トップ > コラム&ノート > 天方と地位と力愛不二


(2005/11/07)

 三鼎の中に智があり、その中には陰陽・虚実、天方・地位、謀略・智術があります。「智」は二つセットになってますよね。陰陽と虚実、これはなんとなくわかります。謀略と智術、これも何となくまだわかる範囲です。にしても天方と地位、天地ですねー、なんなんでしょうこれ。
 数名の古株御師にお尋ねしてみたが、「これだけはハッキリしない」と言った類のお答え…。しかし気になるので、あちこちの図書館、新宿各書店、ネットでシコシコと調べるとその過程でだいぶ私の中で独自解釈が形成されつつあり…けっこう便利に運用していますw 以下はそれ。


●イスラム・メッカ
 特に言葉として見かけない「天方」はグーグルにも引っかかってこない。「あまかたさん」という人の名前ばっかり引っかかる。
 そんな検索の中からイスラムの聖地メッカmeccaを漢字で書くとなんと「天方」らしい、ということが分かる。中国では唐代にイスラム教を「天方教」と呼ばれたこともあるらしく、中国イスラム最大の哲学者とされている劉智は『天方性理』『天方典礼』『天方至聖実録』をという著作を残しているという。「天方」という語はイスラム教と関係が深いw …が、まさか金剛禅がイスラム教まで含んでるとは…考えにくい、
よな?
 ただ、西方浄土、極楽、天竺のことを「天方」と大陸では呼んだこともあるらしいということもわかった。日本にキリスト教が入って来た時も、日本人はGODのことを大日如来とか天照皇大神だと解釈していた節があるというから、近代以前の神学よりも信仰という時代の認識はこんなものなのかもしれない。


●天方釣り
 あと 「天方」で検索していると「天方釣り」という小説が出てきまスタ。「求道精神あふれる日本人は釣りでも求道を行ってしまう。自己を大自然の一部とみなし、
流れる川と同化させ一心不乱に竿を振る物なり。これを天方釣りと言ふ。釣り道「天方釣り」は剣の道に通ずる。」みたいなことが確か書いてあった。まったく意味がわからないぞぅ、釣道ですよ釣道。まったく聞いたことねぇ
ヽ(`д´;)/ まぁ一応武術とも関連があるということかなぁ、とw
 以前、織物のニュースで、「タンタンと作業を続ける姿は禅に通じるものがある」とか機織者が言うとったから、日本人はなんでも禅と一如にできる生き物、文化らしいということをその時に感じた。そう考えると釣りと剣くらいは楽勝なのかもしら、ぐへへへ


●方位・方角
 東西南北を四方、その間を加えて八方といいますが、ここに上下である天地を加えて十方
じっぽうといいます。天は上・空の方位、地は下ですわな。貨物などによく「上下をひっくり返すな」という意味で「天地無用」て書いてありますね。なんとなく仏教では、「十方の世界」とか「十方を照らす」といった具合に十方が好まれてる気がするしこれは中々収まりがいい。
 これは単純に方向・方角のことですが、思えば、北は北方、南は南方、同じく西方・東方というくらいだから、天地も天方と地方とも言うのかも、聞いたことないけど。でも「地」は地方ではなく地位なんだよね少林寺拳法は。困ったもんだぜ開祖。
(ノД`)シクシク
 ただなんとなく、天方といえば上向きという印象が付いてきまスタ。

 「天」というのはたいへん表現しづらいんですけど、東洋では広く信仰の対象でもあります。単に自然という意味もありますし、自然界の「法則」といった意味もあるかもしれません。

 「地」には地面とか地盤とか足元の基盤、人の生活を支えるもの、また単純に下といった意味があるかなと。地とは支えるもの、辞書から関連ありそうな項目を抜粋すると、以下。

(1)地面。大地。土。ち。「雨降って―固まる」「―をならす」
(2)囲碁で、石で囲んで占有した部分。
(3)生来のもの。作り物ではないもの。
 (ア)本来身に備わっている性質。持ち前。
「あれが彼の―だ」
(4)加工や細工の土台。
「―の厚い織物」「めっきがはげて―が出る」
(5)(目立つ部分に対して)基となって支えている部分。
 (ア)布・紙などで、模様のない部分。
「水色の―に白の水玉」
 (イ)邦楽で、何回も繰り返し演奏される、基礎的な楽句。
 (ウ)三味線の合奏で、上調子に対して、低い基本の調子。

 また余談だが、 兵法(孫子)によれば、天とは変化する要因のことを言う(天気・天候など)。地とは変化しない要因のことを言う(地理的条件、山岳・河川など)。まぁいろいろありまして、現在の私の中には天方には先天的要因、地位には後天的要因という印象もある。まぁ仏教とか禅とか、東洋の話をしだすと、天地という概念は比較的使いたくなるもんです。
【関連・参考】天道生々只自然
 これらを踏まえて私には以下のように解釈されました。

天方とは、より高みを目指す意思のこと。天を仰ぎ上を目指す、つまり向上の志。立志。
地位とは、人が持つ位であり身分、立場、位置、立脚地。社会的立場。身分。状態。また技術のこと。

  • 車買いたいなぁ、この買いたいなぁてのが天方。でもお金がなくて買えないの、この資金力が地位。
  • 彼女がほしいーヽ(゚∀゚)ノとか思ってるのに、いつまでも汚い格好しかできないのは、天方はあるけど地位がない。
  • 後輩に少林寺拳法の教えを説きたたいのだが、乱捕りするとボコボコにされる。天方はあるけど地位がない。
  • とりあえず本は買い溜めしとるんだけど、いまいち読む気がおきないとかね。地位はあるけど天方がない。
  • 芸術的なインスピレーションがものすごくても、それを実体にする技術がないとか。インスピレーションが天方で、スキルが地位ね。書道とか絵画とか彫刻とか。
  • 逆に筆の技術はあるけど、インスピレーションがないとか。地位はあるけど天方がない。
  • 組織を改革したいという想いがあっても、その組織内での役職が低くて発言権がないとか。想いが天方で役職が地位ね。
  • 法形でやるべき動作を頭ではわかっているが、思ったように体が動かない。基礎となる運動能力が足りない。天方はあるけど地位がない。
  • 運動神経はいいけど、技の要諦を学んでない。地位があるけど天方がない。
  • 高位の役職を拝領されてはいるが、目前の問題に対して改善する気が無い。地位はあるけど天方がない。
  • 役職はあっても、もうええ歳でなんか落ち着いてもうて、改めてやりたいことが思いつかない。地位があるけど天方がない。
  • 百尺の竿頭まで登ったが、一歩踏み出すきはない。【関連・参考】百尺竿頭と守破離
  • ex)「少年の時は当に老成の工夫を著すべし。老成の時は当に少年の志気を存すべし。『言志志録』佐藤一切斉
    (訳)若い時は、経験を積んだ人のように、十分に考え、手落ちのないように工夫するがよい。年をとってからは、若者の意気と気力を失わないようにするがよい。」
 
写真に意味はありません(・ω・)ノ

 天方(志)があっても地位がなくてこれを実現できないことがよくある。こういう場合は自らの地位の無さに眼を向けず、社会(他者)の所為にしがち…。考えだけが先走って裏づけが不明瞭(上滑り)…。こういうのを、「足が地に着いていない」「天ぱってる」と言うのだろう orz
 また高い地位があっても、やたら天方が低い人もよく見る
(別に拳法界に限らず)。天方は変化(地滑り)を生みやすいので、まぁだからこそ安定した地位を保てる(地固め)ということも事実なのかもしらん。他者の天方を疎いがち。有名な格言としては「地形は兵の助けなり」というものが思い出される。

  『乾道大始。坤作成物。易経・繋辞上伝』天は始動を司り、地それを受けて完成に導く働きをする。と言うように、いくら志があっても、それを実現する地力がないと形にはなんないらしい。片方だけではうまくいかんのね。


 また天方は「憤怒」でもあると思うし、また地位は「智慧」でもあると思う。憤怒と智慧についてはまた別項
(憤りと智慧)
 なんでかなー、天方が高いと地位が低く、地位が増すと天方が低いてのをよく見る気がする。にんともかんとも


●天地と三合
 天地の概念は東洋にはありふれた世界観でとても大切なものでした(凡)。少林寺拳法でも「道は天より生じ」とか「天地久遠の大みちから」「天地を敬い」などたくさん見られます。「天地を敬う」ことは「神仏に礼する」ことよりも先に置かれています。宮本武蔵の「五輪書」も、『天を拝し観音を礼し…』と一発目にあります。兎に角、頻出。
 開祖も法話中たまに天などについて話ていますが私が特に引かれた箇所は、「天が見ている」というところでした。古より日本では「お天道様が見ている」とよく言われましたがこれと同様な意味でしょう。誰も見ていないと思っても天は見ている、太陽が分け隔たり無く万物を照らすように天は見ている。東洋における天とはそのような存在でした。


 大陸には様々な秘密結社があり、かつて「天地会」「三合会」「紅卍会」…と呼ばれる秘密結社もありました、
てか今でもあるみたい。少林寺拳法の拳系やら各種の名称にこれらの引用が見られます。ここで注目するのは「三合」という名称です。拳系「三合拳」の特徴とはあまり関係ないと思いますが、開祖自身はこの「三合」という意味は知っていたはずです。この「三合」とはどういった意味なのでしょうか。
 三合、三つが合う。この「三」とは、天・地・人のことを指し、これらが合一した状態・調和した状態を三合といいます。宋の儒学者・張横渠(ちょうおうきょ)は 「天地のために心を立つ」から始まり、以下のような有名
な格言を書きました。
 天は何十億年という歳月をかけて天地、植物、動物をつくり、最後に人間を作った。その人間は五十万年もかけて、精神や理想、文化、文明を発達させてきた。つまり、天地が発して人間の心になったのだ。その天地の心を自らの心として、万世のために太平を実現しよう。
 ここにも天地と一体になるような概念が示されています。面白いことに、禅の世界でも「天地と一枚になる」なんて言葉もあるのです。天地と一体になる、私はこの感覚とても好きです。


霊肉一如・行念一致
 霊肉一如・行念一致という言葉をご存知か。少林寺拳法の教典、あの"鎮魂の紙"の裏
?表か?に書かれてる言葉です。まぁ大体察しがつくと思われますが、霊肉一如=拳禅一如、行念一致=力愛不二みたいな意味でしょう。このように言い換えると拳禅一如・力愛不二の理解も進むというものです。ここで行念一致に目を向けて見ると、「行」は行える実力・地力のことだから「地位」、「念」は行うべき志だから「天方」といえます。

 金剛禅は、自分が変われると信じること・信じられることこそが信仰の中枢だと思います。これがダーマ信仰だと思います。ダーマ信仰というのは、まず自己を変えていく、改革していくという志なくしては成り立たないのです。私にとっての力愛不二とは、志とそれを実現する実力を併せ持つことなんです。今は竹を登り始めたばかりですが、いつかは一歩を踏み出してやる。そしていずれは天地の間に立たねば。【関連・参考】百尺竿頭と守破離 憤りと智慧


●複数の天方
 
思うに天方は一人ひとり違うものではないでしょうか。おんなじ方向を向いていればそれもいいし【い】、また違うものがあるというのも面白い【ろ】。まぁ違うものも長くいれば同じ方向を向くこともあるだろうし、大体同じ方向を向いていればなんとかなりそうだし、また教育などの力である程度変わるものでしょう。うまく折り合いをつけていくことも大切です。
 天方が変わりやすい者もいれば、まったく変わらない頑固者、いろいろありそうです。まぁせめて、師弟は同じ方向むいとる方がいいのかもしれません。
【い】 【ろ】 【は】

●いろいろな天方

 アップル君と話ていて、彼が面白いことを言いました。確かこんな感じ。
 「拳士は入門時には「強くなりたい!!」とか「自分を変えたい!!」という潜在的天方をもっている。これを拳法と言うエサで金剛禅的天方に引っ張らないとなwww」

 
まぁ引っ張ると言うと変かもしれませんが〜

  このページ名は,「天方と地位と力愛不二」です.ご意見・ご感想・ご要望をお寄せ下さい.下の方法でお願いします.
●掲示板に投稿してみる.
●管理人「615期生」にメールする.
●2ちゃんに通報する.
おそらく上に行くほど返答が確実です.
 印刷して飲み会や練習のネタにする.
 
バガボンドの柳生石舟斎と宮本武蔵

トップへ
戻る