゃないか」と。「しかし、おまえはけがをさせておる。これは傷害の現行犯である」ってなことになってだな、それで28万円とかいう弁償金を警察がしてやり、それで示談にしたらどうやと、警察が裁判官になってしまったようなことになって、その青年は、法学部におりながら、法律の今の誤りというものをどうにもできないということで、彼は首をくくったんだと思います。でなかったらね、苦学でもして勉強しようかというのは、そう簡単に私はへこたれることはないと思うんです。終戦直後に私が、この多度津に住みついた時、あるいはカッパブックスの中にいくつか書いてあるいろいろな出来事、船の中の出来事、中国における時の出来事。引き揚げ部隊の中の出来事ね。ひとっつも今とどこが変っていますか。正しいものが正しいとして裁かれると言いきっているわけじゃない。泥棒した方がかばわれてだ、なぜか、けがをしたから、盗んだことを忘れてしまって、たかが牛乳1本でね、そんなことぐらいどうだって、そういう姿勢が今の法律や警察の中にあるわけである。権力側にね、で、そのくせ片一方では、学生ばかりぶんなぐっている。日本をよくしたい。そのためには、日本人同士がもっと助け合いをしなければならない。そういうことが動機で日本人に自信を失って、天孫民族から落ち込んで、世界の68等国とか、80なん等国とかいう話を、終戦直後帰ってきて、ここの多度津小学校で、教授というね、偉い人がいた。この人の講演を、私、聞きに行った。日本は一等国だなんて言うたけど、そんなことはもう、とうの昔、消し飛んで、今の日本は、60何等国だと。「なぜですか」と、ぼくのこつちゃか…ら、すぐ大きな声でおらんだら、60何番目かに国連にやっと加盟させてもらえたから、60何等国だ。大学教授がだよ、そういうことをのうのうと言うとる時代だから、まして、天孫民族も1等国も3等国もじゃないよなァ、68等国なんだから。もう、そういう大学教授がそういうことを言う時代だから、若い者は自信もなければなんにもない。希望ももちろんない。職場もないのですから。シューンとしておった。そういう時に、私はダーマの分霊を持った人間としての平等性を説き、おれたちは同じダーマの分霊を持った人間なんだと、そういう自覚と誇りをもういっぺん持とうではないか。それにはまず自分が自分をそういう形で認識することから始まる。それから、日本人はバラバラだから、だからおれたちも団結しようじゃないかと。天皇陛下の命によらんでも、民族的な自主的な団結というものを持とうではないかと。こういうことを念願で私は始めたのです。

「行」としての拳
 実は、指導者講習会の初めにもっと言う事があったんだが、話がここに来てしまったから、先に言うとくけれども、少林寺をなんのためにやっているかっていうと、やっておればなんぼか弟子が来る、金が入る。それでみんなが、「先生、先生」言うて立ててくれる。だから少林寺をやってる。こういうくだらない、指導者でないニセ指導者が実は、少林寺にも育ってきかけた。それで私は去年から、声を大にして叫びかけた。原点に返れ、要するにこれを、私が日本で少林寺を始めた時の初期の姿に返す。それは何かと言うたらそういうことなのである。自信を失った日本人、日本人同士がいびり合い、盗み合い、いがみ合っている状態から、抜けさせて、「天皇陛下の命により」なんて言わんでもだ、日本人同士が仲良くできることをやりたい。けど、言うは簡単だけど実行はなかなか難しい。そこでひとつ、日本の武道を教えたんではだめだ。なぜだめかと言うと、私自身に経験がある。'私は子供の時分から祖父に育てられた。祖父は武道家です。日本の武道というものは、親や兄弟も敵なのである。「さあ、かかってこい!じじいを、おまえの親の仇だと思ってかかってこい」ちゅうて仕込まれた。小学校の頃からです。毎日、竹刀でぶったたかれ、ぶんなぐられ、首しめられ、蹴飛ばされてだね、人間を敵とするような訓練が、これがなんか武士道みたいなこと言うてね、侍の道、侍なんて、とうの昔にいなくなっている。士族もなかった。新平民もなくなっているのに、そういう教育をした。これが戦前の日本人の本当の姿であった。だから、武道のように、自分以外の者を認めることをしないことを教えたんでは、私が期待する、日本人同士が助け合うということはできない。だからもっと、別の物をというので、中国の少林寺に伝わっておった、「行」としての拳、というものをやろうとしたのである。ということを私はずっと教えてきたのに、これが言葉では弟子に言いながら、弟子を利用し、弟子を食いものにし、堂々と先生づらしてる奴はやっぱり出てくる。ここに少林寺が大きくなるにつれて、ひとつのひずみが出てきた。それで私は去年から、姿勢を変えさせるべく、減ってもいいから、不良道院は整理したい。道院長の首も切る。うん。昔は竹林寺でも大林寺でもやれと言うたが、もう方針を変えました。敵として徹底的にぶつつぶす態勢を取る。これは合法的に非合法的になんでもええ。とにかく、腕ずくででもぶつつぶしてやる。今までみたいに、勝手なこと言え言うたら、少林寺を利用して勝手な悪い事をする奴、そのまま見逃すということは、これはかえって誤るということに気が付いたからです。それで私は、去年から学生連中にも、それから道院長にも、ちときついことを言いかけた。いやならやめなさい。「昔は竹林寺でも大林寺でもいいから勝手にやれと言うたけど、今はやらさんぞ」と。やったら腕ずくででもぶつつぶしてやる。どんな方法を通じてでも、というとこへ方針を変えてやりかけたから、最近姿勢が少し変ってきたのです。

教範に原点を求め、十二分に読め
 実は、まあ、これは第一回の指導者講習会は、道院長だけにという限定しておるから、だけれども、前後するが、そういう発想のもとで始めた少林寺、最初は私ひとりですよ。この、人ロ一万足らずの多度津の町で始まった少林寺は、こうやって北海道から九州からアメリカから、今、海外はね、インドネシア、マレーシア、フィリピン、イラン、シンガポール、アメリカ、ブラジル、スウェーデン、フィンランド、フランス、スペイン、ニュージーランド、これだけの国、十二カ国に既に組織ができています。日本の少林寺ではない。うん。世界の少林寺に育ってきた。私が止めようとしても止めようがないのです。勝手に広まっている。勝手に広まるからいうて放っておいたらええかと、そうはいかん。やっぱり成り下がってはいかんから、成り上げるためには、監督もし、指導もし、あるいはある種の制約も加える。時には援助もしてやろう、いう態勢がとれる時期が来たから、私がこういう方向を打ち出したんですが、今、1973年の、今年の現在の時点でです、6月末で、道院が517、支部が832あります。合計1349支部ある。もし私が毎日回っても、おそらく3年半から4年かかるでしょう。所によれば、往復かからないかんから言うたら、5年もかからなんだら、いっぺんは回れないぐらい広がってしまった。いまさら止めようとしても、私の教えを受けた、道院長・支部長の教えを受けた連中はまた道院を持ちたい。条件が揃うと、いやがおうでもやっぱり、認めてやらざるをえない。しかたがない。今もそこにロスアンゼルスのマークを付けたのがひとりおるようだが、アメリカだってそうだろう。おれが頼んで始めたわけじゃねえんだよな。勝手に始まったんだ。なぜかと、いいからやってくれと、やりかけるとやめられない。次、次と来るものだから、しかたがないから、そのうちに種が尽きるから、もっとやっぱり自分は技術も高度になりたいし、議論もできなければいかんようになるし。うん。金剛禅の本質とは何ですかなんて言うて、むこうの勉強した奴と対等に議論ができるようになるためには、やっぱり種本がなしにはこれは、学校の先生だって、あれ、教科書ちゃんと持ってるわけですからね。教科書がなければならない、いうので教科書を、今から10何年前に、これの初期の頃の薄いのを作った。それからだんだんだんだん、これを作ってきた。そのうちに、最初はわたしはこういう考え方であった。実際は今でもそうですけれども、技というものは、その微妙な技というのは、絵や言葉や筆には書けないのです。これ、実際に諸君がやってみたらわかる。逆小手ひとつしても、これ、文章で一体、書けるか。書けません。要点しか書けない。相手の堅さ、ねばさによって、押さえる角度も違います。三足転位までいかんでも、ちょっとひねっただけで飛ぶような、力の強い奴もおれば、女の子みたいにフニャフニャフニャフニャしてね、三足転位やって押さえ込んでも、まだ引っ繰り返らんようなやつもおる。それにどういう説明をするかいうたら、技ひとつ書くのに、写真を50枚ぐらい付けても、余計わからんようにしかならない。ということで、絵にはしないつもりでおったんだけれども、先生がもし、言いにくいこっちゃけれども、死んだら、我々は何を頼りに一体、勉強したらええのかわからんようになるから、せめて基本だけでも書いておいてくれませんかというのが、この、少林寺拳法の技術編のいろんなことである。で、この教範ができたから、教範をまず、これを中心にやっぱり考えるべきである。それで、「教範に返れ」という言葉を最近盛んに強調させておる。武専なぞで。
 なぜかと言うと、にもかかわらず、最近の傾向では、支部の程度がだんだんだんだん、こう、辺境になるほど悪くなってきている。もう、何が少林寺やら、空手やら、合気やらわけがわからない。第一、先生がろくすっぽ教育を受けてない所へ、勉強しようともしないもんだから、中途半端なものになってしまう。それで、自分が教えないで、弟子、代稽古、その頼りない先生が教えた代稽古にまた代稽古をさせて、金だけ取っていくというよ、うな道院長が実は増えてきたわけである。
 これではね、少林寺が本当に誤ってしまうから、これはいけないと。こいつをひとつやめないかん。今年の指導者講習会のひとつの目標は、私ははっきりと、こういうことを諸君に、これはお願いじゃなくて、言い渡す。これ、組織の長としての、私から諸君への命令と解してくれ。要するに、まず教範を十二分に読め。ええか。それでそれを丸暗記するとこまでまず行け。理論も、それから技術もだ。で、それに基づいて決められた科目予定に従って教育をするように。



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