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開祖法話004
これだけのものを捨てたいか

少林寺拳法の本質と指導の在り方
日 付 1980年3月(昭和55年3月)
場 所 大学指導者講習会

少林寺拳法の本質と指導の在り方(1) 行の真意
日 付 1980年3月(昭和55年3月) 
場 所 大学指導者講習会 
出 典 あらはん1986年1月号 
法話集 開祖法話集第27巻 

日本一の世界一の、は必要ない
  中国の革命運動が成功して20何年経って、紅衛兵運動がおきた。今またいろんな評価が出てます。けれども、過渡期ですから、どれがいいか、まだ分かりません。しかし、大きな改革をやったということは事実で、中国は今生まれ変わりつつある。
  少林寺もできて34年目です。で、やはり、もうそういう時期が来てるんじゃないかと思う。それで、こういうものを踏まえた上で、今から読む資料は、学生諸君の中から出てきた分析をまとめたものです。数日前もらったばっかりですから、まだ付箋をつけるとこまでいってませんが、二度も三度も、私、読み返してみました。昨日「オッス」やその他の挨拶、伝統がどうだとかいう話をしましたね。これの続さをまとめたい。昨日の続きを、つながりのために読みます。
  「もし大学の少林寺拳法部にして、それによって立つべき原点を見失い、単なる武道サークルやスポーツクラブに堕するならば、少林寺拳法部の存在意義はないにも等しい」、と私はこう言い切ってるわけです。今日やりたいのは、これからである。『少林寺拳法部の本質と指導の在り方』──実はこれがいちばん大切なんです。
  「少林寺拳法の本質が単なる武道やスポーツではない宗門の行であることはいまさら言うまでもない。しかし、それが諸君にとって単なる理念にとどまらず、完全に身についているかどうか、また大学支部運営に当たって、指導原理として部員の日常の修練の中に貫徹されているかどうかについては、改めて吟味し直す必要がある。少なくとも知っているというだけでは真に少林寺拳法を行ずることにはならない。」
  「ところで、少林寺拳法が勝敗を目的とする一般のスポーツや現今の武道と異なる行であることをその本質としているのは、行という文字や言葉が本来内包している真理を、少林寺拳法こそがそのまま如実に具現しているからである。」
  つまり「少林寺拳法が行そのものである最大の、そして決定的な理由は、行の文字が示す、人間同士が互いに立て合い、生かし合い、拝み合う姿の象徴であるところにある。人間が弱い者を背負い、弱者を背負う人と相対して、共に励まし合いながら、共に上達を図り合うという、この努力の姿を表したのが行である」──我々の言う「行」というものはそういう「行」である。したがって、「この宗門の行である少林寺拳法を、その本質にのっとって後輩部員に指導するためには、特に次の点に留意しなければならない。」

「一、少林寺拳法は勝敗を目的とせず、しかも漸々修学によって段階的に向上、進歩を図るシステムとなっている。しかもその階段一段の高さは小幅で無理がないために、誰でも真面目に努力を積み重ねさえすれば一定の段階に達することができ、一定の段階に達すればすぐ上の到達可能な目標が目の前にあり、こうして継続すればするほど、自己の可能性に対する信頼、自信が増幅されていくので、これは、特別な素質や能力に恵まれた者しか選手になれず、そのような選手を生み出すことだけを目標とするスポーツや武道ではとうてい得られないものである。」

  数日前に相撲の新弟子募集がありました。背の高さは五尺八寸、今でいう1メートル73以上か、体重が75キロ以上でなかったら新弟子にはなれないんです(18歳未満は、身長1メートル70、体重70キロ以上)。野球でも何でもそうですけど、特殊な才能を持った人しか選手にはなれない。少林寺はそういうものじゃなくて、中国の古い武術を私が新しい時代に適応するように組みかえて、学びやすいように教えやすいようにしたからこそ、できるようになった。人間に段階をつけるというのはいろいろ言うけれども、君達でもそうで、いきなり高等学校や大学の勉強を教えたって、これはできっこない。小学一年の時と二年の時とは勉強が違うはずである。それを積み重ねて、段々上がれるようになってるから高校、大学と君達は進学できたんじゃないかと思う。
  この間テレビで見たんだけど、六つで、ソロバンの十段というのができた。パーッと見ただけで分かる。えらいもんがおるんです。これはしかし、その人しかできない。親だって真似はできない。そういう人は例外ではないけれども、普通はそういうことじゃない。そこに漸々修学の意味があるといわれておるわけで、誰でもやればそこまではいける。これが基本になるから少林寺は発展した。したがって、「指導し教育するに当たっては、個々の部員の実情、現時点における素質とか能力、トータルな力量などを把握し、それぞれに対して手を伸ばせば届き得る、到達可能な目標を指示し続けることが必要なのである」。
  いちばん大切なのは、こういうことなんだ。とてつもない目標を見て、おまえは世界選手になれ、日本一の、いや、世界一の格闘競技の選手になれというようなことは必要がないのです。

  「二、皆の中で皆と共に交互に技をかけ合いながら、共に上達を図る組手主体の修行の形能こそ、行そのものの具現である。相手が上手になるためにも、自分が上手になる努力を払う必要がある。できないことができるようになったことをお互いに心から喜び合い、間違いはみんなで正し合う、このような指導の積み重ねの中から、一人では生きられない世の中の実相や、人間関係の大切さ、素晴らしさを体得させることができるのである」。
  少林寺拳法を指導するに当たっては、このような点を十分に生かし切ることが必要だ。

できずに口だけ、のバカがいる
  『少林寺拳法は人を育てるための手段である以上、大学支部もまた後輩を育てる場でなければならない。』 抵抗すること、防ぐこと、守ることを教えないようなのは、おかしいですね。それを教えることを知らなければいけない。そのためには自分ができなきゃいけない。自分ができる、だから君もしなさい、と。それでできるようになったら、ああ、いいな、じゃ、次にいきましょう、と。強くなる必要はない、上手になればいい。自分も喜べるが、人も喜べるようになる。私は戦後、日本の若い者に自信と勇気を与えたいと思って少林寺を始めた。言葉は抽象的で漠然としてるようだけど、自信というのはいったい、何から生まれる?自らを信じること、と書いて自信と言いますね。
  自分はできないと思い込み、親からでも、おまえはダメだ、頭か悪い、不器用だと言われて、段々自信をなくしてる。おまえはプスだ、と。そのプスを誰が産んだ。親が産んだんじゃないか。いまさらプスだといったって、言うてくとこがない。プスだ、不器用だ、ドタマが悪いと教えられたらな、その子はダメになるだけだよ。少林寺の行き方というものは違うんだ。自信というものは端から与えるというより教えて、本人に確信を持たせる。私はプスだけれども気前はいい、人には愛される性格である──これが自信になるんだよな。
  見た時、すごい美人だなあと思ってるけど、三月も、いや一月もせんうちに嫌味になる奴がおる。ひでえツラしてやがるなと思いながら、毎日接しているうちに何となく心が和んでみたり、温かいものを感じたりということ、君らでも経験があるだろう。だから自信というものは端から持たせるようにし向けてやることで、おまえは下手なんだ、ダメなんだじゃなくて、私もできるんだからおまえさんもできる、見ろ、できるようになったじゃないか──これが、今のクラブ活動の中には恐らくないんじゃないかな。先輩が先輩ヅラして、年功の数だけで威張りくさって、さあ、せい、言うたらできもせん奴、できずに口だけ威張ってるバカがいる。
  私は今でも君達よりはうまいですよ。絶対にうまいし、ようけいようけ知ってる。間違いない。だからこうやって指導者が勤まってるわけだ。先生病気だから、もう手も足も動かんかと思うと、そんなことないぞ。君達よりはまだうまい。死ぬまで、わし、大丈夫やと思うんだ。中風になって「えーえー」いうようになったらもうダメだけどね(笑)。
  脱線をしたが、自信がないのに勇気なんか出るはずがないんです。自分に自信ができるから、言えないことでも言えるようになる。できないことでもしようという気ができる。自信と勇気というものは育てあげられるのです。次に「現状認識と改革の方向」についてです。
  学生連盟による改革案というのは、昨年度(1978年)今年の分を含めて、要約して資料として二日ほど前にでき上がってきている。「昭和35年、東京に大学の支部が誕生してより、早20年になる。現在、全国に大学支部総集が292を超えるまでになった。全日本学生連盟では、金剛禅運動の一翼を担うべきこれら大学支部が、よりいっそう正常な運営を行なう指針とするために、1978年11月に大学支部現状調査、1979年4月に大学拳士の意識調査を実施」してくれた。その分析結果をもとに、大学支部の現状の特徴を要約、総括し、さらに現状改革のための具体的提言を添えて報告書並びに大学支部改革案としてまとめ上げてきた。以下、提出された膨大な報告書の中から、特に重要と思われているいくつかの項目を抜粋したものが、最前からのこれです。後で読んどこうじゃなくて、今読みながら聞いてくれ。

永久に勝ち続けることはできないのです
  例えば大会について。「大学支部にとって大会の占める比率は極めて大きい。多くの学生は大会によって青春を謳歌し、青春の勇気を感じられると考えている。大会は修練において一つの目標となり、成果を試す機会ともなり、仲間の応援などによって団結、友情を得られるとも感じている。しかし、実際には、大会競技で勝つことに専念するあまり、特定の拳士だけが出場することになり、大会のために三ヶ月から半年、早いところでは一年も前から出場選手を決めて練習を行なうような本末転倒した姿がしばしば見られるようになった。」
  「大会という目的がないと日々の練習に身が入らないという傾向は、大学支部における本音と建前の二面性の最たるものであると言える。また、大会がクラブ内の団結を高めるとはいっても、勝負本位の大会であれば一つの大学内での団結にとどまり、むしろ大学間の対抗意識やひとりよがりの愛校精神の方がより強化されて、大学相互間の友情や連帯感は決して生まれてはいない。」
  「教えや考えが白色であるならば、その発揚の場としての行事計画も白色でなければ本当にその教えを信ずることにはならない。なぜなら、人間は目的に合わせてその行動内容を決するからで、したがって、大学支部の改革を行なうには、まず少林寺拳法の本質と大会のためだけのような修練内容とのギャップを埋めることから始めなければならない。それには、大会の様式の変革を通じて学生の修行目的を変革し、ひいては練習方法の是正と学生拳士の意識改革まで進めることが必要である。」
  これは学生達が調べてくれた結果報告に基づいて、書かれているわけです。今一部の大学では、演武組と乱捕組とに最初から分けてる。体の大きい喧嘩の強そうな奴だけを選んで、乱捕専門に向けてる。だから技なんか知らない。とにかく勝てばいい。こんなのが社会へ出て、いったいリーダーになれると思うか、ということなんです。
  また、乱捕について。「調査によると、大部分の大学支部が週に数回の乱捕を行なっている。学生が乱捕をいかに重視しているかがうかがえる。乱捕練習について早急に解決しなければならない課題は、安全対策と練習の在り方の問題で、このうち安全対策については、本部の専門委員会において目下、指導の手引き書が作成されつつあるので、在り方を重点にまとめた。」
  で、学生が乱捕の意義をどのように考えているか、という意識調査の結果ですが、「勝つことにより自信がつく──36%」「根性がつく──22%」の二つが、他の回答に比して非常に多かった。勝つことによって自信がつくという回答を裏返してみればだ、「勝ってこそ乱捕精神の意味があり、負けたのでは意味がないということになるので、このような乱捕の目的を持つ限り、乱捕を行なえば勝つことが必要条件となる。」
  「しかし」、これは二重丸つけとけ。「何びとも永久に勝ち続けることはできないし、勝った時の勝利感や自信にしても、刹那的なものにすぎない。むしろそのために勝敗にこだわる人間が育ち、お山の大将となるか、逆に自信を失う人間も出てくるに違いない。また、大会で乱捕が競技化されれば、特定の選手のみを育てる組織になっていく。」
  「これらは少林寺拳法の本質とは異質のものであって、一刻も早く人を倒し、人を蹴落とすことに専念するのではなくて、誰もが自己の人生を自信を持って生きられ、他人と調和、協調、融和して生きる人を育てる手段としての修練に立ち戻らねばならない。」
  これは学生諸君のまとめなんですよ。私の考え方を十分にこなしてくれてる。嬉しいですね。また、根性がつくという回答にしても、真の意味での根性というものは、強烈な動機と明確な目的に従って初めて身につくものである。しかし肝心な動機と目的を見失うと、かつて東京オリンピックのマラソンで三位をとった円谷選手のように、根性のかたまりであると言われていながら、成績の不振と周囲の期待の重圧に耐え切れずに自殺してしまったものもいる。つい最近起きた現実の問題です。彼らの言う根性とはいったい、何なのか。駆け足では勝って根性はできたが、人生に負けて自殺した。こんな根性ならない方がええな。国体の選手になれなかったというだけで自殺をしてしまう。これが根性と言われている。
  根性というものが、どっかで誤解されてるんだよ。乱捕で勝ったからいうてな、戦争中もそうだったけれども、銃剣術が強い、射撃がうまいという奴は、戦争になったら逃げたり頭隠してしまう。本当の根性とか度胸とかいうものは、別の問題なんだ。選手で出て、ウワーッと人が拍手してくれてる時は、何となく偉いような気がする。しかしいっぺん負けたら、シュンとなって、もうダメになっちゃう。これが、今の選手の世界なのです。

少林寺拳法の本質と指導の在り方(2) はばかりながら宗道臣、誇り高く生きている
日 付 1980年3月(昭和55年3月)
場 所 大学指導者講習会
出 典 あらはん1986年2月号
法話集 開祖法話集第27巻 

九転十起、生きている間は死にゃあせん
  どんな困難にぶち当たっても、七転び八起きじゃなくて、中国では、九転び十起きと言ってる。数字に意味を持たしてる。九というのは、最終、数字の終わりなんだ。次がない。またゼロに返る。七転び八起きなんていうのは、これはチョロこい。絶対に死ぬまでは負けたんでないというのが、私の信念である。生きてる間は大丈夫。生きてる間は負けたんじゃない。命さえあれば、どんなことがあったって、いつかは立ち直れるんだ。
  私は病気をして死にかけて、何べんも仮死してる。ソ連へ行く時にでも、モスクワへ向かう途中、シベリアの上空でわしは仮死してしまった。でも、生き返ってる。これは意識の問題を通り越して、生命力があるからだ。要するに、生きてる間は死にゃあせんということで(笑)、医者が死にました言うたって生き返っとる。それは、細胞が生きてるから心臓が止まったって、人工呼吸すりゃ生き返る。救急法でやるだろう。息せんようになった奴を、口つけて、吸うたり吹いたりしよる。この際だと思うて、キスできたと思うて喜ぶな(笑)。とにかくそういうことだってあるんだ。意識と関係なくたって、生き返ることも、死ぬことだってある。死にたい、死にたいと言うて、思ったって死ねない。首をくくるとか、チョン切ってもらうとかせなんだら死ねない。体を殺さなんだら死なないので、細胞が死ぬまでは生きてる。
  僕はそういう経験の上でこんなことを言ってる。生きてる間は負けたんじゃない、死んだんでもない、と。いや、分かってるようで、本当は分かってないんだ。自信を持てよ、自殺なんかするなよ。わしも失恋の結果、自殺したいと思って、ベロナールという芥川龍之介が飲んだのとおんなじ薬をおんなじ量飲んだけど、俺は生き返った(笑)。死にたいと思って死んだんだけど、死ななんだ。肉体が受けつけなんだ。お前はまだ生きとれということなんだよな、これは。天命であると思ってる。
  ふてぶてしく生きてると人は言うけれども、そうじゃない。あきらめきった上で、私はこういう境地になってる。昨日だって、「先生、30分」というのが3時間やった。心配して、みんながヤイヤイ言うてくれた。帰ったまんま寝てしもうたよ、とうとう。目が覚めたら6時だった。ああ、まだ生きとったなあと思った。ところが、今朝になると、またジッとしておれない。せっかく学生がやろうと思って来てくれてるのに、一回きりで済ましちゃいかん。それから、やっぱりもっと言うときたい。行こうということで、またこうやって出てきた。
  今も来る時、「先生、10分、30分ですよ」と言われた。そんなことないよな。まだ何ぼやるか分からん(笑)。君らはいやかもしれんけどな。そういう人生を君達にも経験させたいのである。生き甲斐というのは、そういうもんじゃないかな。しょうことなしにやってるのと、何かをやろうと思って一生懸命やってる人生というのは違うんだ。今、君達はいい年頃だ。しかも時勢もいい。オートバイにも乗れるし、海外旅行もしたけりゃいつでもできる。着るものだって十分ある。文句言うことない。もてあまして暴走族になったり、マリファナ吸ってみたり、程度の悪い奴はシンナー吸うてプカブカして、ポーッとなって喜んでいる。むだ飯食ってるんだよ、これは。極端なこと言うけども、やはり価値のある人生を私は生きたいと思う。それは、自分でやればできるということなんだ。
  そういったような意味でだ、円谷が死んだ時(*1)のを例にしてです、誤った根性を身につけるのではなくて、少林寺拳法を正しく修行することによって、4年間で、金剛の肉体と不屈の精神力を土台にした、調和のとれた根性を身につけて社会に出ていかなければならない。
  で脱線はこのくらいにして、前回の続き、学生諸君のまとめてくれた分析に戻りましょう。「練習の内容や方法、在り方」についてです。いろんな角度から調査した結果、「防具着用の乱捕を主とする修練を行なっている大学は、本当の法形の練習を知らないか、またはできないからだという結論に達した。」
  これは私が言うんじゃない、学生諸君の調査の結果です。各学校のアンケートをとった結果にそれが出てるわけです。これを私は別の資料に基づいて言っときたいんだが、大正12年に、船越義珍(ふなこしぎちん)さんという沖縄人が東京へ来て、東京大学に空手研究会というのができた。誰がつくったかいうたら、柔道部と相撲部の選手が、どうも相撲や柔道だけでは飽き足りない、ボクシングなんかの試合を見てると柔道ではどうも物足りない、と。何かあるらしいというんで、空手をやろうじゃないかということから始まった。それで柔道と相撲の選手が中心になって東京大学空手研究会というのが大正12年に発足した。私の若い時です。

何段になったなんて、アホなことやめとけ
  ところが、これは2年半も経たずに潰れてしまった。それはどういうことかというと、大正時代の空手というのは、単独で、ぎこちなく、突いたり……、蹴る技はほとんどないぐらいだ。それで、それでは面白くないと沖縄へ夏、わざわざ合宿に行った。ところが、沖縄の何とか先生というのも型を二つか三つ、せいぜい知っておられるぐらいであって、これでは面白くない。
  で、喧嘩の役に立たんから、ひとつ東大式空手をつくろうじゃないかと、小手、すね当てをつくって、面をかぶって始めたんです。ところが、殴っても蹴っても痛くない。鉄板巻いとるわけですから。そうすると柔道や相撲をやってる奴の方が強い。体じゅう鉄板巻いて、やるかーッというんで、突くんじゃなく、体当たりで突き飛ばしちゃう。で、1年半もたんで潰れた。カの強い奴が強い。そういう歴史が、大正時代にあった。これが、乱捕の行き着く弊害なんです。
  今までに大会で学生が2人ほど死んでいます。乱捕ですね。練習中に死んだのもいます。たまたま叩かれた。ひっくり返って、脳震盪(のうしんとう)を起こしてそのままというのも、過去に1人ありました。これは事件にはなりませんでした。練習中だとか、試合中ですからね。けれども、寝覚めは悪いです。
  だから安全管理の問題でもええ加減に言いよるわけじゃないんです。ないかもしれない、ない方がいいけれども、あるかもしれないということで、やはりいちばんいい方法を採りたい。そういうことがないのに、インスタントで、何か喧嘩の時に役に立つ──それがアンケートの中で最大のパーセンテージを示してるんです。学生の中には、乱捕を物理的な強さの象徴として実戦即応のものだと誤解してる人がいるんじゃないか。そんなことはありません。
  私はこの辺の不良狩りを、ずうっと身をもってやってきた。初期の頃は人数が少なかったから、午前中は暇でしょうがない。丸亀(まるがめ)へしょっちゅう映画を観に行きよった。午前中に映画館へ来よる奴というのは、あんまりろくなのおらんですね(笑)。とにかくヒモみたいな奴か遊民だ。そういう時に、映画館へ行ってると、煙草吸ったらいかんというのに、わしの後ろでブーッとやる奴がおる。俺、煙草吸わん。煙が前へ出てくるね。後ろを見るとあんまり芳しくない奴だ(笑)。二、三べん顔見る。そうすると、何だ、このおっさんてな顔して、わざと前へ吹きつけよるから、黙ってそれをひっつかまえて、煙草を取り上げると同時にグッ。脇の下に挟んだらな、ちょうどあの腰かけがある。よう効きよるね、あれ。ゴキッちゅう(笑)。「痛デ」って。「煙草を吸うたらいかんって書いてある。コラ」──それで終わり(笑)。
  それから便所へ行ってみると、やっぱりサボって来とるような、学生にたかってる奴がいた。あの頃の便所というのは、水洗便所じゃなかったよな。コケが生えて、紫色に(笑)ヌルヌルしたやつがいっぱいある。そういうとこでわしが小便してると、そんなんが来てゴチヤゴチャ言いよる。「おっさん、出てくれよ」と言う。たかりよるんです。それでも立ってると、しようがないからつかまえて引っ張るか押し出そうとする。それを待っててバーン、蹴る。ズルリ行っちゃう(笑)。それで終わり。わし、喧嘩をして、多少ケガもさせたけれども、いっぺんも因縁つけられたことないぞ。なぜなら相手が悪いということを十分に知ってる時しかやらない。しかも、やり方が巧妙だ(笑)。「お前、滑ってこけて便所の中に顔突っ込んだな」、と言うわけ。もうカッコ悪うて、人前で言えん。それに向こうは、まして顔を売る稼業だ。顔を潰されたと思う。ところが、相手は何や、あのおっさんだ、と。あれ、少林寺の先生や。あ、それはあかん、喧嘩しても勝ちそうもない。それで終わりだよ。
  また脱線をしたけれども、喧嘩の仕方だって、いろいろあるんだ。いきなり顔なんか殴ってみろ。まして武道の有段者であれば、少林寺だけじゃない、空手を含めて、凶器でケガをさせたと同じ扱いを受けるんだそうだ。懲役一年で済むとこが三年ぐらい行かされる。ならな、クラブ活動で何段になったなんてアホなこと、やめとけ。どうせやっつけるんだったら、もっと方法がある。後ろから行ってズブリやった方がいい。殺したかったら、卑怯もへったくれもない。生き残らにゃ勝ったにならんのだから。
  そういうことさえ分からずに、試合の時に勝った、バンザイで、社会へ出たら失恋して自殺し、失職して自殺し、親が失敗して自殺しと、そんな命は何ぼあっても足りない。そんなアホなこと、やめとかんか。昔から言われてるが、終戦処理がいちばん難しい。喧嘩をすることはたやすい。あとをどういう形で終(しま)いをつけるか、これで親分の値打ちが決まる。はばかりながら少林寺・宗遺臣、未だかつていっぺんも外部に頭下げたことないぞ。いつでも誇り高く生きてる。言いたいこと言うてる。政治家にだって、わしは頭下げる必要はない。君らだってできるはずなの。それが本当の勇気であり、根性であり、戦術の達者な人だと言われることになるんじゃないかな。

理屈が分からんのが運営してるところに、最大の問題がある
  わしは体も動くが、口もかなりしゃべれる。頭の回転だっていい。決してバカじゃない。プロのスポーツや武道家がダメだというのは、おかしくなってるんだよ。相撲取りでもボクサーでも、ああいうものを見てみい。柔道でもそうだと思う。毎日毎日、脳震盪を起こす練習ばっかりやってる。デーン、デーン。もともとあまりできのようないドタマ、あれだけぶつけてたら、みんなおかしくなる。条件反射で動くようなバカばっかりが育つ。考えることができなくなるんだ。そんな練習はやめたらどうだ。効果的な方法を一つ覚えるんだ。
  硬いもんで殴ったから効く、ということは絶対ない。泣きどころ、急所と言うが、少林寺はそれを具体的に、ある段階に来ればできるように仕込んでる。だから面白い。小さくても、力がなくても……ということなので、なら本筋に返ろうじゃないか、我々は何をしたらいいかという。
  それには「段々に攻撃を難しくして、どのような攻撃を受けても流水蹴りができるような教え方をしてる。ここに技術としての漸々修学の意味があるのであり、こうして法形を学び、反復練習を繰り返して体に覚えさせ、反射的に対処できるように仕上げるのである。
  そうして、その延長線上に自由乱捕が位置するような練習を行なっていけば、刹那的でない、真の意味での自信というものが身につくのではなかろうか。ともかく学生の中には、乱捕を物理的な強さの象徴として、実戦即役立つものとして考えがちである。」
  ──ここに間違いがある。「勝つことにより自信を得、自己の強さのバロメーターとして大会が存在し、大会の結果が自信に結びつくという悪循環となり、本末転倒の現状となって現れているのである。このような悪循環を断つために、まず大会の改革をやらなければいけない。各大会毎に日々の練習の中において、まず法形が十分こなせるように指導する。各段階に応じてこなせるようになった法形の範囲内での乱捕稽古を行なわせる。上受突と外押受突とができるようになったら、それを組み合わせて行なわせるとか、流水蹴ならば、上段攻撃をいろんな種類を混ぜて行なわせるなぞとか、いろいろな攻撃に対して反撃、それを覚えさせる。それに面白さを感じさせる。」
  それには、なんぼ突いても、いつも言うことだけど、届かなんだらだめなのです。宮本武蔵が佐々木小次郎に勝った理由は簡単なんだ。あれは、宮本武蔵が『五輪の書』の中でも言ってるが、間を見切ってるわけです。彼は寸の間と言って、今で言ったら3センチぐらいの間を見切った。小次郎は人より長い三尺何寸(約1メートル)の刀を持ってたわけで、届かなんだら斬れないということが、武蔵には分かってた。だから彼はわざわざ船の中で擢(かい)を削って木刀に仕立て、一間(いっけん、約1.8メートル)あるような木刀を持ち、間を見切った。見切りができれば何も怖いことない。届かなんだらええのじゃから。だから、人と喧嘩などで対する時に、いきなり不意打ちを食わん程度の間さえとっといたら、向こうの手が伸びればこっちだって動けるわけでしょう。それで反撃をする。互いの先がとれるというのはそういうことなのです。技術を本気でやっとったらそんなことできるはずなのに、教える能力のない奴が幹部になってるから大学の拳法部はおかしくなってしまった。
  将来、学校の先生になりたいというのが何人かおるだろう。ちょっと手ぇ挙げてみい、なりたいの。あ、ようけいようけおる。君達、なぜ大学まで行った?高校でやめてもよかったし、中学でやめてもよかった。でも、少なくとも中学生を教えるには高校の能力がなかったら理解できないよな。高校生を教えるには、高校を卒業して大学へ行って、またもっと上の勉強せなんだらそれはできないはずだ。それを、字が上手やからいうて小学校3年でやめた奴は、小学校の先生にだってなれっこないだろう。この分かりきった理屈が分からんのが、今の少林寺のクラブを運営したり指導したりしてるところに最大の問題がある。少なくとも主将になり幹部になる奴は、少林寺の今のレベルでは最低三段以上、それまでの科目は完全にこなせるというのが一つの条件にならなければいかんと思う。
  高校時代に拳法をやって、大学4年間やったら、今最低五、六段ができてるはずです。そこまでいけば、1年生から4年生までの大学生を教えたって、大きな顔して先生で通る。大会でいっぺんぐらい勝ったからいうたって、そんなもん、いったい、何になると思う。何にも分からん。ここに問題がある。


少林寺拳法の本質と指導のあり方(3) これだけのものを、君、捨てたいか
日 付 1980年3月(昭和55年3月)
場 所 大学指導者講習会
出 典 あらはん1986年3月号
法話集 開祖法話集第27巻

好意をむさぼれば長続きしない
  精神と肉体を鍛えながら、人と人とのつながりを広げていって、本当の平和というものはそういう中でしか育たないという私の考え方が、分かってもらえてきた時代だ。
  ならな、今年は転機だ。学生運動の転機の重大な時期である。だから私、病気でもこうやって出てきておる。諸君に分かってもらいたい。寿命が延びた延びた、言うけれども、男の寿命はいま71歳と何か月だそうだ。なら正直わし、もう一年半ぐらいしか平均寿命で言うとないんだ。ということは、わしの時代はもう済んでる。君達の時代なので、これだけのものを君、このまま捨てたいか。なんとか続けろよ。少林寺はまだ始まったばっかりだ。
  これから青年期を迎えようかという少林寺を、いま潰して、もったいないと思わんか。それは君達の問題で、正確に少林寺をこなすことから始まると私は思う。が前置きはおいて、前回からの学生諸君のまとめの続きを読みましょう。「相手のレベルに合わない独り善がりの理解で行なう方法や、相手の自尊心を傷つけるような言葉を吐くことなぞを、絶対に避けなければいけない」
  己れだけが尊い、己れだけが偉い、己れのやっていることだけが最高だという人がおる。こういうなのは困る。たとえそうであっても、それはこういうとこが間違ってるから、こういう風にした方がもっといいぞという教え方もあります。
  監督のいない大学も問題があるが、そういう監督がおるのも困るわけです。それしか知らんから、それが本当だと思い込んでしまう。それで、本部合宿とか指講へ全国からこうやって集めて、ほかの学校との比較の中で自分達のレベルを確認させる行き方をいまとっている。井の中の蛙ではいけない。俺の大学がいちばん古いんだとか、うちの大学の先生は何段でいちばん偉いんだとかいうのは、これはとんでもない誤りである。
  私だからこんなこと言えるんだ。次の代になったら、こんなこと言うたら、あいつより俺の方が期生が古いとかいうようなことになって、言うこと聞かんようになる。今なら私がどんなにポロクソに言うたって文句の言いようがないから、しようがないと思って聞きよる。だから俺が生きているうちにこれを直しときたいと思う。「あるときはほめてやり、あるときは激励をし、といった態度をとりながら、学ぶ側に、まず自らが求め、つかみ、理解し、行なえるようにしむけること」つまり、成長に喜びを見出させた時に、少林寺というものは本筋へ返れるわけで「少林寺拳法を修練する楽しさを味わわせる。それが修行を続けさせる原動力となるのである。そのために、学生が運動部化していく原因となる拳士の意識と体質の改善を図るには、学生を感化させるだけの強烈な指導者をおいては他にはできない」───ということです。「大学支部の幹部は毎年毎年かわっていく。縁起の法則どおり毎年人がかわる毎に、その考え方も常に変わっていく。そのために一貫した指導を行なっている人がいなければ、少林寺拳法の教えを維持することは難しい。
  毎年入部してくる部員と交代していく幹部に対して、少林寺拳法の正しい思想と技法を指導し、大学支部が金剛禅運動の道から外れることのないように軌道修正していくのは、監督の先生方による面授面受しかない───と私は思っている。「なお、監督に対し謝礼はおろか、交通費すら出していない大学もあることがわかった。人との交わりは、好意をむさぼれば長続きはしないという先人の教えを肝に銘じ、まず大学支部側が甘えを捨ててかからなければならない。これもまた早急に解決しなければならない問違である」
  大学だって月謝だとか、入学金だとか、ようけいようけ金取られよるだろう。クラブだけなぜタダでせないかんということだ。いい先生を頼めば、その謝礼はすべきだよ。もし金が要るんなら、金を得たらどうだ。クラブとしてアルバイトでもやったらどうだ。一日たとえ3,000円でも、30人の部であれば何十万かの金はすぐできるのじゃないのか。毎日せいと言うのじゃない。クラブのためにみんなが出し合って、みんなが積み立てて合宿に行くなり、先生を連れてくるなり、何かしてもらったら楽じゃないのか。気も楽だ。要求もできる。
  初期のころは指導者が足らんからOBが引き受けてくれた。張り切ってしてくれた。ところが半年も続かない。辞めてしまう。どうしてやめたんだ、と。いやあ、先生、新入社員だから夕方まで勤めないかん。大学のクラブは午後始まる。遅くても四時か五時には行ってやらにゃいかん。しかも一時間も離れたとこへ行くいうたら電車では行けないんでタクシーで行くと、あの当時でも1,000円もかかる。それで、学生が何ぼかしてくれるのかというと、先輩先輩って立ててくれるだけ。どうかしたらコーヒーまでおごらされる言う。教えに行ってえらい目して、たかられて、先生、これは通じませんわというわけ。当たり前のことだ。いくら好きでもそうはいかん。君らでもそう。ただ取られるんなら、これは奴隷労働だけど、行けば何ばか金くれるから手伝いに行きよるんでしよう。 先輩が一杯飲むためのアルバイト料で出さされるんなら搾取されたと思うけど、自分達が一緒に勉強するために、監督を含めて、あるいは主将を含めて一緒に働いて出した金だったら、みんな胸を張っとれるんじゃないだろうかな。そういうことをやる方向もひとつ考えてもらいたいと思う。

分からないなら聞きに行ったらどうだ
  それから次に、体育会的悪習の例を要約した。「一部の大学では、シゴキとかヤキなどをはじめ、体育会的な悪習に汚染されている事実が浮き彫りにされている。これらの大学組織の悪習はなぜ起こるかを考えてみると、支部設立後、二、三年後から道院との交流がなくなり、大学幹部のみの指導となる」───といった原因が考えられる。
  年の離れていない、僅か十八歳から二十一歳ぐらいまでの集団で構成されている君達の学生社会は、人格や識見を備えた強烈なリーダーが生まれない体質がある。要するに、一年生同士みたいな子供ばかりの集合体で、三年生、四年生と言うけれども、学生社会しか知らない。しかも幹部はなった途端に交代だ。
  中にはおい、おれの借金をおまえが払うてくれなんて、遺産相続みたいに借金相続までさせられてるクラブが幾つかある。そういう中で、まともなのが育つはずがない。毎年年度末に、後輩に資産を残してやったようなクラブ、聞いたことない。むしろ借金をつけてる方が多いように聞く。また「封建的な部の在り方」、それを、「当然のこととして教育され、そのような風潮を好む部員が増え、しかも次期幹部とし」、で、今のようなことになりつつある。「このような内容を好み行なってきた大学支部員は、これらの悪習を変えない理由として、大学は大学としてのやり方があるとか、あるいは年が離れていない大学生間で変わっていく組織においては、厳しいタテ系列の秩序のみによって統制することが最もよく」───それが武道クラブの武道クラプたる所以である。男らしいことである。なんていうようなこと言って、突っ張りや見栄の美学なんていうようなのを謳歌してる。これは間違いです。そんなことはない。私の人生の中で、そんな生活はなかった。君達が学科ができないというのは、自分が理解しようとしないからです。僅か二十歳(はたち)か二十一、二で、日本の怪しげな大学で怪しげな学問を習ってる諸君が、今いいとか悪いとか言うな。生意気な(笑)。とにかく素直に、まずやってみようじゃないか。やらん先に、いや、俺はこう考えてる、いや違う、と言うんだったらせん方がいい。だが、少なくとも君達は、我々の呼びかけに応じて来てるんだから、素直に聞け。で、素直にやってみようじゃないか。やってみていけなかったら、結果はこうこうだから、こういう風にしたらいかがでしようか、という意見を持ってきたなら、私も素直に聞きます。
  今回この資料をまとめてくれた諸君は、みんな過去に少林寺を愛してやってきた拳法バカみたいな学生です。これらが同じように悩み、改革に志を向けてきてくれた。素晴らしい時代に今向き合っていると思ってる。だからまず少なくとも教範を基礎に、科目表というのがありますね、あれに指定されてることを毎日やってみたらどうだ。
  それでもっと勉強したければ、今度は図書館に行くなり、新聞社へ行くなりと何ぼでも掘り下げればいいのであって、それをしようとしないで、自分が分かろうとしないで、後輩には言うてもダメだと最初から決めてる行き方に問題がある。
  だからこの今年の指導者講習会を一つの契機として、分かっても分からんでも新入門からの科目をあの指定どおりやってみなさい。三年、四年では足りませんぞ。あっという間に四年間たってしまったということになる。それを本気でやっとったら、大学卒業しても大して役には立たんと言うけれど、指導性のあるいい若者として社会で通用するようにはなれる。そうしてクラブでも将来を思って、本気で取り組んでみなさい。人生を簡単に変えることができる。知ろうとしない所に最大の問題があるように私は思います。自分からなんだら聞きに行ったらどうだ。恥ずかしいことない。君達は知らんで当たり前だ。明日教えることを今日習いに行ったっていい。いい先生はそういう先生だと思う。

少林寺、そこにタテ割を持ち込もうとするな
  「男らしいとか、突っ張りの美学を披露するような幹部ができる学校は困るということで、後輩とは、ただひたすらに自分達幹部が快適な生活を送るための奴隷にしかすぎないという考え方が行なわれている。そして、幹部は実力も人格もつけようとせず、ただクラブのタテ系列の秩序の中でぬくぬくと甘え、育っている。このような中からは真に有為な人材が育つどころか、鼻持ちならない、常識をわきまえない、実力もない、くだらない人間しか育たない。
  こうした意識の恐ろしさは、大学生自身が、少しも間違っていると気がついていないところにある。それは長い間かかって築いてきた伝統であり、周囲の他の武道クラブも同様にやっているため、それが当たり前、と理解されている。しかも同質のクラブとのみつき合うことによって、いっそうそれが増幅され、井の中の蛙として、大学には大学のやり方があるんだなどという考えで世の中へ出ようとする」 そして、そうした人達が社会へ出て、カチンとかち当たり、潰れて、自信喪失へとつながっていくのです。
  それから「礼儀作法について」。何年か前に、関西で武専をやったことがある。第一回のときに、私が声を大にして何をやったかいうたら、躾をやった。それは、儀式をしてる間はまァ、よかった。で、飯を食う時間になって食堂へ入った。ところが私が座るか座らんのに、もう弁当を開けてる道院長が何人かいる。あら、と思うた。
  だけじゃない。(口を突っ込んで食べるかっこうをして)それを見て、私、うわあ、恥ずかしいと思った。最も基本的な躾ができてない。クチャクチャいうて物を食べてる。しかも犬みたいに皿に口突っ込んでやってる。いや、これは……と思うた。
  出るとこへ出たら、やっぱり恥ずかしいよ。育ちが知れる。一発で割れる。私がそんなことしてみろ(笑)、ええ?恥ずかしくて誰もついて歩かんようになる。日本犬はガーガー、ガーガー食うけど、洋犬は飯の食い方まで違う。何でかといったら、先祖代々そういう躾の中で育ってきた。だから先天的に違うんじゃないかと思う。洋犬は集まったってあまり喧嘩せんぞ。日本犬は二匹集まったらギャーギャーやってる。何かどっかが違ってる、これが躾である。
  少林寺の場合も、どこへ出しても恥ずかしくないような人を育てる場でなければならんと思う。ところが、今君達は「オースッ」「チワーッ」「イヤーッ」。威張って後輩をこき使って、ふんぞり返ってるようなのが、実社会へ出たらどこで通用する?「大学支部は、人という稲を育てる田んぽと同じである。皆と協力して用水をつくり、農薬をまき、雑草を取り、それらが仲間である皆と一緒に行なわれないなら、病虫害はいつも隙から入ってくる。大学内で鼻つまみ者になっている応援団とくっつくことによって、箔や権成をもとうとするのは愚の骨頂であり、むしろ、持って守り抜かなければならない。
  また部内の教育においても、監督、コーチ、OB、主将、幹部がてんでんばらばらに後輩に対していたら、後輩にどんな期待を寄せようとも、それは実現されるものではない」──-ということです。
  ま、いろいろ言うたが、最初の原点に返って、我々はタテ割りの社会の中でヨコのつながりをつくって、みんなの幸せをみんなで考えるような社会にしたいということから始まったんだ。少林寺の運動はね。だからそこへタテ割りを持ち込もうとするな。タテ割りの社会というのは、いいとこもあるが、半面、これは大きな害でもある。上の言うことは無条件で従う。下へは無条件で押しっける。そんな世界がまともだと思ってるのか。俺だけがいい、という世界は決しで続かない。

  半ばはわが身の、半ばは他人の、同じことなんだ。理屈は分かっている。君達の行動の中でどう出せるか、ということが実は問題である。頭の理解でなくて、行動の中でこれを理解してくれたらありがたいと思う。何か質問ないか。わしはわからなんだら、殴ってでもわからしてやろうと思った。



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