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開祖法話005

人づくりに、ふさわしい環境を作ろうではないか〜人間は環境によって変わるものである〜


※このリライトは「宗道臣大禅師法話集」の第23巻A面より編集したものです。今日では差別表現として好ましくない言葉や不適切な表現もありますが、開祖が差別助長の意図で使用したことでないことをご理解ください。

上に立つ者は自分で自分を厳しく生きていく以外にない
  「もとへ」。私がおろせと言うたら、指揮者はちゃんと決まってんだよ。指揮者の号令無しに勝手に降ろしてるじゃないか。君らの普段の道場の練習形態がこれでわかるわけ。
  君らは道院長ではあるけれども、今日は講習を受けに来て、諸君の代表者がちゃんと号令をかけてる。わかってるでしょう。どうしたらええ。やっぱり1からやり直す必要がある。今こういうことを言えるのは私しかいない。ほかの連中が言うたら、いや、古い、新しいや、いや、俺のほうが、そんなことばっかり言いたい人が多いから。初心に返るということはそういうことを忘れることから始めたい。もう一度。「礼」、「おはよう」、「おはようござ今す」。
  わしが降ろしたら、さっさと号令かけい。もう一度。「礼」「おはようござ今す」「直れ」、よし。大分そろった。もう一度。「礼」、手の降ろし方がバラバラである。「直れ」、よし、そろった。
  やればできるんだよ。やればできることをやらない。問題はここにあるわけ。よし、着座させえ。今日はウミを出したい。知ってる人もおるだろうが、知らん人もおる。そんなこともあったんかいなというなのもおるかもしれない。でも、私は粛清というのはそういうことだと思うんです。自らの姿勢を正す。私は自慢ではないが、これを始めて、今、34年目がくる。私は諸君に対してやましいことを1つもやってない。誰よりもこの道のために、自分の生涯をかけて生きてきた。誰よりもこの道の発展のために協力をしてきている。そういう実績があるから諸君だってついてきたと思う。
 上に立つ者の苦しさ、厳しさ。よく、上になるほど孤立すると言います。それは自然の姿です。自分で自分を厳しく生きていく以外にはないのです。それを忘れた人が、やっぱり毎年何人かポロポロと脱落をしていく。あるいは、引きずり降ろされたと彼らは言うけど、私が引きずり降ろしたことはありません。みんな自分が育てたと思ってる自分の子供たちに引きずり降ろされてるという結果なんですね。それはそうじゃない。引きずり降ろすんじゃない。君たちが上に俺なくなってずり落ちてるんだ。私に言わせれば。することをしてなくて、要求だけして、自分だけが偉くなって、弟子をむしろ邪魔をするような形をした者が降ろされてる。いや、降りなくならざるを得ないというのが実情じゃないかと思うんですね。
  共産党もやってた。これは中国も共産党だが、文化大革命というのは一種の若い者を使っての、あれは荒療治だったと思うんですね。
  幹部が腐ってきたやつを部内で粛清させたのが、あれが文革です。今、その反動で、また、文革でさえずり上がって、今度は途端に自分のほうが偉いと思った文革のさえ上がりが、今、また粛清されつつあります。これは、もうどこの世界、いつの時代がきても同じなのです。
  でも、生き残る人もいますね。ずーっと続ける人もある。それはやっぱり後をつく者の支持が多いから残ってる。引きずり降ろされるのは、やはり降ろされる理由が私はあると思うんですね。
  そういう意味で、我々も常時内部点検やったり、姿勢を正したり、自己反省をしたり、あるいは、先輩や後輩の意見を聞いて、自らを正すというものがどうしても必要なんだ。これがないと、自分だけが偉いと思ってもはたが認めなくなります。
  現に、私のところへ連合会長不信任案を連名で持ってきてるところが幾つかあります。あるいは、新道院長から分離願いを持ってきてるところも幾つかあります。その原因はなぜでしょう。私たちの知らないところで、いつの間にか諸君が浮き上がってる。私が、つい最近もあるところを監査いたしました。これも投書があったり、連絡があったりして、あんまり酷いから、まあ一応調べてみょうじゃないかということでやっぱりやりかけよる。今まで毎年幾つかそういうのが出てますね。
  古い連中の中にでも格下げされたものたのもこの中には何人かいる。なぜでしょう。本当は先生、あんなのは破門してしまえという強硬な意見の中で、まあ、今まで長いことやってきたんだ、かわいそうだから、もう当分やらしてみようじゃないかと。しかし、まあ格下げぐらいで一つおまえたちも辛抱してやれと、私がむしろなだめてる立場でそれをやってきてるわけです。
  これは軍隊だってやってますよ。将校から一等兵に格下げしてるんだって、戦争中だってありました。これはアメリカでもやってる、共産党の国でもやってます。日本も天皇の時代から今日に至るまでやっぱり格下げもやられています、ある意味で。前は総理大臣だったが、今度はもう平大臣にしかなれないというの、これ、やっぱり一種の格下げですね。そういうものもある。そういったような全体の中で生きていく少林寺の今の状態の中で、諸君が本気に考える時期がきたと、私ははっきり申し上げたい。それで、今日も、諸君の中には気に喰わんもんがおるかもしれんが、はっきり言えば、新しい道院長の中から占い道院長の批判がかなり強く出てる。後ろの方へ来てコソコソと居眠りをしたり、雑談をするのは古い道院長で、位の高い人が多い。先生、ああいうなのどうして放っとくんですかということです。お前達が言うたらいいじゃないか。私らが言うたら次の昇格のとき睨まれますからって。勝手なこと言ってるようだけれども、これは本音ですね。
 そういう意味で、言いたいけど言えない。それを諸君は、誰も言わんから俺が偉いんだと思うほうへ受けとる人もやっぱりおるようです。俺のほうが先輩だ、俺のほうが段が上だ、俺は本部の役員だなんてなことを、自分だけが思って働いてたって、人は認めていません。これはやっぱり間違いですね。
 それから、もう一つの問題は、私に目立とうとしてチョロチョロ、チョロチョロ、私の前へしょっちゅう顔を出して、それで地方では何にもしないという道院長もおるようである。(笑)本部にさえ顔出して、本部の点数さえ稼いどいたら、地方では何をやってもええんだというような、また、捻くれたっていうより腐ったやつがおる。これも間違い。
  そういうことをやっぱり私は形の上からでも改めたいと本気で思ってる。それはなぜかっていうと、もう私一人の少林寺でなくなってるです。少林寺拳法と言えば諸君全体を称してみんなは見ています。



いたわりとかつき合いとかいうものは、チャンスを得て喜んでもらえることをしてあげること
  最初にいやなことばかり言ったが、少しほめてもおきたいと思う。この間、中日友好の船っていうか、日中友好の船というのが六百人ほど来た。全国回りましたね。あのときに各人が非常に協力をしてくれて、これはその都度みんなが連絡をしてくれたり、大使館からもこっちへ連絡があったりして十二分に私は知っておるし、感謝してます。これも、私が「何名出せ」、なんて言うたことは一つもないでしょう。私の命令ではない。中国側は命令で動かしたと思ってたようです。そうではない。私たちの組織は政治運動でもないが、単なる中好運動でもないのであって私がこれを始めた動機から(中国の服)着てるのは、くどく言うように、今なら日中友好あたりまえだけど、あのころはチャンコロって言うて馬鹿にしてる時代にこの服を着とったんです。私は。馬鹿にされるのを承知で着たときに私が諸君に言ったことをもう一遍思い出せ。
  日本の将来への幸せは第一次大戦のときの状況から考えて、アメリカでもヨーロッパでもない、中国を中心としたアジアのあれがなければ日本の将来っていうのは無いんだということを諸君は理解をして、そして、中国伝来のこういう武技のようなものを学んでやってきてくれたのが諸君の精神的な、基本的な理解の中で生きてたから、こういうふうに日中復交ができた時点ででも来てくれたと思うんですね。
 そういう中で、どこでも出る言葉は、少林寺とのつき合いならどこでも結構ですという、これは大使館の言葉というのは中国政府の言葉なんです。それぐらい諸君が日中友好に本当に尽くしてる。呼んだ友好団体がさっさと帰ってしまってるのに、残ったのは少林寺だけだったなんて、こんなことができる団体はどこにもないそうですね。これは私からも礼を言っておきたい。本当にありがとう、よくやってくれた。これがね長い目で見た日本人の、私、将来への布石だと思うんです。
  諸君、新聞その他で知ってるように、東京サミットって騒いだけれども、あれは白人社会が有色人社会をある程度やっぱり押さえておきたいという一つのジェスチャーにすぎないので、そういうことを考えてみると、長い目で見た世界平和、あるいはアジアの平和、小さく言うたって黄色人種の幸せに、僕は直接つながるのはこれ以外はないと思うとる。イデオロギーを越えた世界、それの実践を少林寺はとにかくやってくれた。これは諸君のおかげです。本当にありがとう。これは私からのお礼と諸君にと対する褒め言葉として伝えておきたいと思う。
 それから、大勢おって、いちいち、本当は礼を言いたかったんだけども、私が好きだと去年言ったら、北海道から漬物を持ってきてくれたり、九州のほうからスイカを、重たいのを下げてきてくれたり、土地のシーズンものだからといってサクランボを、重たいのに、これは汽車で来た人ですよ、やっぱり下げてきてくれた。
  何度も言うが誤解するなよ。物が欲しいんじゃない。私はもう年もいってるし、体も弱ってきてる。食べたってごく少量です。スイカ一つもろうたって、一遍に一切れ食いかねる。でもだ、気持ちはやっぱりうれしいですね。スイカ、こっちだって、讃岐だって名所だ、なんぼでもある。どうかしたらこっちのスイカのほうがうまいかもしれない。でもだ、それを持ってきてくださるという気持ち大変ありがたい。それ以外に各地からいろんなものいただきました。ありがとうございます。一々名前とあれは言いませんけれども。
  私はよく言う。いたわりとか付き合いとかいうものはチャンスを得て喜んでもらえることをしてあげるということにしか表しようがないと思うんです。心では思ってますいうて、道で会うたらプッと横向くようなんではな、これは付き合いもへったくれもない。ただ届ければええから言うて高価な骨董品を持ってきてくださったって、私はそういう趣味がないから、正直、ありがた迷惑なということだけぐらい。
 そういうことじゃなくてですね、お互いが理解し合う、知ってるということを通り越して、なんか身近に感じられる。これが僕は付き合いではないかと。それがないということが、自分の周辺だけじゃなくて、組織としてでも、あるいは、ほかの国に対してでも、やっぱり皆つながっていくんじゃないか。
  そういったような、矛盾だらけの日本の中で日本が本当に生きていくためにはどうしたらええかっていうのは、政治よりもっと別なものがやっぱりあるようですね。食えなくて死んでるアジアの何億の民がいるのに、ただ、それをやったら米を作ってる国の国民が困るからってなことを理由に米を出さないそうです。まあ、そんなようなこんなようなことを考えて、日本が将来生きていくためには中国を無視することは、私はできないんではないかと思います。



ダーマ信仰の確立こそが、自己確立、自他共楽の生き方の中心である
  こんなようなこと一つを見てもですね、少林寺の一貫した考え方と行動の結果だと思うんです。こん中で、たとえ1人でも3人でも、それの逆を、ブレーキを引いたり、足を引っ張ったり、あるいは歯止めをするようなやつがおると、これはもう少林寺の異端者だから、やっぱりやめてもらうよりしょうがない。
  少林寺の本当の目的というもの、我々が考えてる人間改造ということをやるためには、自分がまず改造されなければならないということを、しちくどくやっぱりやる必要がある。俺はわかってんだというのとできるということは違うと毎年言ってますね。幼稚園のときに自分が聞いたと思ったこと、中学へ入って聞いたこととは違うこといっぱいあるだろうと。本でもそうじゃないか。子供のときに感激した本を大人になって読んでげっそりするのと、子供のときは何気なく読み飛ばしたが、大人になって、あるいは自分の失意のときに読んでガクッとくるような本もある。またそれから、しょっちゅう出して読みたくなる本もあるんです。その違いは自分のレベルの違いなのです。本の違いじゃない。おんなじ本なのです。受けとり方、自分の心境の問題。自分のレベルの問題。少なくとも諸君には、僕はそれをわかってもらいたいと思う。
  このように内外ともに発展を続け、ますます社会的注視を浴びるようになった少林寺が急激な膨張、発展の速度に対応、対処していくために、今最も必要なことは、道院長、支部長などの現役指導者の質の一層の向上を図ることと、質の高い指導者層を育て上げることにあると思います。
  私、中国の指導者派遣を断った一つの理由はね、今、日本でも正規の本当に指導能力のある道院長というのは2000人もいないですよ。道院長の数は2000数百あるけどもね、まだ落第点、ひどいのになるとコンマ以下みたいな道院長もやっぱり幾つかおるわけですから、そういうことを考えると、異人種に、根城を離れて、便所の紙もないようなところへ諸君が恐らく教えに行って3日も続くはずがないということがわかるということと、日本でも、今100万人以上の人員増加が毎年あります。それに対して、小学校だけでも少なくとも毎年1万ぐらいの学校が必要なんです。国で言うならばね。一人の指導能力から考えたら、日本だけでも本当は万を越す指導者が毎年必要なのです。今までの人を忘れてですよ。そういう状態の中でいい指導者が育つとこは発展をしてるし、悪いマンネリ化、あるいは質の悪い道院長のとこは徐々に淘汰されて、要するに地域社会からはみ出ていってば馬謖を切らなければいけない。かわいそうだけれども首を切るよりしょうがないと思うんですね。これはどこの世界でもやってます。少林寺はまだ、自ら自分でメスを振るったことはありません。つぶれてくるから仕方なしに垢をのけてやってるぐらいのことしかやってません。でも、それもどうしてもやらざるを得なくなる状態がここちょっと続きましたね。
  その理由は何かっていうことをここでもう一遍反省をしてみたいと思うんです。指導者講習会を開催する大前提は、前にも言ったように、指導者の質の向上にあるんです。特に今回の場合は全国の道院長のみを対象とした。支部を軽んずるというのではないが、宗教活動として、金剛禅運動として、少林寺の道院として免税の特別な取り扱いを受けながら、これをやってる少林寺の道院という法治国家の中での制度の中で、どうしてもやらなきゃならないことさえもできない道院長がやっぱり現存しているという事実から考えてですね、これは…、おい、誰監視で横を見させろ。寝るのがおったら棒持ってきて叩け。構わんから。坐禅のときに棒を叩くんでない。話聞きよるとこで構わんからひっぱたけ。おい、だから、そこの前列の1列から一人ずつ、おい、その端からずーつと自分の列見て歩け。いや、各クラスで。聞きながら、見ながら一遍回ってこい。もう悪いの見たらひっぱたけ、構わんから。いや、全部各列から行け。ほんとに構わんからこづけ。上も下もくそもない。一人ずつでええぞ。自分の4列だけ見ていけ。ただし、聞きながら歩け。
  支部を軽んずるものではないことはもちろんであるが、同じ少林寺拳法を指導し、青少年を育成することを目的としていても、道院と支部とでは組織の性格も異なっており、運営の仕方についてもおのずから差がちゃんと出てるわけ。特に、少林寺拳法の本質が金剛禅宗門に伝承される行である以上、金剛禅宗門の地方における宗教活動の実施機関としての道院こそが少林寺関係機関の基礎であり、これを統括し運営するに当たる道院長一人一人が地域において、それぞれ少林寺を双肩に担っていると言っても過言ではない。
  支部はもともと職域や学校のクラブ活動を行う場として組織されていたものであり、近年に至っては体協のスポーツ少年団活動や、地方自治体のスポーツ教室や公民館活動、勤労青少年活動など公共性の強い支部が続々と設立されるようになってる。これは労働省管轄あり、厚生省管轄あり、鉄道省管轄あり、あるいは総理府管轄あり、省庁も系統も目的も、青少年育成ということでは一緒なんだけれども、いろんなとこが違う形で行われておる。そういう中へ作ったのと、禅宗の行としての少林寺の道院というものは全然別なんだということを認識してない道院長がやっぱりあるようですから、これをやらなきゃいかんようになった。
  いつの間にか名前だけが道院で、やってることは、そういうものに便乗して、自分の中には名利のためにとしか言いようのない道院長が現実に実在をしていたということを今度も私は嫌というほど知らされたわけです。ということで、そういう道院長が増えては困るわけです。なぜなら、第一に、人間の生き方の基本に、根本にかかわることは哲学や論理や道徳を越えた宗教、それもまやかしでない真実の宗教によって初めて見出されるものである。我々にとって必要があって生かされている自覚があり、人の霊止たる我の認識に基づいたダーマ信仰の確立こそが、自分にですよ、自己確立、自他共楽の生き方の中心であり、この金剛禅信仰の中に自分の目指す人づくりの道の根源もあるんだと。これが道院の宗教活動の根本でなければならないんですね。これがどうも認識されてない道院長がやっぱりあった。



人づくりに、ふさわしい環境を作ろうではないか〜人間は環境によって変わるものである〜
  第二に、同じ少林寺拳法を行じてともに自己確立を目指していても、行じる方法や過程や環境、雰囲気が違えば結果は同じでなくなるということです。形は人間を規制すると言われている。きちんとした礼装で式典に臨む場合と、ラフな軽装でジャンバーなぞ着て気軽なパーティーへ出席するのとは心組みがまるで違ってる。環境に働きかけ、それを改善していくのも人間の仕事であるが、しかし、人間はそれ以前に環境によっても変えられていくのである。
  式には礼装でとよく言うけれども、ちゃんと礼装を着て白手袋はいて行くときには、ジャンバーのときとは自分の気構え、心構えも違うはずですね。で、そうでなきゃ入れないという雰囲気の中で、そうして、あることをやる条件の中でそれが行われている。なんでもいいのところヘパッと出て行って参加するというのとは違うということだ。これはわかってるだろうと思う。でも、それのけじめのつかない道院長がやっぱりおる。
  したがって、環境によって変えられるということが事実であるならばだ、簡素ではあっても、礼拝の施設があり、礼拝鎮魂行を欠かさず行い、教育科目表に準拠して、法話、または学科、そして実技を、定められた形で、道を求める厳しさの中で、和やかさを失わぬまでに金剛禅独自の雰囲気が自然に門信徒を薫習(くんじゅう)することになるのである。薫習という仏教用語を使いましたが、これはここへ説明を加えてある。仏教用語で、衣服はもともと香りのないものであるが、もし、これを毎日香りを薫(くん)じ続ければ、いつの間にかその着物自体が香りのにおいがする。だから、少なくとも道院長は、毎日、毎日香は焚かんにしても、その人が出てくれば、なんとなく雰囲気が、それはにおいでもいいし、行動でもいいし、なんか変わってほしい。

(1979年7月全国道院長講習会での法話より) 



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