●会話形式(掲示板でよくあるやり取り)@
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> それは一部だけをみているから。高段者はすごいよ。
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そんなのどの武道でも高段者はすごいにきまってるよ。
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●会話形式(掲示板でよくあるやり取り)A
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> そんなことない。剛法、柔法なんでもあるんだよ。
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> 少林寺は強い弱いをきめるための武道じゃないんだよ。
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私がいままで少林寺が煽られている掲示板を見ると大体こんな感じの流れになって、これ以上話しても仕方ないって感じで会話が終わっている。ではほんとに少林寺は弱いのだろうか?
まずどのような人が煽っているのだろうか。私が見た感じでは、少林寺を煽っている人は
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A大学で少林寺の知り合いがいてその人と乱捕りして弱かった印象を持った人、
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または技を見て、そんなのとまってる相手にしか効かないじゃんって思った人。
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B少林寺経験者(演武で全国学生大会入賞者)が他武道に転向し、その人と乱捕りして弱いと思った人。
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@〜Bの理由により少林寺が2ちゃんねる上で煽られています。それを見た一般の人々はどう思うのでしょう。学生本部春合宿(2002春合宿B週だったかな!?)において、全体集合の場で、本部の先生が「2ちゃんねるっていうインターネット上の掲示板で少林寺がばかにされているみたいだけど、みなさんは気にしないように。」という主旨の連絡があったみたいです。おそらく拳士は2ちゃんねるを見ても疑うでしょう。しかし、一般の人が見ると「なんであちこちで煽られてるんだ?」「やっぱ弱いからだろう」と思ってしまうでしょう。そのなかで心無い人達が少林寺を知りもせず、ネット上で煽りを始めるのです。つまり、2ちゃんねるなどで煽られている少林寺を見てカキコしてるヤシも多いのです。(これは有段者だと書き込みを見ると判断つく内容です。)単純にネットというものが無ければ,こういった未経験者の煽りはまずありえません。これはどの武道に対しても言えることですが。このインターネット上の特徴も見過ごすわけにはいきません。
@〜Bを見ると、
煽っている人達は「少林寺拳士」を見て弱いと決め付けていると思われる。少林寺の技術自体に対して否定的発言をしている人は少ないと思う。
では、この@〜Bに対して私なりの意見をすると
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@中途半端で少林寺をやめて文句を言うのはやめて欲しい。もうすこし続けてから否定して欲しい。
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A大学支部にもよるが乱捕りを練習していないところもあるし、技にしてもきちんと指導が行われてないところもあるので決め付けないで欲しい。
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Bこれは少林寺が抱えている問題かもしれないが、演武でそこそこ実績を残している人は乱捕りの練習もきちんとこなすべきでは。護身術になっていない。
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以下私見
演武で入賞しても自分が強いのだと思わないで欲しい。言い方は悪いが、今の演武はダンス大会で入賞したのと一緒です。関東地区の全日(全日本学生大会)の運用法予選を見る限り、演武で入賞をしている拳士よりも入賞していない拳士のほうが乱捕りが強いかなって印象を持った。関西学生大会では、演武の最優秀者が他の大学にあっさりと2本取られるのがしばしばらしいですし。私が実際に聞いた話ですが、「全日で最優秀をとった○○大の人ってめっちゃ乱捕り弱いってよ。高校時代の同期が言ってたよ」こんな会話が出ています。「演武しか試合ないから乱捕りなんかしなくていいじゃん」こんな会話も聞こえてきます。これは学生に限っての話ですが、一般になると以下の会話が聞こえます。
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「拳士は宗門の行であることを,『弱さ(たとえ弱くてもいい)』の言い訳としている」
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「強さだけを求めているわけではないと言い,教義を隠蓑かくれみのとしている」
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こういった話もよくネット上で聞きます。
確かに今の現状では、女性や高齢者の拳士が少林寺を続けることができるのはわかります。別に彼らに対して乱捕りやれっていうわけではありません。健康増進の目的の方もおられるのですから、体力に応じて行えばよいのです。ただ、それなりに体力のある方が乱捕り稽古をしないのは武道としてなんかしっくりきません。乱捕りをせずに護身術として少林寺を使えるのでしょうか?
少林寺拳法をやっている拳士に弱い人が多い。(強い弱いを決めるのは少林寺ではない、といわれる可能性があるので、言い方を変えると、護身術として使えない拳士が多い)
なぜか?それは乱捕り稽古を日頃の修練にとり入れていないからである。
なぜ?乱捕りの試合がないから。演武の試合しかないから。怪我人を出したくないから。指導者が乱捕り経験があんまりないから。たぶんこういった単純なことではと思う。
丸廉の活動が始まった理由にこういった事情があることはホームページを読んでわかっていただけると思います。こういった疑問を持って各地で有志による練習会を開催している拳士が全国的にはけっこうおられます。始めは小さな動きでも、いままさに始めることが必要なのではと考えています。
結手
(わんわん 2002/07/21)
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