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ビスキュイ(2003/09/09)
 「少林寺拳法は守主攻従の技術体系をもった護身術である。」
  少林寺拳法を修行する拳士の中でこの意見に対し異議を唱える人は少ないと思います。では「少林寺拳法の技術を習得するためにはハイレベルの攻撃技術を習得することが極めて重要である。」という意見に対してはどうでしょうか?さらには「少林寺拳法の技術を身につけるためには拳士は(ローキック・組技・寝技なども含めて)あらゆる攻撃技を習得していなければばらない」と意見に対してはどうでしょうか?恐らく
「少林寺拳法は格闘技ではない!」
「徒に相手を傷つけるだけの攻撃技の習得はナンセンス!」
「それは守主攻従の精神に反する!」
 など様々な反対意見が出されることでしょうし,私自身何度かそのような状況を見聞きしたり立ち会ったりもして来ました。
 しかし,いささか極論ではありますが,この「少林寺拳法の技術の習得には攻撃技術の習得が非常に重要」という意見は,少林寺拳法の技術体系及び修行体系から無理無く論理的に導き出される結論なのです。以下このことについて論じてみたいと思います。


 少林寺拳法の技術体系の大前提は「守主攻従」の護身術ということであり,基本的に殆どの技はまず相手の攻撃を防御することから始まっています。そしてその練習体系は「組手主体」であり,内容的には攻者・守者を分けての「法形演練」「攻守限定乱捕り」「演武」を中心としていると思います。つまり「攻者と守者に分かれ,まず攻者が攻撃を行い,それに対し守者が防御・反撃を行う」というのが「基本的な」練習法であるわけです。
 ではここで考えてみたいと思います。守者が上達するために絶対に欠かすことのできない要素は何が挙げられるか?「適切な指導」「段階的な練習法」「本人の努力」etc……いかにもいかにも,それらも欠かすことのできない要素であることは間違いありません。しかし,兎にも角にも一番に欠かすことの出来ない要素,それは「練習相手としての攻者」ではないでしょうか?なんと言ってもこれなくしてはそもそも練習自体が成り立たない訳ですから。組手主体ですからね。ではその攻者にはどんな相手が望ましいのでしょうか?防御技術が素晴らしい?人格的に優れている?法話が上手?これらは「拳士」としては必要不可欠の要素ではありますが,こと「練習相手としての攻者」として限定した場合には必要な要素は「守者のレベルに合わせた」「的確かつ適切な」攻撃ができるということに尽きるのではないでしょうか。
「そんなことは当たり前だ!」どこからか怒られてしまいそうですね〜。そう,当たり前のこと。しかしこの当たり前のことが意外に理解・認知されていないのが現在の少林寺拳法の問題点なのではないかと思うのです。またまた質問してみましょう。「あなたは攻撃技術をどれくらい真摯に鍛錬していますか?」ハイキックは?ローキックは?フックは?アッパーは?タックルは?寝技は?組み技は?形だけではなくそれらの威力やスピードや精度を自在にコントロールする訓練は?…「護身術にはそんな技術は必要ない!」ああ,またまたどこからか天の声が聞こえてきますね〜(;´Д`) 。まあ「護身術に〜」は正論だとは思いますよ,私も。あなたが守者しか務めないのであればね。
 護身の技術を使う側としては多彩な攻撃技法は必要ないというのはある意味正解だと思います。少数の確実性のある技を状況に合わせて組み合わせて磨き抜き,色々な攻撃に対しても守る方は単純な技法で反撃するというのは有効な方法でしょうね。しかし,その技を我々はどうやって練習しますか?攻者は誰かにお任せして自分は守者だけを務めて延々と練習するんですか?よしんばずっと文句を垂れずに攻者を務めてくれる相手が見つかったとして,その相手がヘナチョコなえ攻撃しかしてこなかったら,できなかったらどうしますか?「もっとしっかり攻撃しろ!それじゃ練習にならん!!」こう言いませんか?というか言うべきでしょう。

 実は守主攻従の技術体系であり組手主体の練習体系を持つ少林寺拳法は,その体系ゆえに護身技術の到達レベルは攻者の攻撃レベルに左右されてしまうのです。例えば最近本山講習などでもやるローキック対策。これを練習する時にローキックの蹴り方をまったく知らない相手と組んで効果的な練習ができるでしょうか?同様に相手がハイキックを蹴ってきた場合,組んできた場合,タックルしてきた場合,寝技に持ち込んできた場合の練習をしたいと思ったとき,形だけ真似したような攻撃を相手にして本当に身に付く練習になりますか?最低限その技のやり方,使うべき状況,長所・短所をわきまえていて,それなりの威力を出せるぐらいに身につけた相手でなければ練習になりませんよね?そして攻者はすべての拳士が務めるものだということを考えれば,それでも攻撃技の練習は必要ないと言えますか?ぶっちゃけた言い方をすれば「貧弱攻撃に対しては妄想防御技術しか身に付かない。」
 守主攻従の技術を上達させるのに有効な練習をするためには,まずしっかりした攻撃技術を身につけないと練習にならないのではないでしょうか。まして少林寺拳法が想定している相手は"理論上は"同門(少林寺拳士)ではありえないのです(守主攻従同士では闘いにならないからね〜)。つまり他流・他格闘技もしくは喧嘩慣れした素人の技術に対して護身術を行使しなければならない以上,攻者はそれらの技術をも(ある程度は)研究・習得していかなければならないわけです。さらに言えば攻撃技術を身につけると言うことは技術の長所も欠点も身をもって知ることができるわけですから,その知識は己れが守者になって対処する時に非常に役に立つでしょう。

即ち
「攻者としての役目(守者に充分な練習をしてもらう)を全うするため」
(さまざまな攻撃技術に対処することで)攻撃技術自体を身を持って知るため」
この2点の理由から拳士は(他流・他格闘技も含めて)攻撃技術を十二分に研究・習得しなければならないのではないでしょうか。
 ただしこの「しっかりした攻撃技術を身につける」は単に「守者に対し強力な攻撃を仕掛ける」という意味ではないのでお間違えのないよう。「最初は弱めに,相手が上達してきたら徐々に強めに,相手のレベルに合わせて愛を持って,攻撃方法も威力もスピードも自由自在にコントロールする。」このような攻撃が出来るように訓練するということが肝要でしょう。これはなかなかにハイレベルなことです。しかし少林寺拳士はこれを身につけなければならないのです。だって出来なきゃ練習にならないんだもーん。


 さて……ここまでは「攻撃技術の習得は非常に重要だ!」と言う内容を述べてきたわけですが,最後にあえて問題点を挙げてみたいと思います。攻撃技術の問題というよりは練習する人間の意識の問題と言った方が正確かもしれません。ただこの部分を間違えると少林寺拳法を学ぶ者としてはお粗末と言われかねないほど大きな問題だと思っています。それは何か?
 攻撃技術の練習は得てして「ミイラ捕りがミイラになりやすい」ということなのです。つまり攻撃技を身につける過程で当初の目的(護身技術向上のための攻撃技習得)を忘れて「身につけた攻撃技術で相手をブッ倒してやる!」という意識になりやすいということです。先に述べたように,少林寺拳士が攻撃技術を習得する主要な目的をあくまで「攻者の役目を全うするため」「(護身技術向上のために)攻撃技術自体を身をもって知るため」であるとするならば,これを忘れてしまってはまさしく「本末転倒」ということになってしまうのです。しかしこれが結構陥りやすい罠なんですよね〜。目的と手段の取り違えですな。修行者・指導者ともこの点には十分注意して修行していかなければならないのではないでしょうか。



 以上「少林寺拳法における攻撃技術の重要性」について述べてきたわけですが,これは攻撃技術の方が防御技術よりも重要であるという話ではないので注意して下さい。「暴力的だ」「護身術ではない」「単に相手を倒す技術を学びたいなら他に行け」などなど,得てして少林寺拳法においては攻撃技術の練習というものが先手攻撃を助長する,「後先必勝」に反するものであるかのように忌避されがちですが,「守主攻従」の技術体系と「組手主体」の練習体系を持つ少林寺拳法を修行する上では(防御技術と同様に)欠かすことの出来ないものであると思うのです。攻防バランス良く修行し,真の守主攻従を目指して行きましょう。


護身技術の到達レベルは,攻者の攻撃レベルに依存する。
攻撃は凶々まがまがしく,そして猛々たけだけしく。

 
参考書籍 『北斗の拳 第19巻』(引用者615期生 一部編集)
執筆:ビスキュイ(2003/09/09)


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