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  今回、空乱ということをテーマとしまーす、などと掲示板で書いてみると、いろいろと空乱に対してご意見が出ましたね。いろいろ。

@着胴しない乱捕り
A着胴・素面の乱捕り
B空撃乱捕り。つまり寸止め
Cウォーミングアップの乱捕り
Dライトスパー
Eゆくっりとカルメニ乱捕りすること
などなど…

  被っている内容もありますが、聞いてみるだけで簡単にこれだけ出てきました。共通点といえば、ガチンコで無いという点でしょうか。こんな感じに空乱と言っても、流派・支部・個人においてその認識にかなり差があるようです。
  ov20を前にメールなどで話していると、またたくさん意見が出てきます。


>空乱について説明すると
  ねんのため、空乱とは、ライトスパーと同じと考えてください。他武道、キック、ボクシングでも、毎回ガチガチスパーリングをやるのではなく、ライトスパーを何ラウンドも繰り返すのです。スパーはたまに行うくらいです。マテ茶さんの、日拳の普段の練習の書き込みが掲示板にあると思いますが、あの40秒の乱捕りの10ラウンドがいわゆる空乱です。なのでうちらが行っている、ウォーミングアップそれ自体が空乱です。 少林寺の場合、試合用というか決まったルールで行わないだけであって、要は、力を5分〜7分、スピードを7分くらいで行うのがライトスパー、つまり空乱です。
  要は、少林寺拳士の多くは乱捕り、イコール「殺伐ガチ」と考えている。これの対策として、ガチ=乱捕りじゃないよって、わかりやすくする。空乱=ライトスパー=ウォーミングアップ=力・スピードの手加減でよいかと。



> たぶんそのことが分かっていない拳士がスゴーク多いと思いますので、
> ということなら、各論の前に、総論で参加者の意思統一を図ることが大事です。

総論 = 空乱ってどういうものか
各論 = 具体的に空乱ってどうやるのか

  つまり、空乱に種類があるのではなく、乱捕に種類がある。多種類の乱捕のうち、ある一定の傾向にあるものを空乱と呼ぶ習わしがある。「その場で」というのがここでのキーワード。つまり「目的は別にあり、その目的への到達手段として、乱捕がある」ということ。もし目的を見失うと、手段(乱捕)そのものを自己目的的化してしまう。



> 以上のようなことを簡潔に纏めて丸廉内での「空乱」の定義を決めておく
> ことは必要と思われます。双方の定義が食い違っているとヤバイことになりますので。
  定義といっても、それは法の条文的なものではない。乱捕には多くの種類がある。そのうちの一定傾向にあるものを「空」と呼ぶ。所詮は傾向であるから、その空乱にも多くの種類がありうる。ということは、明確に呈示できるものは
「目的=意義」(なんのためにやるの?)
「利点」(なにがうれしいの?)
くらいしかないので、それだけでよい。……というより、「乱捕」や「空乱」という言葉に対して、余計な「定義」を刷り込んでしまうと、出席者に対して後々害を及ぼす先入観を埋め込むことになる。



 「空乱」とはどういうものか、その意義が問題となる。この点、「空乱」とは、乱捕り稽古の一種であり、当事者の設定するルールによって各自が行う限定若しくは自由攻防の乱捕りをいうと解する。
 なぜなら、人それぞれによって習得を欲する技術は異なり、その相手の体格、技術水準等によっても多様な種類の方法を認めることが乱捕りの上達には必要だからである。また、乱捕=ガチガチ、と解釈する意見も一部では広がっているが、それは、乱捕り稽古を行わない現状がもたらした弊害であり、それによって導き出された、空乱=ガチガチ、という解釈は意味をなさず、妥当性を説明することもできない。
 したがって、空乱とは、ガチガチではなく、乱捕り技術上達のための限定若しくは自由攻防の乱捕り稽古というのが妥当である。
 この定義によって空乱を、少林寺、丸廉、他武道の稽古名を解釈するに、丸廉においては、ウォーミングアップ、目慣らし乱捕、他武道においては、ライトスパーリング、がこれに該当すると思われる。少林寺の各支部で行われる、休憩時間、または最後の練習、である一定のルールで行ってい乱捕りもこれにあてはまると解する。
 では、「空乱」における当事者が設定するルールとはいかなるものがあるのか問題となる。
 この点、@攻撃箇所の限定、すなわち、顔面有りか否か、下段は有りか否か、等の一定の攻防を前提とする限定乱捕り、A攻撃力の制限、すなわち、振りぬくか振りぬかないか、蹴りがあたった瞬間にとめるかとめないか、等、攻撃の当たった瞬間の脱力の程度、または、力を50パーセントで行う、30%で行う、といったようなパワー制限の程度、並びにBスピードは全力で行う、又は30%で行う、100%で行うといったようなスピード制限の程度、が挙げられると解する。
 そもそも、空乱=ガチガチではない、という前提がある限り、この3要件を選択的に行うのは空乱であるというのが、合理的に客観的に妥当性を有するといえる。したがって、空乱とは、空乱選択3要件の組み合わせによって成立した多寡な乱捕り練習方法であるといえよう。



220期生中西準一著『少林寺修行記』をぱらぱら見ましたけど、空乱でも倒し合いしてた模様ですな



  とまぁ、空乱となると全く話が治まりませんね(治める気もないですが)。楽しいですけどね、こういう拳法談議も。


  そもそも今回何故テーマが「空乱」だったのか?というと、前回ある大学拳法部所属の拳士の方が、
「うちは乱捕りは、空乱しかしないょぉ」(;´Д`)
と全力で嘆いていたので、「ちゃんと乱捕りしてるんだ〜。えっ!?空乱てそんなにダメ?」と話し始めてのがきっかけです。じゃ空乱でいって見ようとなりました。ノリです。

  上記ように空乱はいろいろな認識がされています。このすりぃぱぁさんはどういう意味で言ってるのか、いまいちわかりませんが、この場合は「もっとガチガチやりたい。ガチでなくてええんかな? (乱捕りはガチであるべし)」と言っているように私には聞こえました。私の考えで言えば完璧に誤認だと思います。むしろ乱捕りをやってるだけでも、恵まれてるのではないんかいな? いまの拳法部の平均(?)から考えて。と思ってしまったりするわけです。

  他武道・他流でも、空乱を自由攻防系修練のメインとしているところもあるし、キックやムエタイでも普段の練習ではガチなんてまずやらないと聞いてる。のになぜ、少林寺においてはここまで「乱捕り=ガチ」という発想になってしまうのでしょうか? 日常的にガチばかりしてると、もちろん得るものもあるだろうが体が持たないし、もしかしたら失うものもまた多いのではないだろうか(人間関係など)。これは2ちゃんねるでもよく言われましたが、このような「乱捕り=ガチ」という等式は、乱捕り経験の少なさから来るものです。

  今回の三次会ですりぃぱさんと話していると、以前よりもずっと乱捕りを冷静に行えるようになり、自信も憑いてきたという。それ見たことかと。( ´∀`)
  彼は丸廉参坐当初は、口から出血しただけで(ごめんね、こんな言い方で)すごく動揺していた乱捕り不慣れな拳士でした(精神的にまいっていた)。でも最近は慣れてきた。
  彼が慣れるまでの乱捕り稽古の過程は、部内での軽めの乱捕り(空乱)と月一に丸廉でやるやや強度の上がる乱捕り(30[min/月] 未満)だけです。つまり普段は軽く、そしてたまには強度を少し上げて……という過程を繰り返してきたわけです。彼が、部内と丸廉の乱捕りをどのように位置づけてるのかは知ったこっちゃないけど〜、こういった話をしていくうちに、彼は「いつもガチガチやる必要はないんだな」と実感、認識したようでした。
  普段は軽めにやって動きや目付けを養う。たまに強めにやって精神面を養う、という一つのバランスがとれたんでないんかい?と思ってしまいますが。(真相は知らなぃ。実は夜な夜な歌舞伎町徘徊してるのかも) まぁこれらは経験を通して感じ得られた、一つのよい結果ということで、やっぱりやってなんぼですね。

  空乱はけしてヌルイ稽古方法ではないと思います。どのような稽古でも同じだと思いますが、上記のように「目的」と「利点」をちゃんと認識してやれば十分に有効性のあるものです。空乱には空乱の良さがあり、ガチにはガチの良さがあるはずです。
  普段から軽めでも乱捕りをやっていると、とても得るものは多いものです。空乱も一つの乱捕り稽古です。赤卍くらいなら、日々楽しい乱捕りでも考えて級拳士とやるくらいはやりましょう。その一つとして空乱をベースにするのはいいですよ。導入にも継続にも。教えるフリして試せるてのは組手主体の利点ですしねw

※いちよここでは、「空乱=軽めの乱捕り」ということで、話進めてます。
※すりぃぱぁさんを出血させたのは、ある特別な場においてです。丸廉でのマターリ組の乱捕りではそんなことはありません。
※ところで、事実すりぃぱぁさんは、最近ヒジョーに伸びている。皆言ってるし私もそう思う。早く追いつかないとと日々考えてます。


丸廉掲示板より
752 名前: しまじろう 投稿日: 2003/08/25(月) 14:58

30年前は、空乱とは、防具無しで行う空手式の寸止めの乱取りのことを言っていました。
どちらかといえば体力型のグローブ・胴利用の乱取りと比べ、スピードが主の乱取り形式で、大きな意味を持っていたと思います。
関西大会の模範乱取りで、空乱の名手で細身の松○時○先生が、少拳士クラス2名を同時相手の乱取りを行ったのは圧巻でした。同時に突き蹴りで攻撃してくる2人をスピードと体をかわすことで互角に捌いておられました。先生の手数の多さ、速さは圧巻でした。しかし最後は、1人が攻撃するのに会わせてもう1名が先生の両足にタックル。
倒されたところをもう1名に上から決められて勝負有り。さすが空乱の名手の松○先生もそれなりの者複数にはすんなりとは勝てない事、逆に素人相手なら相手が2名でもそこそこやれるということを知りました。

今は、空乱とはライトスパー(マススパーかしら)とのこと、それは必要だと思いますが、防具無しの素手での緊迫した攻防は他の形式ではえられないものを持っています。
ただ、技術を持っていない者がやると、本来なら当てられたことが認識できないことや、止める技術を持っていないために相手に当たってしまう事などからあまり勧められません。
上級者が当てずに止めてくれた後に、手を出し、相手に当てることが多いのですよね。ちなみに今私は寸止めではなく、厚めの拳サポ・マウスピースを利用しての当て止めで行っています。この形式では当てられたことがはっきり認識できるため上記のような問題はあまりおきないようです。
参考まで。

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