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  以前いただいたメールの中に以下のような内容がありました。


  また、当て身の5要素も実は少林寺が一番理解してないんじゃないかとも思います。
  私は、少林寺式に突きや蹴りを
何でも受けようとする悪癖を消すのに結構苦労しました。剛柔流は、当てられても利かなければいいといった思想の空手です。まさに当て身の5要素が根底にあります。間合いを急激に変えることで当たりを弱める、急激にタイミングを変えることにより自己を実にし相手の突き蹴りを虚をにする、急激に動き当てられる位置を変えてしまう。なにも全て手で受けること無いです。はるかに実際的です。フルコンもそうですね。

なるほどでした。メールをいただいてはや二ヶ月、ぐふふふふふふ。


●守者にも当身の五要素を
  このメールを読んで気がついたのですが、そういえば少林寺拳法では「当身の五要素」という大変重要なことを級拳士の内に学んでいますが、攻者側の「当身の五要素」ばかり着目されており、
守者側から見た「当身の五要素」という観点が不足しているのではないでしょうか。


●乱捕りすると分かってくること
  乱捕りが楽しいなと思うころになると受けが変化してきます。私の場合は受け手を出すことが減ってきました。なんでもかんでも手を出すわけじゃないと。ライトスパーだから攻撃がやさしいからという理由ももちろんあるのですが、それを差っ引いても不用意な受けは減りました。それは、全力で受けにいかずとも、少しずらしておけば・逃げておけば当っても大丈夫だろうと言う感覚が芽生えてくるからです。

  乱捕り稽古中に、「ああ、もらっても大丈夫そ〜」「たぶん届かねーだろ」「受けるのめんどくさー」という時があります。体勢を変化を伴ってまで必死に受けるまでもないやだとか、運歩使うほどじゃないと思うとこうなります。こういうさじ加減、乱捕り稽古やってないとなかなか掴めないのでないかなと感じます。
  さらに日が経つと、「もらっても大丈夫そ〜」→「痛いだけでしょ」となってきます。
当たった=やられた、ではないということが頭じゃなくて体で分かってくる。見た目は体で受けてるように用に見えることがあるかもしれません。しかし格闘ゲームじゃあるまいに、当たった攻撃すべてがダメージではないということですね。ただ、ちょっと痛いだけ!! 落ちるわけじゃないし、あぁ、このさじ加減。
  読本には、以下のようにあります。
「当身の五要素」とは、
各種の当身を効果的に行うための必須の条件です。どれ一つ欠けても効果は弱まります。

  もちろん見誤って、「思ってたより痛ぇぇぇ(;´Д`) 」とか、「そっちですか!?(中段かと思ったら上段)」とかありますが、これも大切な稽古の内だと思います。もちろん実際に効かなくても、ただ大丈夫!! とするわけではなく、今の攻撃は強度が高い乱捕りの中でも同様に扱うだろうか? などと常に意識を置く事は大切です。ですから受けないことを高等だと言っているわけではありません。

  これらがわからないと当止めの攻撃も守備も出来ない。何でも受けようとする。受けるべきなのか受けなくてもいいのかが判断付かない、すべての攻撃、軽い攻撃にも必死になる、こういう状況ではライトスパーも出来ないのではないでしょうか。突も同様ですが、受けもやはり出せば脇が開くのです。なんでもかんでも手を出すというのはいただけません。
  当身の五要素というのは級拳士で学んだ初期の知識ですが、乱捕り稽古をしないと全くわからないものの一つではないでしょうかね〜。

A
ノンコンタクト
B
ライトコンタクト
C
フルコンタクト
当たらない攻撃 当たった攻撃
効かない攻撃 効く攻撃
当たれば全てダメージがあるのはテレビゲームだけ。

【関連・参考】強さとは個人のこと




メール
( ノ゜Д゜)おはよう

当身の五要素みました。前に言ってた「なんでも(手で)受けようとするのは素人」って話のことですね。

で、**でスパーしててAAさんとBBさんのスパー見てて(AAさんはフルコンスタイルなんだろうけど)
なんでもかんでも効かないからって体に当てさせたらBBさんがマターリ攻撃やってる意味ねージャン。
って思ってしまったわけですよ。稽古目的がはっきりしてないと難しいねーとおもった。
だから「なんでも当てさせたら稽古にならないでしょー(BBさんが本気ならもう逝ってるゾ)」と口走ってしまった。AAさんが別目的でスパーやってるんだったらこれは間違いだったのかナーと思ったりしました。そもそもそのときはBBさんの上段突を捌く訓練の後だったからね。捌きの練習せっかくだからやろうよ。ってね。
何でもかんでも受けに行くのはいかんと私も思います。がマターリだからって当てさせてばかりでも拳法にはならん気もするね。中道中道。正しく判断。これ乱捕りしないと判断基準がわからんね。
捨身の五要素でも作ってくれ。(事故につながるかな??)
掲示板
1334 名前:rusher 投稿日: 2005/07/07(木) 01:15:00
>守者側から見た「当身の五要素」という観点が不足しているのではないでしょうか。
そう? 20世紀の頃から教えるときは両方とも教えてたけど?
1335 名前:ビスキュイ 投稿日: 2005/07/07(木) 07:24:02
>>守者側から見た「当身の五要素」という観点が不足しているのではないでしょうか。
>そう? 20世紀の頃から教えるときは両方とも教えてたけど?


ラさんがそれを指導しているのは私も見たことありますし,私自身も同様の指導は行ってますが,全く意識してされてないケースが多数あるのも事実であると思います〜。ただこれもラさんが何処かで書いていたと思うのですが,格闘競技ではなく「武」として考えると「反応の過敏さ」もあながち間違いではないかなと思うのですよね。例えばまあ現代社会ではあまり可能性はないかもしれませんが,相手が両手に刃物を持っていたとしたら「体で受け止める」というのはいくら五要素の変化を駆使しても危険過ぎますからね〜。かと言って徒手の状況においては過敏な反応はフェイントの餌食になるし…。結局は「自分は今どのようなケースを想定してどのような理念の技術体系を学んでいるのか(学びたいのか」を明確にして修行するのが大事かなと思いました。
1336 名前:アップル 投稿日: 2005/07/07(木) 09:13:44
>>守者側から見た「当身の五要素」という観点が不足しているのではないでしょうか。

護身術だっていって防技をならっているのに矛盾した話ですな。
基本的には法形の中に「守者側から見た当身の五要素」っていうものは入っているんでしょうけどね。


ちなみに開祖法話では。
少林寺拳法は人生の勉強
『新聞少林寺拳法』1991年4月号より

 しっかりせえよ。無気力なやつが増えとるから日本は駄目なのだ。わしみたいにな、死ぬまでは負けたんではない、とことんやってみよう、という気が欠けとるな。世の中ってのは実は大変なとこなのだ。試合で勝ったって、そんなこと意味がない。
 当身の五要素なんていうのはね、人生の極意なんだ。問合いたって対人関係で考えてみろ。人間との距離の問題だ。たとえば魚釣りでも満ち潮のときは釣れるけれど、引き潮になったら食わない。反対に引き潮のときでなきゃ食わん魚もある。魚をとるにも潮時があるんだよ。漁師は、勉強してそこに網をはる。いろんなものに、チャンスってのがある。就職もそう、結婚もそう。当身の五要素ひとつでも、日常生活に生かせる。だから少林寺拳法を道場だけの技と考えては意味がないということです。とにかく人生の勉強をもっとやれ。学校の勉強だけじゃ駄目だ。少林寺拳法も、そういう考え方で勉強してみる、面白いぞ。
(一九六九年二月・本部武専での法話より)


人生の極意とおっしゃってるぜ!


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