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守備範囲があるという。「守備範囲を決めておけよ、のらぁ!!」と訓えられた。例えば野球でいえばこうだ。
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「センターの人間がライトまで走っていって捕球する必要は無いやろ。自分が守るべき範囲だけをしっかり守ったらええんとちゃうの?」 (意訳) |
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省略するけど前後の話もあって私にはこの話がとても判りよかった。なるほどそうかもしれない。ライトはライトに、レフトはレフトに任せて、センターは自分の任されたエリア、仕事をきっちりこなすことが大切だ、いくら足に自信があってもライトやレフトまでのこのこ捕球しに行くべきではない。職分てやつかなぁ。 |
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「分」
広辞苑よると、
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【分】ぶ(慣用音)(1)ある物をいくつかに等分したものの一つ。特に、一○分の一 |
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とあります。分が悪いとか、分相応とかの分です。他にも沢山言葉があって食分とか命分といった言葉もあります。食分じきぶんとは一生涯に食べる食料の量の限度。命分みょうぶんとは、一生涯の寿命の長さの限度のことらしい。まぁ他には天分という言葉もありますね。自分という言葉もこれらの関連用語です。
こういった「分」という概念は、我が存在するうえでの有限性を自覚するということだと思います。欲しがったからといって余分に与えられるものではなく、また返せば求めなかったからといって与えられぬものでもないという意味を含む場合もあります。
そういえば以前に明竜さんが、「自分に本当に必要なものが分かれば、捨てなきゃいけないものが分かる」と訓えてくれた。なんでもかんでもする・できるというのは話としては美しいですが、それらが半端にならないように、結局はどれも成し遂げられないというようなことがないように、よくよく考えねばならないようです。
拳法でもそうでしょう。なんでも知っている、できる、少林寺拳法は剛柔一体だとか600余の技があるとか言ってみたところで自分がどれだけのことが実際にできるのか。「多芸は無芸」ということになってはいまいか。
金剛禅運動だと自分を鼓舞してみたもののできもしないことにまで手を広げようとしていないか。それにより本当にしなければならないことが疎かになってはいないか。よくよく気を付けねばならいないことではないかな、と。
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取ることを知りて、拾てること知らぬは、大なる過ちなり。(中略)天地もと人を悩まさず、人ことさらに要なきものを取りて、自ら累わずらはし、自ら苦しむのみ。(幸田露伴) |
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【関連・参考】 一眼二足〜
- 示に云、学道の人、衣食を貪ることなかれ。人に皆食分あり命分あり。非分の食命を求むとも来るべからず。(隋聞記1-3)
- 示に云、治世の法は、上は天子から下は庶民に至るまで、各々皆其の役目にある者が其の仕事(業)を修めることにある。その役目にない人がその仕事を行うことは、乱天の事(天意を乱す)と云。(中略)皆それぞれになすべき仕事がある。其の仕事を勤めることが人としてのあり方である。((隋聞記3-20)
などなど
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