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開祖法話001

少林寺の演武は美しいというのが一つの条件である
(1979年高校生合宿での法話より抜粋)
※過去の月艦に掲載された開祖法話と一部相違することもあることお断りしております。
  また、今日では差別表現現として好ましくない言葉や不適切な表現もありますが、開祖が差別助長の意図で使用していないことをご理解ください。
 
  同じ共産軍の中にでも、強盗を奨励する、強姦を奨励するような部隊長もいます。それはいかんというて、銃殺をしてるのも、この目で見てます。日本の将軍が、石原将軍が関東軍参謀長で来た時には、五族協和というて、日本人も朝鮮人も、みんな平等に扱って、満州を理想の国にしょうじゃないかという運動をやった。1年もたたんうちに日本の財閥がそれを嫌って、
これは日本が占領した土地だから日本のをというので、東條英機、板垣征四郎なんていうのを送って来た時に、全部変わってしまった。
 天皇は同じですよ。いまの昭和天皇。陸軍大臣も同じはずです。参謀総長も同じです。でも関東軍の参謀長が一人かわるということによって、日本の方針は百八十度の転換をしてるわけです。
 いま、ここいら田舎でもそうだけど、警察署長がかわる。その前に、県警本部長がかわると、かわって来ると、せいぜい1年か2年しかこいつらはいません。前のやつが、何かを言うてやっておるわけです。わしは、治安警察に重点を置きたいなんて、前の本部長が言うとったとしたら、次に来るやつは、同じことを言うたんでは自分の出る幕がないもんだから、わしは、交通警察に重点を置きたいなんてなことになるわけね。
 それは、国の方針の中の一つには違いないが、一人一人で違うということを僕は見つけたわけです。
 そういうことを経験して、私は日本人に呼びかけてみたけれども、軍隊でも、昔は、歩、騎、砲、工、軸重、こういう差別があったことを君たちは全然知らんよな、軍隊知らないんだから。
 僕は飛行隊を志願していた。飛行隊は格好がいいと思ったけど、全く待遇悪いね。来てる下士官なんていうたら、程度の悪い、もういじめることしか知らんようなやつが、古参兵でおるわけだよ。
 いま、これ、君ら、大学生でないから、大学へ行ったらわかるよ。4年生が神様で、3年生が天皇で、2年生が偉い人で、1年生はガキとか、ジャリとか言われる。人間扱いしてもらえないんだよ。昔の軍隊や、体育の一番悪いのが、そのままいま残ってるは、大学のクラブ活動なんだよ。
 だから、うちの連中が入った時に、それに目覚めて、これではいかん、変えようと。だから、高校時代に、私は、正しい少林寺拳法を正しく学んでもらいたい。それにはいい先生がどうしても必要である。見よう見真似で、突いたり、蹴ったりの真似なんかしたって、つまらん。
 夕べも、たまたまブルース・リーの映画を深夜テレビでやつとったね。あれ、見てみ、何だい。日本人のおかしな浪人みたいな、袴をあべこべにはいたようなのが、柔道やって見せたから、日本の道場だろうと思うんだが、世界最高の武道家が中国へ行って、それでブルース・リー一人にコチンパンに蹴飛ばされて、殺されて、終わってしまうんだね。原因は何だというたら、親父の敵討ち。その親父をなぜ殺したかというたら、日本軍が進出するために、日本の武道を広めるために、中国の武道をつぶすと、そんなようなのが内容なんですよね、いつの場合でも。
 少林寺は違うんだぞ。僕は、日本人のくせに中国におりながら、中国人の技術を学びながら、中国人の生き方のいいことを学びながら、彼らと協力し、いい社会をつくろうと思ってやってきたから、今日でも私は中国から大事にされておる。聞いてるだろうけど、今年4回目に私は招かれた。嵩山少林寺が開放されるに当たってね、宗先生には是非来てもらいたいと言ってる。
 君たちは今日、初めてだから、この「人民中国」という雑誌を見たことのある者、手挙げてみい。ああ、少ないな、ヨッシャ。これは、中国が、政府が発行している総合雑誌です。
 これに、私たちの訪中をこういうふうに書いてくれておる。僕はこういうことを言うのは、ちょっと脱線するようだけれども、君たちが少林寺をやってくれるのには、やっぱり原点を知る必要があるし、何のためにやるかということを持ってやるのと、ただ何となくやってるのとの違いは、すぐ出て来るからね。
 これは、後ろのほうは見えまいが、「少林拳士の里帰り。日本少林寺拳法連盟訪中団」。曽慶南という中国人の記者が随行して、そしてまとめて、写真も入ってます。少林寺の山門を入って行くところ。廖承志国家人民代表常務委員という、日本でいえば大臣ですね。その人が私にこんな大きな書を書いてくれた。いまの第二の新本堂に、大きな額がかかってるでしょう。
 要点だけ、そんなら読みましょう。少林寺の武術というものは、中国でも天下に冠たると言われておったんだが、昔の手少林拳のもっともとの天竺那羅之?というた羅漢之拳の、それを現代に生かしたのが僕だということを中国側が次に書いてるから読んでみたい。「宗氏は、今年満68歳、日本少林寺拳法の創始者として、中国から日本へ少林拳をもたらし、これまでの人生3の2の歳月を少林拳と共にしてきた。長年にわたって、三法二十五形、656のすべての技を、整理、発展させ、中国の伝統文化を日本に根付かせ、花を開かせ、実を結ばせたのである。」
 花を開かせるというまでは、大抵使いますね。中国文化が日本で花を開いた。碁も、将棋もそうである。私については、実を実らせたと、こういう表現をしてくれておる。
 「70に近い宗氏は再びこの地を訪れ、里帰りをされた心境は、いかばかりであろうか。宗氏が山門をくぐろうとしだ時、43年ぶりの友人を迎えようと、走り出て来た一人の長老があった。『宗道臣先生、お久し振りです。覚えていらっしゃいますか』『おお……』宗氏も驚きと、喜びで、すぐには声も出ないようだった。この長老は、釈徳禅といい、72歳。少林寺にいる四和尚の一人である。43年前、宗氏が少林寺を訪ねた時、長老はここの小僧であった。同門の中国と日本の兄弟弟子は、手を取り合って、こもごもに話し始めた。
 少林寺の山門の前は、大きなエンジュの木に囲まれた広場ができてる。いまは亡き師の恩を忍び、宗氏は随員の山崎博通氏と作山吉永氏に命じて、門前の青い石畳の上で、少林寺拳法の演武を捧げられた。」
 この日のために、拳士がきのう繰り広げたような演武ですね。「日本から携えて来た稽古着を着て、拳士たちはサッと構えた。あるいは攻撃し、あるいはかわす、その円熟した技は、柔剛相まって、美しく味わい深いしこれは私が書いたんじゃないよ。中国人の記者がこういうことを言ってる。
 美しくて、味わいがあって、これを忘れるなよ。少林寺の演武は、美しいということが一つの条件である。美しいとか、強いとかいうものは、永遠に変わらざる強い願望なのだ。人類の願望ですね。強いだけじゃいけない。美しさが欲しい。その中には、強いけど、やさしさが欲しい。剛柔、ここには柔剛と書いてある。柔らかさと、温かさと、強さと、激しさと、そういうものが少林寺の技術にあると、ちゃんと彼らは見てる。中国人のほうがうまいこと見てるぞ。
 「日本拳士の見事な演武は、居合わせた人々を魅了した。なお、中国側、歓迎の意をあらわすために、答礼の演武を行った」こう言って、いろいろ書いてくれておる。
 「宗氏は、1975年以来、4回にわたって訪中をされているが、その都度、お嬢さんを同道されている。それについて、次のように話された」これも、若い君たちに聞かせておきたい。
 「私はすでに年を取っている。今後の日中友好は、青年の手で進めてもらわなければなりません。いつも娘を連れて来るのは、日中友好を次の世代に伝えるためです。もちろん私も歩みをとめることはできません。日本の青年たちに、日中両国の二千年の友好の歴史の中で、一時期、不幸な歴史、戦争があったが、その原因を承認させ、日中友好の意義をよく理解し、2度とあのような不幸な歴史を繰り返さないように、教育していくつもりです。私は、生きている限り、日中友好を促進するために力を尽したいと思っています」
 これは中国側へも言うたが、君たちにもずうっと言うてきたことだ。33年間、言い続けてきた。私が最初に言ったのは、日中が本当に仲良くしなければならない。アメリカも、イギリス、日本と第一次大戦の時に、貿易を止めました。そういう時に、日本が頼りになるのは、中国しかないのです。資源がある国は中国しかないのです。いま石油も出るようになったが、あの頃は、石炭なら中国には無尽蔵に、いまでもあります。
 昔の日本の第一次大戦中、第二次に至る過程は、石炭が日本のエネルギー源でしたね。そのためには、満州がなければならんという、そういう国策。それには、中国ヘカネを払って、石炭を持って帰るということをやったら、日本はこんなみじめな敗け方せなんだと思う。ただ、ふんだくっちゃったんですよね、日本人が。それでおかしくなった。だから、再び満州が必要なら、中国のためにも、日本の協力が必要だ、思わせなきゃ、そうでなければならない。
 日本も中国は必要です。鉄も、石炭も、化学原料の塩でも、なんぼでもあるんですよ。四川省のある地区なんかは、四国全部ぐらいの広さのところに、上の1メートルぐらいの土をどけたら、全部岩塩なのです。あそこは海だったそうですね。ヒマラヤ山脈を含めて、地殻変動で上がってきたんだそうですけれども、中国全土にある塩は、四川省の塩だけでも、いまから200年間の工業原料を供給しても、なおまだ余りがある。これは四川省だけの話ですよ。チベットにも、蒙古にも、いっぱいあります。掘れば、石炭だって、無人蔵にある。
 日本みたいに、100メートルも土の中へ穴掘って、中でこんなことして掘らんでも、上の土のけたら、撫順炭坑がいい例です。なんぼでもある。そういう国と仲良くせんというのは、おかいしいじゃないのか。

 トランジスタラジオと、自動車も、もう今年でだめだぞ。クライスラーが一万人の整理を初めた。フォードもやってる。小型車に変更した田本の自動車は安いから売れたけど、もうこれも恐らく続かんでしょうね。一体、これから日本の貿易は、どこを相手にできると思う?ヨーロッパは先進国ですよ。アメリカだって先進国です。第一次大戦の末期と同じ状態が、これから来るはず。そういう中で、君らがやっていく中で、どうしても中国と仲良くしなきゃいけない。
 これを私は、いまから35年も、40年も前に聞かされ、それを信じ、中国へ生涯をかける私の人生が始まった。いまになって見て、誤ってなかったとはっきり言える時代が来た。君たちも、いま私に会うことによって、あるいは先輩から聞いてはいるだろうけれども、今日の私との出会いの中で、君たちが何かをつかまえてくれたら、僕は満足だ。
 高校生だというけれども、いま君たちが一番純粋で、燃えてると思う、燃える可能性がある。大学へ入ると、就職の問題や、彼女の問題や、結婚の問題が先に立って、だんだん濁っちゃうんだよ。いまの君たちにしっかりした記念を植え付けておきたい。それが、諸君の先輩のように、会社へ入れば、金剛禅運動というのは、幸福運動だと言って、半分は自分の幸せを考える、半分は相手のことを考えてあげようではないか。これは真理ですよ。いつになっても変わらない必要なことです。
 それで、この本の中に、僕はこれを読んだのは、幾つかの理由があるわけで、師の恩を忍びでと、中国の政府機関が発行してる本の中に、ちゃんと書いてあるでしょう。いまは亡き師の恩を忍んで、宗氏は弟子を連れて来て、こういうことをしてくれてる。「師の恩」という言葉を、いま学校は正規には教えてないんじゃないのかな?高校は教えてるか。教えてないでしょう?
 人間が一番大切なのは、学問も必要だが、もっと大切なものが、いま失われておる。君たちにも共通してる。
 これも、拳法教範の中に、僕ははっきりと、これはいまいう少林寺の原点ですからね。これを離れて、少林寺拳法というのはないわけで、この中に、僕はいろんなことが書いてあるが、第二編、45ページに、インド拳法、那羅之?と、中国の拳という項の中に、毛沢東の言葉として、重要な言葉を私は入れてます。毛さんはいろんなことを言ったけれども、これはもっとほかに、六段運動というのがあるんで、これは専門的になるから、やめるけれども、中国は、昔からやっぱり学校がありましたね。教育もしてます。
 体操だって、ヨーロッパのスウェーデン体操から、アメリカの体操まで含めて、世界中の体操が入ってる。もちろん太極拳もあります、武術もあります。そういう中で、毛さんが、当時の最高学府であった中国の師範学校で勉強した上、中国人の将来を憂えて、中国人のいまの体格は非常にみじめである。ツメを伸ばして、仕事せんのを誇ったり、仕事をしないのが偉いと思い、武術なんかやるやつは馬鹿だというた時代がある。
 そういう時に、アヘンが入るわ、いろんなことで、だんだん中国人がだめになってきて、それを憂えて、六段運動という新しい体育を始めたわけですね、毛さんが。その時には、体育を最重点に置いて教えた。ところが、自分が政権をとってから、気が付いてみると、体育偏重ということは、即、軍人偏重にも通じる危険性があるということ。
 それで、彼は「毛語録」という有名な、毛沢東の言葉のいい言葉ばっかりを集めた本ができてます。あの中に、こういうことが書いてある。体育は一つの道で、徳育と、知育と、組み合わされて、全きものとなるのであると、毛先生だって、路線変更してるわけでしょう。
 徳というのは、ぎょうにんべんに、プラス四つの心と書いてある。中国の毛さんでも、徳育がなければならなんというふうに、路線を変更してる。その徳育の中に、一番大切なものは何かというたら、恩を知るというようなこと。君たちで言えば、朝読む鎮魂の中で、「身体を父母より受けたることを感謝し、報恩のまことを」なんて、何かおかしいと思ってるだろう。おかしいんじゃないんだよ。共産党の国でも、いまそれがなきやならんと言いかけた。要するに、千古にわたる真理であるということ。
 それは親だけではありませんよ。世話になった人に恩を感じる。これは人間独自のものだと言われておる。
 それから、哀れみということね。ああ、かわいそうだなあと思って。動物は生存のために、平気で殺します。人間は、きのうのトラ騒動でもどうですか。殺したのに対して、ごうごうとした非難が出たね。殺さんでもいいじゃないか、かわいそうだと、僕もそう思いましたね。麻酔銃もあるはずである。何とか方法がないんだろうかと、哀れむ心、そういうものを育てる。それから、悲しむ心。ただ殺すんじゃなくて、かわいそうだなあと思うような心、これも徳育の一つですね。
 それからもう一つは、捧げる気持ち。
 男の中で、一緒に死んでもええと。死ぬところまではいかんでも、本当に仲のいい友達を持ってるという自信のある者は、手挙げてみい。哀れやなあ。たった二人か。お前たちは、友達はみんな半分敵だと思ってるんじゃないのか。今度、大学へ入る時に、あいつは皆競争相手だから、病気しやがったらええ、休んだらええ、死にやがれと思ってるんじゃないのか。
 そういう教育が、いまなされてないのですね。だから、捧げる、してあげる、尽す。尽すなんていう教育、いま学校はしてるか。これもしてないだろう?報恩なんて、まことを尽すなんて、何か君ら、ピンとこんだろうと思うんだ、教育受けてないから。
 少林寺で受けなさい。それがなかったら、社会へ出て通用しないんだぞ。先輩の世話で会社へ入れてもらった、これは恩ですね。それには何かで報いてあげにゃ。俺は入ったんだから、クソ食らえっていうんで、反対派の重役のところへおへっついするようになったら、バレた途端に、あの野郎、裏切り者だというんで、消されるぞ。ヤクザだったら、完全に消されるね。政治家の世界でも、裏切り者は長続きしません。バレた途端にだめになる。
 捧げる、尽す、与えて喜ぶ、してやってるんでなくて、させてもらってる。そういうことを、毛主席が言う徳育というのです。
 少林寺は、いまそれができて、これだけ日本の若い者を集めることに成功してる。最初に言うたが、高校生こそ、少林寺発展の原動力になったんです。君たちにも、僕は、そういう意味での新しい期待を寄せたい。なるか、ならんかは、君たちの問題である。人ができた、先輩ができたんなら、俺もやれると思わんか、どうだ?やらん先から、俺はだめだ、俺はもう能力がない。能力が最初からあるやつなんていうのは、少ないんだよ。ほとんどは努力でいくんです、そこへ。なら、やらん先にあきらめるな。
 きりがないけど、本部へ合宿に来て、もう一つ覚えてもらいたいことは、日本人の通有性みたいな、やらん先に、「いやあ、先輩、それはだめですよ、それはむずかしいですよ」やったら「いやあ、考えても……。」考えただけじゃ、だめね。少林寺の七転び八起きを、私は九転び十起きと言ってるが、最後まであきらめない。やろうと思って、本気でやるんなら、どうしてでもそこへいこうという努力を積み重ねたい。やらん先に、自分で自分を見捨てるなよ。これはだめ。
 「君は何ができる'いや、僕は何もできません」だれがそんなやつを採用してくれる。何もできんようなやつは要らんよ、どこだって。私は、こういうことには自信がありますと言えるもの、しかもそれは技術だけではだめなのよ。技術なら、職人がいっぱいいる。カネさえ出せば、なんぼでも雇える。信頼できる人間、裏切らない人間、何かあったら頼りになる人間。
 信じるということは、人の言う言葉、これがこうきたら「信」という字だ。人言これを信となす。ところが、これにもう一つ「頼」が付くということは、これがこうつながったら本物です。これはただ悪いことをしないという程度の信用です、あるいはやり手であるという信用。信用できる、信頼できるということと違うんですよ。それ、間違えるなよ。
 だったら、少々は何かは足りなくても、信頼のできる人間に育ってもらいたい。これが毛さんも言うし、我々も言っておる、徳育教育なのだ。それは教えることはできるけど、実行するのは君たちの問題だ。
 世の中で役に立つ人間になろうと思うたら、信頼できる、言うたことと、することの違わん人間、一遍約束したことは、必ず守る人間、少々損をしても、辛い目におうても、変えない人間、これが信頼という。いいですか。
 何か質問ないか。とうとう予定の時間を超してしもうた。30分ぐらいでやめい言われとったんだけど、ついつい熱を入れた。もっと、もっと言いたいことはいっぱいある。ほかの連中で、うまく適宜にやってくれ。大学の合宿は一週間あるんだけど、君たちは四日だそうだから、この貴重な時間をとにかく私に会えたのだ。本部へ初めて来た者、手挙げてみい。ああ、大多数だな、ヨッジャ。どうだ、写真で見るより、来てみたら、案外予想外に大きいだろう?きれいだろう?チリーつ落ちてないぞ。たばこの吸いがら一つない、落書き一つないぞ。神社仏閣、名所旧跡行っても、こんなところが一つでもあったか。ないだろう?なら、君たちも吸うなよ。ここだけじゃない、よそへ行っでもだ。
 私は、70年の人生の中の、約40年以上、中国関係で過ごしてきた。いまでも私は絶大な信頼があるぞ。なぜでしょう。戦争に勝ってる時も、戦争中も、戦後も、全然私は変わってない。宗先生はいい人間だ、あの人は変わらない人だ、素直な人だ、あの人が言ったんなら間違いない。少林寺はそれで有名になったし、発展をした。君たちも、そういう徳のある人になってもらいたいな。喧嘩に勝つんなら、手を鍛えたりするな、馬鹿馬鹿しい。なんぼこんなことしたって、鉄砲にはかなわんぞ。離れてパンで終わりだ。
 我々が鍛える目標は違うはずである。どうぞひとつ誤解をせんように。きのう、僕は結果、聞かなんだけど、どうだ、きれいだったか、学生の大会は、技もきれいだったが、雰囲気もよかったか。本当は、わし、きのう行きたかったんだけど、長いこと立っておれないんで、行ったら、はい、さようならちゅうわけにいかん。最初から最後までおらにやいかん。医者は寝とれという。でも、こうやって出て来て、頑張ってる。くどいけれども、君たちにこの次会えないかもしれない。本気でわしはそう思って生きている。頑張れよ。終わり。
「宗道臣大禅師法話集」第21巻B面より


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