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●法形の統一?
 「早く本部は法形の統一を進めないとっ!!」
て声がネットではたまに聞こえます。あれれ〜少林寺拳法は型でなく形て自慢げに言うてなかったけ。無茶言うなよ、それじゃ本部も困るだろうな。「技が乱れております!!」という話を聞きますが、だから法形の統一? どういうことなんでせう?


●技は統一できないけど、指導法は統一できる
 いろいろな先生に聞いてみたら、こうおっしゃっていた先生がいたよ。「技は統一できないけど、指導法は統一できる」という。あぁなるほどです。
 法形の成り立ちを考えた時に今大切になるのは法形の周辺または前後かなと思います。周辺というか本来は法形そのものの一部なのですけどついつい技の詳細にこだわるあまり技を小さくしてしまうことがあるんですね。ある他流の方が仰っていましたが「型稽古ほど厳密にやらなければならない」といいます。これはどういうことか。ここで言う厳密というのは、入口と出口のことです。つまりどのような条件で用いる技なのか、どういう後処理を行う技なのかということです。

 入口出口と、そしてその中のアクションにちゃんと必然があればよいんですね。
  • 手首を引かれたけど、、、何でこんなことしなきゃいけないんだ?
  • そもそも何でこういう風に逆を取るんだ?
  • なんでこういう風に固めるんだっけ?
   

 部分で見ると何でやってるかわかんなくなるのは拳法に限ったことではなく、社会でもそうだし冠婚葬祭、儀式の部類もなんでやってんだっけなんてのはよくあります。技もそのようになるのは仕方ないのかもしれません。もし法形を統一したいと考えるなら、入口と出口を明確にすることです。これならば統一は可能です。これが法形を厳密化するひとつの手段でしょう。


●基礎があるから工夫ができる
 習ったものを工夫するのは結構です。工夫したものを別物と見るかその内と見るかはその場その場の指導者層の考え方もあるので一概には言えませんが、工夫そのものを否定するようなこがないように願うばかりです。自分に嘘は付けないからね。
 当サイト内で、法形はもっと自由にやれとか、応用しろとか散々書いてますけど、僕だって初っ端から独自理論展開するわけじゃない!! 初心にはきっちりやってますよw ただ、工夫ネタが多くなるのは、何年もやってるのに何時まで経っても練習帳から出てこない人が多くいるからそう書かざるをえないんです。見渡せば分かるでしょ。まぁよろしくやってよ。


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