トップ > 豆辞典 > 開祖法話 > 開祖法話002

開祖法話002

正しいことを言って憎まれるのは損か。そう考えるのは卑怯ではないか
 金剛禅運動の正しい姿勢
(1975年度 第三回指導者講習会より)

15歳の少年からの手紙
 二つの手紙を紹介したい。一つは静岡県の15歳の少年。「合掌。管長先生、僕は昨年の9月、カッパの本(『秘伝少林寺拳法』光文社)を読んで感激してから少林寺をやりだしました。そして3か月もすると、クラスの鼻つまみ者だった僕が、だんだん人に頼られるようになってきました。ついに3学期には学級委員長という大切な仕事に、みんなの応援で就くようになり、春、中学3年になると、僕たち中学生が住んでいる地区の地区長となりました。僕は今までに一度、少林寺をやめようと思ったことがありました。だんだん技も増えて難しくなってきました。けれども、グッと耐えて今日に至っています。そのことが僕に根性を与えてくれました。学校生活では8月に,生徒自身による生徒会で運営されているリーダーの研修会にクラス代表として出ることになり、先生もクラスのまとめ役として僕を頼ってくれています。
 ほんとうに自分でも信じられないくらいです。僕は間近に高校受験という大きな壁を控えていますが、少林寺拳法をやったから落ちたといわれないように努力し、少林寺拳法と勉強を両立させたいと思います。管長先生、お体を大切にして日々を送ってください。結手」
 こんな手紙を見ると、わし、嬉しくてしょうがないねえ。少林寺を知って、少林寺をやったことによってこの少年は変わった。日ごろ私が言ってきたことが、やっぱりどっかで生きているということです。

ある会社員拳士の勇気
 今度はある会社員からの手紙。彼が勤めているのは電気関係の会社。社長があまり程度がよくないんだろうと思うが、今、銅が高いですね。それでときどき銅線をごまかしてね、かっぱらって帰りそれを売り払って、みんなで飲み食いしていた。それはいけないことだ、「道訓」や「信条」に反する行為だと思いながら、いざとなると何も言えなかった。その彼が、関東武専へ行ったとき、今度の私の新しい本を配付されて、それを読んだ。その翌日に、会社で社長に一言われた。
 「おい、あそこの銅線はもう使わなくなっていらないんだろ。お前、あれを外してこい」そのとき彼は、言えばクビになるかもしれない、そうなったらもうやめるしかないと社長に目を据えて、「社長ッ、それはいかんことです。悪いことはやめませんか」と思い切って言って、断ったそうだよ。そしたら社長はびっくりして、彼の顔を見ィ見ィ、やがて、「お前には負けたよ」と社長のほうが折れたそうだ。彼は嬉しくて嬉しくて私に手紙をくれた。追い詰められていた自分が本気でぶつかったら、こういうことができた、正しいことが通ったと。これは自分の信じ方、生き方の問題ですね。そんなこと言って憎まれるのは損じゃないかと、そう考えるのは卑怯な奴じゃないのか。いけないと思うなら、いけないと言ったらどうだ。私は少々おせっかいだから、いつもそれをやる。すると相手は、「おっさんに関係ない。引っ込んどれ」と。引っ込んどるわけにいかないから口出しよるわけね(笑)。

喧嘩を売られたとき
 口を出して喧嘩になったとき、諸君が少林寺拳法を下手に使ったら君たちが損するだけだぞ。決して得はせん。ブタ箱行きだ。
 ある大学の少林寺拳法部が新入生のコンパの帰り道で、ヤクザに喧嘩を売られた。いきなり殴ってきたから、避けたついでにこっちのほうが先に殴ってしまった。水月でも叩けばいいものを顔を叩いたもんだから、歯が折れるわ、鼻血が出るわで、見ていた人がびっくりしてパトカーを呼んだ。それで警察に連れていかれ、喧嘩を売ったほうはなだめられて、治療費を取って、こっちはブタ箱入り。たとえ身を護るためでも、警察や法律は結果しか見ないのだ。相手が先に殴ってきたんだと言ってもわかってもらえないぞ。
 私も喧嘩したことはずいぶんあるが、ブタ箱に入ったことは一度もない。あるとき相手が殴ってきた。首絞めてきた。面倒くさいから横を向いたら、相手は勝手にひっくり返って、こけた先のレンガで頭を割った。警察が来てワイワイ言うから、「いや、わしが横向いたらこいつ、勝手にこけて頭打ったんだ」と。周りの人もオレが殴ったの見ていない。肘をちょっと上げて、こう、横向いてひね捻っただけである(笑)。

金剛禅運動の基本的な姿勢
 こうやって出てきて話している私も、心臓が悪いからいつ死ぬかわからない。来年また諸君に会えるかどうか。諸君のほうも、来年また来るつもりでも家の事情、あるいは自分の事情そのほかで来られないかもしれない。きょう、帰りに車にはねられるかもしれないし、流れ星が落ちてきて死ぬかもしれない(笑)。そういう中でわれわれは生きているわけで、きょうというきょうは、あるいは講習会のこの3日間というのは、諸君の人生の中でこの機会しかないのである。人生にあすはない。きのうは帰ってこない。その日その日にできることをその日に仕上げたい、これが金剛禅運動の基本的な姿勢である。努力しなければ状況は変えられない。あきらめてはダメだ。いつか、誰かがやってくれるだろうではなく、自分がやろうと思うてみんか。どうだい、自分が歴史を変えてみんか。



  このページ名は、「開祖法話002」です。ご意見・ご感想・ご要望をお寄せ下さい。下の方法でお願いします。
●掲示板に投稿してみる。
●管理人「615期生」にメールする。
●2ちゃんに通報する。
おそらく上に行くほど返答が確実です。
 印刷して飲み会や練習のネタにする。
 

トップへ
戻る