@:333 名前: 40前拳士 投稿日: 01/12/27 17:41 ID:AHjBCd96
先の先・対の先・後の先の話が出ていますが、理屈分かっただけでは身体はついてこないんです。
まさにここが、乱捕練習の必要な所以です。

「誘う」と簡単に言う人がたまにいますが、誘うのは本当に難しいものです。 誘い方が下手だと、ただの「隙」になってしまって誘ったところにもらってしまいます。 (例:待気で誘ったところにもろに上段突をもらってしまう。)
また、フェイントで動いてしまったところにもらってしまいます。(例:待気で誘ったところにフェイントをかけられてフックや廻蹴をもらってしまう。)

「コンビネーション」というのは、まさにこのためにあります。
フェイント・捨てパンチ・捨てキックを組み入れて相手の隙をつくるようにするのです。
それを何千回何万回も練習して、速く正確に、殆ど無意識に出るように練習します。

そして、そのコンビネーションに振り回されないようになるためには乱捕をやりこんで感覚を磨くしかありません。 この辺は、剣道やボクシングの経験者なら誰でも当たり前に知っていることです。地稽古・スパーリングをやりこんで体得して行くしか無いのです。少林寺の場合は、それが乱捕練習です。


@:489 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 02/01/17 23:11 ID:cJC7jJbE
昔、大学拳法部でやってたころ、芦原空手に数ヶ月通いましたが、そのとき言われたこと「君は間合いが遠過ぎるよ。」

私としては顔殴られることを考慮しない中途半端な間合いが怖いかったですね。少林寺式の前蹴りがボコボコ入りましたが、肝臓への下突をやられて息つまったのが印象的でした。あれは効きます。ルールによって全然違うというのを実感した次第です。

後、大学拳法部に極真やってた奴と白蓮会館の奴がきたときは、少林寺ルールでしたが、順突一発で鼻血出させてKOでした。「パンチが全然見えなかった」とのこと。いざ喧嘩になったら絶対顔殴ってきます。護身術として考えたら、やっぱり、少林寺は初心者でも顔面有りでやるべきです。ただ、相手のおでこを触ったら勝ちとか、順突だけで運歩と相手を観る練習をするとか段階をおってやるべきです。もちろん首を鍛えまくるのは常識!


A:44 名前: 強いひと 投稿日: 2001/01/11(木) 01:06
>1に同感。
俺は中学・高校・大学と少林寺10年以上やっていた。並行して日拳も一応強い方だと思ってる。
んで、少林寺で強いといわれている人は皆研究心の強い人だよね。いろいろ内外でも試している(キック・空手ルールの試合経験者多数)。
少林寺の活動では試合がないからしょうがないんだ。本部の先生しかり。俺自身も(アマチュアリングスetc.)。
そして「少林寺やってるだけでここまでになったんだ」って顔して歩いてるよね。だから少林寺のなかで優越感に浸れるんだ。とても宗教的なんだよ。少林寺は。内部に試合持っちゃうと今の剛法法形体系(法典)が崩壊しちゃうからね。法典(法形)をあがめながらも外部で切磋してきた人が強い人なんじゃないかな。でもそういう人は組織的には一握りでいいんだ。あとは皆強い拳士にあこがれている存在でいい。組織維持にはね。
でもこれじゃ新入門生かわいそうだよね。こういった事情をしっかり理解している先生のもとで修業するといいよ。いい稽古メニューで練習しているよ。そして法形の本質も誰よりも理解できる。いい稽古環境で少林寺を3年(大学のクラブと仮定)するなら、他武道より強くなれる可能性は多いにあるよ。柔気拳法やFA拳心館などは平たく言えばこうした組織の問題が嫌気し独立したといえるね。少林寺もだいぶ良い方向に変わってきたけど、宗教色がある以上、本部崇拝体質(本部が一番技術が優れていると思わせる体質)は変わらないんじゃないかな。
短い期間で少林寺マスターするつもりなら「強い人をいっぱい見たよ」という自己満足だけで終わらないよう、気をつけるべきだと思う。
くれぐれも「俺は弱いけど「少林寺の本部の先生は強い」よ」っていう輩にはならないでね。大切なのは自分にとっての修行価値だからね!強さは関係ないよ。 (乱文失礼)