はじめに
1981年 (中略) 事故が発生した。
この事故を契機に、「乱捕りについての様々な問題点にあらゆる角度から検討を加え、今後このような悲しい事故の発生を防ぐとともに、開祖の教えに則とった正しい乱捕りの在り方から、逸脱しないようにする為にはどのようにしたらよいか」、と管長先生より御諮問があり、各部会より選ばれた11名の委員で構成する乱捕り問題検討委員会が設置され、1981年8月23日に第1回の委員会が開催されて以来今日迄、乱捕り問題について検討を重ねてきました。
当委員会では、乱捕り問題について、本質的、医学的、法律的見地より検討を加える予定であったが、専門的知識を要することと、又、時間的制約のため、当委員会では少林寺拳法の本質面から「乱捕りとはなにか」、「乱捕り指導について」、「乱捕りの安全管理」等を検討し、その結果をまとめ、管長先生に答申し、御裁可を得た。よって道院長、支部長並びに拳士全員に周知徹底するために、その答申を「乱捕りについて」としてまとめた。
尚、乱捕り問題を検討する過程において、様々な問題点、研究課題が出てきたので、今後の課題として残された事項を、次に列記する。
- 当身の効果と身体に及ぼす影響を医学的に究明すること。
- 事故の発生と法的責任について。
- 審判規則、競技規則の改訂。
- 防具の改善。
最後に、今後再び悲しむべき事故が起らないようにする為にも、又、少林寺拳法修行の正しい在り方から逸脱する者がないようにする為にも、全道院長、支部長、監督は、この決定に従って乱捕り指導を行なうこと。又、各種講習会や武専等に於いて、機会あるたびに、正しい乱捕りの在り方、指導方法、安全管理等について教育指導を行なうことが肝要である。
合掌
1982年(省略)
乱捕り問題検討委員会委員
(省略)
第一章 少林寺拳法の『乱捕り』について
開祖は教範第一編第一章で少林寺拳法を次のように規定されている。
「この私が中国で修得して来た、北少林義和門系の阿羅漢之拳と称する、印度伝来の宗門の行としての拳は、一般の武術とは本質を異にし、相手を倒し相手に勝つことを自的とするものではなく、己に克ち心と体を整えて技術を楽しみながら、自他共に上達を図るという特殊なものである。護身練鍛と精神修養と健康増進の三徳を兼ね備えた法である。」
開祖は、少林寺拳法は一般の武術とは本質が異なると明言されている。およそ武術とは、積極的に攻撃するにせよ、身を護るだけにせよ、最終的には、「勝つ」ということを目的としているのである。つまり、武術の本質は、そこに精神的な働きが認められるとしても、相手に勝つということが最終目標になる限り、『闘い』なのである。
少林寺拳法の目的は、相手に勝つことではなく『人間完成』にある、とは開祖の言である。
然して、目的が人間完成にある以上、その在り方もそして修行形態も、その目的に合致するものでなければならない。開祖は「少林寺拳法の最も大きな特徴は、法形組演武を通じて人間を陶冶し、相手と共に上達を楽しみ、自他共楽の道として楽しく修行できるところにある。」と述べておられる。少林寺拳法と一般武術との決定的な違いは、ここにあるのである。
少林寺拳法の修行の在り方は、「修養」である。そしてその修行形態は、「闘争」ではなく、「共同作業」である。「破壊」ではなく、「建設」である。即ち、自他共楽思想の具現である「法形演練」こそが、少林寺拳法の基本理念に則った、主たる具体的修行法なのである。相手と闘うのではなく、相対しながらも協力して一つの形を作り上げる「法形演練」は、一般武術には見られない少林寺拳法独特の修行法なのである。
ところで、この少林寺拳法の、基本的な考え方から逸脱した修行方法をとる者があることは、残念な事実である。即ち、あくまでも法形の運用方法を修得するための補助手段に過ぎないはずの防具着用の乱捕りを、日々の修行の中心に据え、肉体的強さのみを修行の目的とし、勝敗を争うことを目標に修練する者である。このことは、開祖の提唱された自他共楽の精神を真っ向から打ち砕くことであり、人間完成の行たるべき少林寺拳法を単なる格闘術に落しめることである。
少林寺拳法に於ける乱捕りとは、基本技法の運用を学ぶ一方法であり、法形演練に於ける、一修練法なのである。このことがよく理解されていないため、前記のような誤りが起こったので、当委員会では、乱捕りを法形から遊離した修行法としてとらえるではなく、「乱捕り」が少林寺拳法修行の中心である「法形演練」の中で、どのような役割を果すのか、その意義と定義を明らかにし、さらに必然として、法形修練の具体的方法を体系づけたいと考えるのである。
(1) 乱捕りの定義
乱捕りは、法形演練と切り離して考えられるものではなく、法形を修得する過程で行なわれる、限定又は自由組演練を指す用語であり、剛法、柔法、防具の着用、不着用を問わず、競技や試合として行なわれてはならない。
(2) 乱捕りの意義
少林寺拳法修行の中心となる修行法は、古来幾多の先人たちが到達したところの極致である「法形」を演練することであるが、形を学ぶという性格上、ともすれば一定の形を憶えるだけに終り易い。形を憶えることは大切なことであるが、それにこだわり、そこにのみ止まっていては型にはまってしまうことになり、心身の自由なはたらきを失ってしまうのである。そこで、法形修練に際しては、一定の形を演練しながらも、変に応ずることのできる心のゆとりと、身体の即応能力を養うよう常に心がけねばならない。法形を固着した型としてとらえずに機に応じ変に応じて変化し、必要ならば武の用にも投立つような、融通無碍の形に仕上げるため、法形を修得する過程で、限定あるいは自由なる攻防を伴った修練が必要なのである。その具体的一修練方法を「乱捕り」と呼ぶのである。
故に、ここで「乱捕り」という固有の言葉を使っているが、これは「法形演練」という言葉の中に含まれている一修練方法のことなのである。勿論、一般的に呼ぶところの「乱捕り」とは、柔法、剛法ともに含めてのことであることは言うまでもない。そして、ここ忘れてはならないことは、「乱捕り」それ自体は、法形演練と切り離されて存在するものでは決してなく、少林寺拳法の基本であり、自覚の道である「法形」を修得するための修練方法の一つなのである、ということである。
(3) 防具着用の乱捕りについて、
開祖は防具着用の乱捕りについて、次のように述べておられる。
- 『剛法を主体とする突き蹴りだけの乱捕りは、危険が多く怪我人もでるために、一部では、或る種の防具を用いて修行させているのであるが…(中略)…技が数種類に制限されてしまうので技術を楽しむという妙技が無くなり…(中略)…相手を倒すことや相手に勝つことばかりにこだわるようになっていつの間にか己れに克つための修行でなくなってしまう…』
- 『防具をつけて技を制限し試合をさせることを目標に弟子を育てると、点数をかせぐこと専念しはじめ、勝つためには手段を選ばぬような人柄が育ち、相手を打ち負かしたときだけに喜びを感じるという、自我意識の強い倣慢な人間を作ってしまうことである。』
- 『少林寺拳法に関する限り、防具着用の乱捕りを主にすることは絶対に不可であり、あくまでも、法形の組演武を主体として演練すべきである。そして防具着用の乱捕りは、あくまでも剛法組演武の補助手段としてのみ行うべきである。』
つまり、防具を着用するということは危険防止のためであり、防具着用の乱捕りは、競技や試合を行うためではなく、あくまでも剛法法形演練の補助手段として行われるべきである。
第二章 乱捕り指導について
開祖は、教範第四編第拾四章に於いて、乱捕り修行の必要性を説くと同時に、防具着用の乱捕りや、試合形式の乱捕りの限界や欠点を明確に指摘され、防具着用乱捕りを主にすることや試合形式の乱捕りを行なうことを厳に戒めている。
その理由は、法形組演武を通じて人格を陶冶し、相手と共に進み相手と共に上達を楽しみ、人を立て人を生かしながら我も生きる、自他共楽の道として楽しく修行できる、少林寺拳法の最も大きな特徴が、完全に失われるからである。
故に乱捕りの指導にあたっては、先に別項で述べた「乱捕りの意義と定義」を徹底的に理解させ、試合形式化し優劣を決め、勝つことのみによって喜びを感じ自信を深めるという間違った在り方に落しめることのないように指導することが、指導者に課せられた義務である。乱捕りの指導にあたっては、先に述べた乱捕りの意義と定義を十分に理解させた上で、基本規則に則って行なわせるこが肝要である。
(1) 乱捕り指導の要諦
- 乱捕りは試合や競技ではなく、法形を修得するための一修練方法であり相手との問合や虚実、技の連絡変化などを修得するために行なう応用法形であることを十分認識させた上で行なわせる。
- 乱捕りは、必ず指導者が付いて行なわせる。
- 指導者は、乱捕りを行なっている状態を冷静に観察し、安全を確認しつつ、正しい在り方で行なえるように指導する。
- 勝負性を意識させるような判定は行なわない。
- 誤った根性主義は、事故につながる恐れがあるから強制しない。
(2) 安全対策
- 防具および場所等の安全を確認する。
- 安全救護処置のできる指導者が立合うこと。
- 体調の悪い者、不適正な者(精神的、肉体的)には行なわせない。
- 事前に準備運動や基本法形等を行なってから実施させる。
- 剛法乱捕りは、原則として胴、グローブ(又は拳頭をカバーするサポーター)、ヘッドギア(又は後頭部カバー)、金的カバー等の防具を着用して行なわせる。
- 防具を着用した場合でも、上段への当身は寸止めとする。
- 肪具を着用しない剛法乱捕りは、すべて当身は寸止めとする。
- 級拳士には、原則として自由乱捕りは行なわせない。
- 禁止事項
(1)目打、金的蹴、後頭部及び頚部への攻撃、後方からの攻撃、首締め、紺打ちからの投、倒れた相手への攻撃。
(2)上記のほか資格等にてらし危険と認められる技。
第三章 修練方法
少林寺拳法では、まず不敗の態勢をつくり、しかる後に相手を制することを教える。守主攻従である。
故に、少林寺拳法を学ぶ者は、まず受けて立てるという技術と心構えを培うことに心せねばならない。その為に少林寺拳法では、先人が伝え磨いた拳技の集大成である法形を学ぶことから、拳の修行は始まるのである。
従って、少林寺拳法を学ぶ者は、まず受けて立つという法形の基本形を修得するように努めねばならない。法形を無視していきなり相手の機先を制することや、攻撃のみで相手を制することの練習に専念すると、その当座は効果的に思えても、少林寺拳法の巧妙な技術を味わうことも会得することもできず、心、技の進歩はその段階で止まってしまうものである。少林寺拳法を学ぶ者は、呉々も目先の肉体的強さや小手先の技術に因われず、少林寺拳法の底知れず深い妙味を生涯をかけて追求してゆくよう心すべきである。
本章では漸々修学の在り方に基づいて、少林寺拳法に於ける法形修練、乱捕り修練の具体的方法を提示する。
(1) 乱捕り修練の実際
《剛法乱捕り》いきなり自由乱捕りをやらせずに、資格に応じて習った範囲内での、法形を用いた限定乱捕りを行なわせる。
【例】
A、上段突攻防
(攻)各種の上段単撃(順突、逆突、直線突、曲線突)を行なう。
(守) 1、防技を施す。
2、防技を施し、突又は蹴反撃を行なう。
B、中段突攻防
(攻)各種中段突を行なう。
(守)防技を施し、突又は蹴反撃を行なう。
C、蹴の攻防
(攻)各種単蹴攻撃を行なう。
(守) 1、防技を施す。(払受、十字受、下受等)
2、防技を施し、突又は蹴にて単、連、段反撃を行なう。
D、連攻防
(攻)二連攻又は三連攻を行なう。
(守) 1、連受、段受などの防技を施す。
2、防技を施し、突又は蹴にて反撃を行なう。
E、段反撃
(攻)上段又は中段へ直突の単撃を行なう。
(守)白蓮拳、仁王拳等の法形を用いて段反撃を行なう。
A〜E迄は、いずれも攻守を決めて、攻者は攻撃の練習を、守者は防禦と反撃の練習を行ない上達をはかる。上達するに従ってAとB、或いはAとE等を組み合わせて行なうようにする。
A〜Eを攻守どちらが行なうか分けずに、決められた攻防を行なう。これらの限定乱捕りを行ない、上達に応じて自曲乱捕りに移行して行く。
《柔法乱捕り》資格に応じて、習った範囲内での限定乱捕りを行なわせる。
【例】
A、龍王拳の攻防 (攻守を決めて行なう。)
B、龍華拳の攻防 (攻守を決めて行なう。)
C、羅漢拳の攻防 (攻守を決めて行なう。)
D、上記の攻防を攻守決めずに行なう。
E、A〜Cを組み合わせて行なう。
F、上達に応じて柔法自由乱捕りを行なう。
(2) 剛法法形修練の具体的方法
【例】内受突
内受突という一つの法形の中に実に多くのものが含まれている。しかし、それを一定の型として促えてしまうと、法形としての内受突は死んでしまう。ではどうしたら良いのだろうか。
内受突という法形には多くの形がある。その実例を掲げて以下に記す。
『第一課程』
内受突には左右表裏四つの基本形がある、それを体構、受手、運歩法を考慮して行なうと、32法行なうことができる。
まずこれらの形をしっかりと修練すること。
『第二課程』
二つ以上の形を組み合わせ、指定された範囲内で自由に行なう。但し、あくまでも内受突に於ける攻撃と防禦である。
進度1
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攻撃一定
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防禦限定自由
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範囲二形、三形、四形以上、
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進度2
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攻撃限定自由
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防禦一定
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範囲二形、三形、四形以上、
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進度3
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攻撃限定自由
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防禦限定自由
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範囲二形、三形、四形以上、
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進度4
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攻撃自由
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防禦自由
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範囲二形、三形、四形以上、
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『第三課程』
他の法形との関連で行なう。範囲設定(範囲に入る他の法形も第二課程素まで修練されたものでなければならぬ)
進度1
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内受突と内受蹴
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(受を限定した場合)
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進度2
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内受突と上受突
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(反撃を突に限定した場合)
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内受突と外受突
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或いは内受突と他の2〜3技を組み合わせてよい。
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内受突と打上受
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進度3
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内受突と押受突、下受突
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(攻撃の変化に応じた形)
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内受突と上受突、流水蹴
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『第四課程』
突攻撃、蹴攻撃、或いはその組み合わせ。範囲設定。
進度1
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単撃に対して。
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範囲 狭 広
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進度2
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二連攻又は三連攻に対して
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範囲 狭 広
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進度3
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単、二連、三連の組み合わせに対して
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範囲 狭 広
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進度4
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自由攻撃に対して(一方攻撃、一方防禦)
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範囲 狭 広
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『第五課程』
自由乱捕りである。
第五課程が、いわゆる自由乱捕りであり、この課程は、少なくとも第一課程が行なわれた後でなければならない。しかし、第二課程や、第三課程を必ずしも経た後でなくとも、指導者の判断により適宜行なわせてよい。
また、第四課程の進度を適切に選択して行なえば、第二、第三課程、そして、ひいては第一課程の重要性を再認識できるのである。
以下、各剛法法形について、同様の修練課程を行なえばよい。但し、全ての法形について以上のような修練を行なうことは、現実には難しいので、実際上使用頻度の高いと思われる法形を抽出し、それらについて行なわせればよい。
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