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この前 道をつける-1- 衆の少なきを憂うることなかれ

道をつける-2-
 開祖宗道臣がその法話で「雑魚はいらんよ」と言っちまったのが、昭和54年の第一次指導者講習会法話、少林寺拳法を開創して30年目のことだ。急速に拡大する中での発言だった。そして、開祖が亡くなる前年の法話であった。
 さて開祖が遷化してまた30余年。今こそ開祖の実力が本当に問われる時がもうそこまで来ていると思うんだ。ほんとにほんとにすぐそこ。というのも、開祖を知る世代、直弟子がどんどん引退、そして亡くなっていくからだ。以前、彼の人にこのような言葉を聞いた。
 

いいか、死して金を残す者は下。
仕事を残す者は中。
人間を残す者は上だ。

よく覚えとけよ

 
後藤新平の言葉だという。これはなかなかにキツイ。人を残す、これはどういうことか。


●慧能と神秀
 禅の世界から見てみよう。
 嵩山少林寺に達磨が西来し現代に連なる禅宗は始まったという。そして法は繋がり五祖弘忍の代になって有名な二人の弟子、慧能と神秀を現した。この二人のエピソードは有名だからネットでも調べればいろいろと読めるから詳しくはそちら。

 神秀は生まれがよくて秀才、そのうえイケメン長身だったという。弘忍の弟子の中で最高位だった。対する慧能は顔は醜く背は低く、樵きこりの息子で文字すら読めなかった。道端で聞いた経文が切欠で入門したが、寺に入ったときは米つきとして入った。僧というより使用人だったわけだ。誰もが六祖は神秀だろう、法統は神秀が継ぐだろうと思っていたのに、六祖は慧能が継いだと一般的には考えられている。しかも慧能が允可を受けたのは入山後たったの半年足らず後だった。
 当時の情勢を書くと、二人はそれぞれに宗派を立て神秀は北宗、慧能は南宗の祖となる。神秀は時の権力者にも認められ長安・洛陽両京の法主とまでなった。対する慧能は一時期行方不明にすらなるありさま。こんな二人を生みだした禅も現在、禅といわれるものはほぼ慧能の南宗と考えていい。北宗は今の世まで伝わらなかった残らなかったと考えるのが一般的だ。
 時の法主、天才神秀の法統も何代かは続いたのだけど途中で途絶えてしまった。それはいい弟子が現れなかったまた恵まれなかったからだ。そしてなにより、いい弟子を育てることができなかったからだ。

六祖慧能坐像
 
 武道界でもこういうことはよくある。初代はめちゃんこ強い、技術も高くてカリスマもある。がしかーし、次の代になって急速に組織の勢いが落ちたり分派を繰り返したりする。結局は初代が人を残せなかったということだ。武道家一人の生涯を考えると30年に一人はいい人材が欲しいもんだ。でもこれが実に難しい。

 往聖に曰く「汾陽はわずか六・七人、薬山は十衆に満たざるなり。されどみな仏祖の道を行じき。これを業林の盛んなるといいき。」人は少なくともみな真剣に取り組んでいた、これを盛んだと言うたのだ、と師は弟子の懐奘に語った。道元は弟子が多いことを非難しているわけのでない。それはしてはいけないことだ。多くの人を育てることもまた素晴らしいことだろう。しかし道をつなぐ、道をつけるということは、結局は一人でもいいから質の高い者を育てるということだ。道をつける、次世代に繋ぐ事が本当の意味で多くの人を導くことになるからだ。
 松下村塾・適塾などはその代表例だろう
(後述参照)。たった数年で明治日本を大きく揺さぶる人材を何人輩出したことか。また松山という一地方から何故あれほど豊かな人材が輩出されたのか。教育というものの力をここに見ることができるのではないか。
 開祖宗道臣も私塾を作りたかったという話を聞いたことがあるが、敗戦後の日本を立て直すために青少年育成を志した開祖の志は今でも生きているのだろうか。ではその求められる質とはなんだろう。すべては人の質にある? なんですかそれは。


●クローン羊ドリーはボニーを出産した。
 話し変わってサイエンスの世界。時は1996年7月5日、ドリーは体細胞クローン羊としてイギリス・ロスリン研究所で生まれた。1997年2月23日にドリーの誕生が発表されると、世界中のメディアがこのニュース伝えた。クローン技術がいよいよ哺乳類でも実現した歴史的な研究だった。しかし沸き返る大衆とは異なり科学者たちはまだこれだけではよしと考えていなかった。果たしてドリーは通常の羊と同じなのだろうか、それとも「どこか」違うのだろうかということだ。特に大切なこと、それは生殖能力の有無だった。
 ドリーは病気で通常の羊よりもやや早く死んでしまった(公表)。この早死についてはクローン個体は通常の個体とは異なり寿命が短いのではないかと議論されたが、フィン・ドーセット種の羊ドリーはウェルシュ・マウンテン種の雄羊“デビット”と2回交尾して、1998年4月に第1子の『ボニー』を、1999年にはさらに3頭を出産していた。クローン羊ドリーには生殖能力がある。これは極めて重要な科学的知見だった。
 これをもってドリーという羊は本当に生を得たといえるのかもしれない。果たして、少林寺拳法にボニーは現れるだろうか。


●「人を残すことが上。」
 武道という観点で言うならば、強い初代が残すべく人物は「強い二代目」ではない。強い初代がつなぐ者は「強い三代目を育てることができる強い二代目」だ。人(F3)を育てる力のある人(F2)を育てることが大切だ。道をつけるとは、次々世代を残すことができる次世代を生み出すことだ。武芸界には宮本武蔵と柳生家という分かりやすい対象があるのでいろいろと考える手助けとなる。優劣のことではない。

道元は言う。
「堂中の衆は乳水の如く和合し、互いに道業を一興すべし。いまはしばし賓主なりといえども、のちにはながく佛祖なるべし。」

 
 少林寺拳法でいうと、開創60年にして偉大な先人は多い。たとえばN先生を挙げると、 開祖とN先生は師弟の関係にあり、つまりここでいう賓主の関係にあった。しかし今となってしまえば、長い年月を経て見れば指導者としての業には甲乙つけがたく、多くの人を導いたという点では同じだ。そもそも仏門では師弟の関係など些細なことなのだ。法の前では凡てが平等と考えるからだ。
道元は願う、
弟子にも法を説く者であってほしいと。我と等しく、道を興してほしい、佛祖になって欲しいと。 この道元の言葉、願いは実に味わい深い。



 開祖はとうの昔に遷化した。開祖を直に知る世代も正直そろそろ危うい。そして開祖を知らない世代が増えていくだろう?
 意地悪い言い方かもしれないが、今直弟子たちの実力が問われようとしてるんです。どんなF3を育てたのかと。これはつまり、開祖の本当の実力が顕れようとしているということではないかと思います。開祖がどのような人を育てたのか、残したのかということです。

 開祖宗道臣の本当の実力、それは次々世代によって顕証される。



【参考】見よ、この錚々たるメンバー
 
 
 


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