改めてみるとタイトルがちょっと卑猥だな…
 縁あって、棒を学べました。これがなかなか面白い。ビスキュイさんの日記もいろいろありーの止まってますし。私も折角学べたことで得たことがあるわけだから、いつもどうり、ぷりぷりっと排出。

 なおこの頁は棒術の技術を解説したり、練習が出来るようなネタを掲載するものでありません。錫杖て楽しいぜぇぇーーー
(・∀・)ニヤニヤ というものです。錫杖に興味をもたれた場合は師を探して師事して会得のこと……(゚∀゚)アヒャ
 なお以下は
正式な錫杖伝(金剛伝)ではありません。まぁ「正式」てのが何を指しているのかわかんねぇけどなっ!!


  1. そもそも目立つ(´∀` )
     モノが大きいので、突発の演武では重宝します。比較的珍しいのでますます重宝します。ぶっちゃけ多少下手でも勢いで……
    ゲフンゲフンッ。私も入門式やらその他でもたまーにやってます。
     ただし失敗するとこっぱずかしいです。クルクル廻す「水車」なんかで、足にコツンと当たると痛いです。肉体的にも精神的にも。モノでかいと失敗も目立ってしまうという罠。そもそも支部で練習していたら、新入門の親子の前で棒を落として大量の鼻血を出したこともありました。カコワルー
     なお、こういった外的要因に留まらず、棒は
    徒手の上達にも大変効果があります。以下はそれらについて。

  2. 遠い間合い、つまり大きな運歩
     棒と言うのは大体六尺(180cm)のものを使います。錫杖購入ガイドにもあるように、少林寺拳法では、身長+αで作りますので、間違いなく手足よりは長いのです。よって当然ながら徒手よりも遠い間合いになります。間合いは常に変化するものですから、攻撃用器が長いんだから当然よね〜これはとっても大切。
     これは上段に対する打込(縦振)をしているところです、上から振り下ろしてるっちゅー状態です。が、これはいただけない例です。ちゅーのも攻者の棒が守者に届いておりません。徒手同様、これはよろしくないわけです。やっぱり攻撃は禍々しくなくてはいけません。
     やっぱり攻撃は届いていない面白くありません。右の状態なら振り下ろせればちゃんと頭がパカーです。
     これは実際にはとても大変なのです、運歩のことです。だいたい畳みを長軸で一枚分くらいすぽーんと運歩しなくては無理で歩いていては届きません。腰を切って運歩しないといけません。また錫杖にも連反攻が当然あります、棒で。よってお互い必死に離脱しないといけなくなり、これらにより入る・出るで
    大きな運歩が必要になります。これを棒でがっつり行っておくと、言うまでもなく徒手で大変役に立ちます。地味な話ではありますが、マジです。

  3. 両手がつながっているから
     基本的に棒は両手で持ちます。もちろん片手で持つときもありますが両手が普通です。つまり棒を持っている状態というのは両手がつながっている状態でもあります。ですのでー、棒をしっかりと正面に振る場合(横振)、腰を入れないといけません。傘でも振っていただければ分かるかと思います。
     棒を振るとこんなこともあり、拳と腰(体)が自然と連動してくるから面白い。これが徒手となかなか相性がいい。実は横振は握り方によって鈎突・振突と特に親和性が高い。

     左の動画のように手だけで振っていると棒の到達できる角度がどうしても小さい。両手つながってるから。
     だから右のように一所懸命w腰も入れる必要があります。そんなわけで棒をやると自然と腰を入れるようになるのではないかな〜と思います。
          ※右、ちょっと姿勢と手が気になりますが許してちょ。。膝はもっと気になったので意図的にカットw うまく脳内補正かけてね(*´ω`)
     
  4. 棒が重たい…
     世の中には様様な棒がありますが、ある程度重い棒を振ることが大切だと思います。というのも軽い棒は疲れないのです。沢山練習できるかもしれませんがいまいち鍛錬になりません。重い棒を振ると疲れてくると腕だけでは振れなくなってきます。重たいものを振っていると、腕よりも背中の辺りが疲れてくる気がします。握力もほどほどにいるので前腕も結構疲労しますがやっぱり疲れるのは背筋です。何かいいことをしている気がしてお得な気持ちになれます。
     また背中が疲れるということだけではなく実にもっと重要な理由があります。軽い棒を振っているとどうしても腕力だけで振れてしまうため、いまいち腰(体)と連動が弱くなり、手の動きが先行しがちになります。たぶん、軽い棒を振っていると手に腰や足が付いて来るような振り方になります。しかし、重い棒を振ると逆に腰から動かしたくなります。これが腰と腕のリンクにとても重要な気がします。とりあえず、手が先行することはなくなってきます。
     棒を手離すと程よく腕・腰・足が同期してるんだけど、気のせいかしらん。

     
  5. 棒て硬過ぎる…
     棒と言ってもいろいろ材質あるけども〜、よく使われる物の中に白蝋樹があります。これは新宿イサミで3500円くらいで買えるありふれた棒です。かなり軽くてやわらかくて、ビンビンしなる棒です。
     ある時、どんなタイミングだったか忘れましたが手に持っていたはずの棒が手を離れて倒れてきました。それが
    コツ〜ン☆と頭に当たりましたとさ。さっきまで手に持って立っていた棒がちょっと倒れただけです。棒の先端が20cmほど移動しただけです。しかも自由落下。なのに……☆が見えた!! フラリフラリまぁいろいろな虚実もあったかとは思いますが、それでも「星かよ!!!」という体験でした。
     武器術て危険なのね〜、、、自由落下でこれとは。もし頭なんてぶっ叩かれたら、、、たとえそれが女の子の力でも、子供の力でも((;゚Д゚)ガクガクブルブル
     徒手との格差をものすごく感じまスタ。
     
  6. 棒は盾にもなるぞぃ!!
     棒は武器であると同時に盾でもあります。なんせ前述の通り異常に硬いもんで。棒は素手ではあまり受けたくないし、徒手に対しては可能な限り棒で防いだ方が幸せ。廻蹴なんかを棒で受けられるととても痛ーい(ToT)  棒は長いので、これ一本で廻蹴なら上中下全て防げてしまうのでお買い得です。また棒有で流水蹴などをしてみるとこれまた美しい。徒手とのリンクもバッチリです。何のことかわかんないと思いますが…盾、盾なんだyo!
     棒を持ってるときに廻蹴をする時は、基本的には右のように棒を持ちます。棒の後に隠れるという状態で。うーむ、あの右手の位置、どこかで見たことがあるような……???
     また、受身やら転倒後の起き上がりでは、このような姿勢となる。また盾にしているわけです。むむむ、あの右手も教範のどこかで見た気がする罠。まあ似てるってだけですけど〜

     書ききれないんですが書いて無いんですが、棒を学んでみると徒手で謎だった部分が氷解した気がする時がぼちぼちあります。そうだったのか!!!!て。同じかどうかと言われると困るんですけど、ちょっと得した気持ちになります。
     
  7. こわくなーい
     錫杖の利点として「怖い」ということが有ります。錫杖には内受突や上受突なども法形もあるわけですがこれらの際の突や打込みてのがかなーり怖い、ほんま怖い。特に棒の突というのは拳以上に理想的な「点」と「直線」で入ってくる、かつ拳以上に「硬い」のでマジこわい。そのくせ「棒は拳より小さいyo!」「そんなに大きく避ける必要は無いyo!」とか言われます。んな無茶な。。。
     とはいえ、人間は何故か慣れてしまう生き物です(麻痺?)。こんな時、今度は棒を手離して同様に
    徒手の法形に戻ってみるとこれがまったく怖くない。自信を持って、よい間合い・よいポジションに入れるからあら不思議。まぁこういった構図はフラクタルだから徒手だけでも当然あるのですが、棒だとより明確で効果があるような気がします。
     しかしやっぱり人間は慣れてきます。拳ばかりやっているとまた拳の方に慣れてきます。練習不足だな
    ┐(´д`)┌
     
  8. やっぱり錫頭があるから。
     棒、棒と言っても少林寺的に考えると若干「棒」とは違いがあります。というのも、少林寺の棒は錫杖であり、錫頭と石突がある、つまり頭と尻尾の区別があるわけですねー。実際に錫頭を意識した使い方というものがあります。もし練習する時はやっぱり棒ではなく錫杖を使ったほうがよいでしょう。私の場合は棒でも必ず一方に印を付けて錫頭を区別しています。
     この意識と言うのが大きく出た例として、天地拳がありました。天地拳では多数「連」の動作が出てくると思いますが、その内2箇所で私は他の人より棒を半回転多く振ります。つまり全体としては1回多く廻していることになります。具体的には「連」で二度打つ時に、

         私:  (半回転) → 錫頭 → 石突
         元: 石突 → 錫頭


    という風に順番が変わっていたのです。私の振り方は常に錫頭から打とうとします。これが「何故2箇所だけ」という理由です。他の「連」は元々、錫頭から打ち込める形なんです。特に意識していたわけではありませんが、夜な夜な公園で一人で練習していたため気がつかないうちにちょっと分化してしまったようです。

     元の方は半回転をわざわざしないので私よりは一拍早く打ち込めます。まぁ私のは演武向きとでもしておきましょうか、やや優美なはず、ですw もちろん半回転入れずに振ることも出来ますが、何も指定がなければ私は半回転多く廻します。ただし、私の半回転は優美さを目指したわけではなく、本来「錫頭から打ち込みたい」という目的から出てきた動作です。これは錫頭が付いてなければここまで意識がまわらなかったのではないかと思います。まぁ、幸い「どちらも有り!!」と言われたので助かってます。
     あと、やっぱり錫頭のシャリンシャリ〜ン♪と言う音もいいですね。これも言い出すと鳴ってる鳴っていないだけでなく、いい音悪い音があるのに気が付きますw
     
  9. 突き手と引き手
     私が剣道を中学校の時にしていたときは、左手がメインで右手は添えるだけ、と習っていました。しかし棒では両手を同じように使うようです。
     棒を振る時は、回転軸を両手の間に作ります(左の写真)。私はそのように習いました。これがとっても大切です。
     この写真では棒を縦に振ってるます。この時、一方の手は押し出す、他方の手は引く、という動作になるわけです。こっ、これは……まさに徒手における
    突き手と引き手の関係ジャマイカ。
     そうなんです。だから真ん中に軸の意識をおいて棒を振ることがとっても大切なんです。写真では引き手は上に、突手は下に(左写真の赤矢印)になってますが、これを90度傾ければ、正面への突そのままです。
     しかしそれ以上に私が感動したのは体の使い方です。前述の通り棒を持っているということは両手がつながっているわけですから、棒をビシッと振れるようになってくると、徒手での突き手と引き手のタイミングが同調してくる気がする…。これがまた、体にビシッと収まる心地よさ〜効果は間違いなくあった!!
     棒では、引き手に当たる手を必ず体につける事で打込の威力を上げます。これは最重要課題です。この身体に着けるという動作もまた徒手と通ずるところがあり、ますます(´∀` )ウホッなのです。
      追記 2008/03
     暗いところ、蛍光灯下で撮影。回転軸が手にないことがよくわかります。

     
  10. 手刀・鈎突・振突
     うーむ。棒してからかなり手刀打のイメージが変わりまスタ。だいぶ直線的な叩きつけるような感じになった気がします。これがいいのか悪いのかは知りませんが、、、私としてはなかなかしっくりきてちょっと幸せです。
     棒の縦振は手刀打の動作です。横振は鈎突と振突(持ち方による、掌の上下)の動きです。これらは特にこじ付けでは無くとても自然に納得できる動作なんです、まじで。

     以前、大学の演武会で合気道の演武を拝見しました。その時合気道の手刀打には、根本的な姿勢の違いを感じましたが、今にして思えばこれなのかなと思います。つまり、少林寺拳法は棒からの手刀、合気道は剣からの手刀。私の中では結構合点が付いたのですが、さてさていかがなものでしょう。

     
  11. 柔法のイメージ
     実は棒にも柔法があります、いくつかは。と言うてもなんせモノがでかいので徒手のように細かくこねくり回せないので多くはありません。それでも龍華拳の基本的なあれやこれは存在します。徒手同様、棒では棒を握られた時にかけます。
     ここで棒を持って柔法を行う利点のひとつして柔法の可視化です。棒という真っ直ぐな実体があるので柔法の解説時に必要な、ベクトルやら支点やら力点やらが徒手とは比べ物にならないくらい明確になります。これはちょっとお徳です。
     ついでに棒(六尺・如意)による柔法は無慈悲な痛さがあります。肉でかけられるよりモノでかけられるとぉぉぉぉ、その無機質な刺さり具合・長さを生かした嫌らしい加速、たまらん。まじ勘弁。

     
  12. 何故衰退したの?
     まず場所でしょうか。実際に振ってみると分かりますが、錫杖てのはとてーも場所をとります。振り回すので縦横三倍、と棒は怖いので気持ち遠ざかって大体徒手の場合よりは3×3+1=10倍の場所をとります。一応昔の科目表見ると、チラッと「金剛伝」という項目がありますが、徒手ほど細かく記載はされていないようです。
     次に棒を持参するのがめんどくさい。というのも有るんじゃ無いでしょうか、多少は。だってでかいんだもん。私なんて自転車で移動中に棒が前輪に刺さって飛んだことがあるし。ほんと持参が大変です。車来てなくてよかった〜。
     最後に強力すぎるからでしょうか、如是我聞。ほんと武器術て危険です。錫杖・半棒・如意棒・独鈷。どれをとってもとっても怖い。少林寺拳法の地味な武器ですらこんなに痛いのに、ほんと昔の人は大変だなと実感します。素人のおばちゃんが如意棒振り下ろしただけで、うちらの骨折れちゃうもんねー。こういう強力な格闘手段を誰にでも、また初期から教えてしまうと徒手格闘なんて屁の河童になってしまいます。マジで。これでは、「手段としての拳法」にまで影響大です。もし少林寺拳法が拳法を目的として教えるのならば、徒手なんて後回しだったんでしょうが。
     開祖は指導する時、役職を任命する時、お神楽をする時等々、常に人をよく見てその適正具合を熟考していたと聞きます。錫杖の技術も誰にでも、また何でもかんでも伝えたということはなかったようです。これと同様な理由で圧法も通常は一人につきせいぜい2〜3箇所しか教えなかったとも聞いています。

     まぁ他にも理由あるでしょうし、もしかしたら政治的な理由も??? あるかもしれませんが、だいぶ廃れたのはホントですよね〜
     
  13. 終わりに
     錫杖伝と書くと怒られそうなので棒術と書きました。不便な世の中ですwww 私自身はとある錫杖でご高名な先生に一度だけ直にご教授いただいたことがあるのですが、練習後「今後自分達でさらに研究していってもよいか」と尋ねると、「どんどんやってよしっ」と言ってくださいました。
     棒でも単演は全てあるし〜法形も沢山あります。それらは徒手とよくリンクしてあって、徒手法形の理解が深まるものです。今度試しに打棒でも振ってみてはいかがでしょうか。適当でも得るものはあるかも!?

 おわり( ´∀`)


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