211 名前: 小波拳士(さざなみ) 投稿日: 01/12/15 11:56 ID:R4rKxJjo
>210
少林寺あまり詳しくないのですが、素人を相手にするのならフルコンの技よりも少林寺の技(法形っていうんですか?流水蹴りとか)の方が使えると思います。


227 名前: 不活 投稿日: 01/12/18 23:32 ID:ZEA6Ut+n
本部職員ならば、本気の乱捕り、あるいはフルコンの試合等に出ても少林寺の動きで戦うだろうし、それが一番合理的です。
>>219 >>221
>あれは少林寺拳法リズムで少林寺拳法の攻撃だから成り立つ乱捕りですよ。
少林寺はリズムを取りません。(ゆえに一番読みにくい、とおもう)だいたい攻撃の種類が少林寺的かどうかなんて関係ないはずだが?出来る人はどんなスタイルで攻撃されても対処できるよ。なぜなら剛法の防御技術は攻撃のスタイルとは関係がない。この意味がわからない人は乱捕りは弱いな。


428 名前: 小波 投稿日: 02/01/14 22:44 ID:QihJWLmi
せっかく護身術、武道的な要素が詰まった少林寺なのだから、これからキックやフルコンに流れる必要は全くなしだと思います。 普通は逆の流れのはず。
防具も完成しつつあるとの話ですし、極真ルールで地力を鍛えるのはとても良いことだと思います。


353 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/12/29 17:28 ID:DQ+uw3sF
ヒクソンがインタビューで言っていたのですが、、、

Q)相手が複数の場合あなたの戦法は不利ではないか?
ヒクソン)相手が複数いて勝てる者がいるだろうか?

グレーシー柔術にはもちろんいわゆる衆敵闘法もあるのですが、ヒクソンは「相手が素人なら(自分より弱いなら)」という前提で話すことはなかったのです。
「自分より強い相手にいかに勝つか」このことが大前提です。
技術体系があるかどうかということより現実的なことを直視することも大切です。

「素人相手なら。。。」と話す少林寺指導者は確かに多いです。
でも誇大宣伝にならないよう、現実もきちんと説明すべきです。技法の有無ですべてが説明できることはあのヒクソンでも考えていないのですから。


37 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/10(水) 23:11
喧嘩に勝ちたいなら短期で即戦力がつく格闘技やったら。最近はクラブマガとかアメリカのハンド トウ ハンドとか、いろんなのがあるよ。
こういう格闘技ならナイフ持った奴でも平気で戦えるようになるらしいけど。たしかに少林寺でも合気道でも喧嘩だけが目的だったら年数がかかりすぎるよ。きっと一生やっても刃物や金属バットで来る奴には勝てないよ。
でも武道の練習は喧嘩に使う意外に練習そのものが楽しいし練習をずっとやってると根性もつくし。ほかにいいことが見えてくるよ。


142 名前: 大学空手部員 投稿日: 2001/01/13(土) 07:00
蹴りが柔軟性に欠けるように思われました。その為か初弾が若干遅いような。ただある動きから次の動きへのスムーズさは非常に優れてると思いました。
演武を拝見させて頂いた時は度胆を抜かれました。あれは素晴らしい。あと空手が完全競技化して失ってしまった武道の本質が残っているようですね。それでは朝練に行きます。


143 名前: おちゃら 投稿日: 2001/01/13(土) 09:57
少林寺の技術で素晴らしいものがあるのは私も知っております。
が、基礎体力(打撃力,打たれ強さ,精神力)がない人が多いのではないでしょうか。
このスレのどなたかがおっしゃっていましたが,少林寺は筋トレをあまり推奨していないが,昔の先生の体はとてもガッチリ系で筋トレやってないとは思えない。昔の先生はとても強い。
私は極真空手をメインにやっておりますが,キョクシンはナンダカンダ言っても試合練習をメインにやっております。
そして,キョクシンルールは打撃を当てて倒す競技なので普段から技の破壊力を鍛える面でのこだわりが他とは違うと思ってます。
同じミットを叩く稽古をしても,試合で倒すことを目的にやっている人はただ叩いている人と1年経ったときに技の鋭さに全くの違いが出る。
そして,技の強さ,打たれ強さの必要性を感じ,強くするために筋力トレーニングもやる。もう必要性に迫られ,何が何でもやらなきゃ勝てんと思い必死になる。(技は整備されていないの認めます)

昔の少林寺は試合があったそうですし,また,練習でも相手を倒す必然性に迫られて稽古をされていたのではないでしょうか。 その意思がなければ,実際に人を倒す打撃力を見に付けるのは難しいと思います。

少林寺は技術が素晴らしいのですから,当てて倒す試合体系を組み立ててそれに基づき稽古すれば今よりもかなり強くなるのではないでしょうか。 昔の先生方がそうであったように。そうなれば,元々からだが弱いものでもやってるうちにかなり強くなれると思いますが。


294 名前: 俺神のスタンド使い 投稿日: 2001/01/21(日) 18:41
>>280
少林寺経験の有る者として言わせてもらうと、少林寺でも突きの際に小指側で当てる事は絶対にするなと教わった。
(少林寺全体がどうだかは知らないけど)

>少林寺は45°くらい捻じる人が多い。
これは、たしかにそうかもしれない。でも、少林寺でも指導する側は『縦拳を保持して突く』ように教えているはず。捻じってしまうのは、上手く徹底できていないからでは。

少林寺の突きの引きが早いってのは確かに演武の見栄えを良くする為というふうに見られるけど、本当は291氏の言うように
>すぐに引いて衝撃を内部に浸透させるのを主とする
という理由が正解。


297 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/21(日) 22:27
>>294
「空手は大拳頭(人差し指と中指の付け根)側、少林寺は小指、薬指側」って習うはずです。
また「やや捻じって突いてるようになるのは体が傾く結果で、捻じるわけではない」とも説明を受けるはずですよ。
(注:ご承知の様に、小指側で頭蓋骨のような箇所をつくと骨折する可能性が高いです)
また、突きのインパクトで日拳などと違い大拳頭側を捻じ込まないのは、そのような伸びのある突きでは法形の型が崩れるからです。



201 :名無しさん@一本勝ち :2006/11/24(金) 07:54:21 ID:INyQKlZ8O
剛術においては日本拳法と少林寺拳法は良く似ている。柔術において、日本拳法の投げ技はほぼ柔道技なのに対し、少林寺拳法は逆技系で合気道に近い。実際、乱取りをやらせて勝つ確立が高いのは日本拳法で間違いないだろう。そりゃ、毎日乱取りばかりやってる連中と演武ばかりやっている連中では、やはり乱取り馴れしてる方が強いに決まっている。ただし、日本拳法の動きは非常に雑で大雑把になりやすい。なぜならそれらを修正させるための型練習をほとんどしないからだ。
良く演武など必要ないとほざく人間がいる。もちろん演武などやって喧嘩が強くなれるわけがない。しかし、武道としての最低限の基本的な動きを身につけるためにはやはり型練習はやらなければいけないのだ。以外かもしれないが、ボクシング、キックボクシングではシャドーや相対演練を非常に重要視する。そもそも華麗なコンビネーション、フットワーク、バリー、スゥエイなどはスパーリングだけでは、まず身につかないからだ。

要するに、法形や基本と、乱取りをバランスよく練習するということかな。日拳みたいに乱取りメインだと体をこわすので、法形と法形の応用メインで年齢や性別、体力等に合わせて軽さを調整したり、回数を調整すれば、各人に応じた強さを得られると思う。



219 名前:名無しさん@一本勝ち[] 投稿日:2006/02/05(日) 15:40:37 ID:bms6+hT00
内受け突きだってそう。
@反撃だって、中段直突きに限定しないで色々工夫すればいい。
Aタイミングでいうなら、
@)普通のやつ
A)後ろにひきながら受け前にでながら反撃
B)ややはやく迎えに行くようにして流し崩す
C)後ろ足を踏み込んで(前になった)後ろ手で内受けし(後ろになった)前手で突く。
ってバリエーション。
Bポジショニングだって、後ろ足を斜めにひき半転身して 内受け突きしてもいい。
C連反攻だって、突く代わりにをかけて天秤を取るもよし、ステップして後ろに回り反撃してもいい。



220 名前:名無しさん@一本勝ち[] 投稿日:2006/02/05(日) 15:46:53 ID:bms6+hT00
そうすれば一つの技が無限に変化する。

また、違う法形の応用と重なる技もでてくる。ここにいたって技が連環し、所謂「無心にして自然の妙に入る、無為にして変化の神を極める」状態になる。その原理は、武道だけでなく、日常生活の全てに応用できる。 正統さんみたいに、少林寺をたんなる殴り合いと考えていたら、そんな風にはならないだろうけど。
乱捕りだって、お互いに認め合い高め合う乱捕りもできる。
乱捕り=野蛮、乱捕り=人格非形成というのは、指導者の無知と指導法研究不足。指導者の怠慢が乱捕りを禁断の修行法にしたわけだ。強者が弱者に会わせて力を抜くとか、あるいは飛車角抜きでマジ乱捕りするとかしたら、弱者も楽しめる。
というか、ライトスパーでお互いコントロールすればいいだけともいえる。

221 名前:名無しさん@一本勝ち[] 投稿日:2006/02/05(日) 15:51:19 ID:bms6+hT00
>そうすれば一つの技が無限に変化する。
>また、違う法形の応用と重なる技もでてくる。ここにいたって
>技が連環し


そうなると、今度は基本が大事になってくる、多をやることにより
基本の根本が見えてくる。そうやって、応用や乱捕りから基本にフォードバックできるわけ。
アフォな指導者は基本を数かけるのを否定するが、そうやって根本が見えた人にとっては、基本の数練習は、実は多くの変化の エッセンスの練習にもなる。
また、初心者の段階では、まだ拳法の体になっていないので、数かけて体を練るという意味もある。
基本の数が少ない道場のひとは、ぶっちゃけ弱いわな。

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