2009/11/22のニュース
私なら「殴り返せばいいのに」と思いますけども。
ネットでは、勝海舟が祭り上げられて「海舟は生涯、刀を抜かなかった」とか意気揚々と書く人がいるけど、基本的に彼は免許皆伝受けてるような腕前だし、それでも刀傷は20以上あって後年寒いと傷んだと聴きます。海舟はすばらしいけど、真似できるところとできんところがあります。美談にはそれなりに理由がある。それを美談だけで終わらせるのはまずい。 ●殴ってしまうと喧嘩に買っても、法律で負ける あと、拳士からぼちぼち聞く「殴ってしまうと喧嘩に買っても、法律で負ける」というのも鵜呑みにはできません。確かに法律で負けてしまっては社会生活がどうにもなりません。かと言うて生き残って法律云々できるならそれも必要ですが、ここでやんなきゃ殺されるという状況を想定して稽古をする、そして擬なりにも覚悟をしておくと言うことは決して無駄なこととは言えないと思うのです。法律に関する知識は暴力沙汰に限らず社会生活では大変有効な護身術になります。でも、少なくとも差し迫った暴力から法律は我々を護ってはくれません。「法律で負ける」から必要ないと思考停止することは、ちょっとどうなのと思います。 ちょっと余談ですが、古い拳士ですけども、 この話は今回の話とは関係ないけど、差し迫った暴力に対して人はその恐怖をそのまま受け入れられるものなのでしょうか。また別の老拳士は教えてくれました。 和気藹々とやる稽古もいいけど、ちゃんと泣いて帰らさ無い指導もしてあげてくださいよ。世界の平和と福祉もいいけども、まずは自分が惨めな思いしたくない、あたりまえやろっ!! まま、この平和な日本では絵空事なのかもしれません。しかし武道の格言に「稽古は実戦のように、実戦は稽古のように」というのがあります。指導のことばかりではなく、「いやしくも武芸を修める者」はたまには、自分なら指しせっまた暴力に対してどうするだろうかと考えておくのもよいかも思うのです。皆さんはどうお考えになりますか。 自分ならどうするのか。自分ならどのように指導するのか。我々の稽古とは覚悟とは、護身錬胆とは。 【参考関連】危うきに近寄らず お勉強
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