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昭和三年特務機関員として中国に渡った開祖は、地下に潜行していた各派の達人より秘技を習得しました。昭和二十年の敗戦で開祖は、混乱の中での経験より人づくりによる祖国復興を決意し、昭和二十一年の夏に帰国しました。昭和二十二年十月、香川県多度津町に、日本正統北派少林寺拳法会を設立し、昭和二十六年十二月、金剛禅総本山少林寺を開創。中国で学んだ技法を三鼎三法二十五系に編成・整理し、少林寺拳法と名づけました。昭和三十八年には、社団法人日本少林寺拳法連盟を設立。
開祖は中国の拳技を学んでいるうちに格闘技術はいくつかに要約されることに気付きました。帰国後他武道を研究し、新しい観点から中国の技法の再編を思い立ちました。そして護身術・保健体育・人格形成に貢献できる心身一如の修行法を志し、嵩山少林寺にある白衣殿に残る阿羅漢の拳・祖師の啓示・先師の教えを基に少林寺拳法を創始しました。少林寺拳法と名乗ったのは、開祖の先師文老師が嵩山少林寺の僧であること、また義和門拳の法脈継承の印可は嵩山少林寺と於てうけていたので、先師の教示に従い単なる武技としての中国拳法ではなく仏伝正統の拳を復興すると共に、少林寺の名を永世に留めたいと思い、少林寺拳法と名乗りました。
開祖は創立33年後(1980)に心臓発作で遷化しました。 |
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