法形とは何だろう
しかし武道の世界では別派旗揚げはよくあります。別派旗揚げの利点を一つだけ言うと、組織の新陳代謝の役割を果たすことがあります。大きくなりすぎた組織は重たいですからね。指導者への制限が多くなりますゆえ、別派が出来るのかなと考えてみたり。まぁ少林寺拳法の場合はたいてい、支部設立によってそういうのは適度に解消されています。支部によってかなり雰囲気が違うのはそのためでしょう。でもこんなに雰囲気が違う支部もまた共存しているというのが少林寺すごいところです。 よく「武道が目指すところは、流派を問わず同じだ」ということが言われます。その向かうべき手段が違うだけだという意味です。禿同。あまり少林寺を持ち上げると2ちゃんで煽られそうですが、それでも言いたい。少林寺はその一流派内にたくさんの手段を備えている流派だと私は信じている。だから少林寺の先生には、キックみたいな動きの先生や合気道のような柔法を使う先生があちこちで混在しているのだろうと私は解釈しています。
ビスキュイさんが、「少林寺は弱い強いというよりは、便利な技術という感じだ」というのはまさにその通り。「あいつの柔法はまるで合気道だ。あんなの少林寺じゃねぇ」なんて陰口叩く暇があったら練習しろ。要は投げれればいいんだよ。
護身術という観点から見ても、同門に様々な攻撃を行える者がいるてのは有利です。 また最近、「一つ一つ法形が出来るようになっていくのが楽しい、そして一つまた一つ出来るようになることが自信になる」、という話を聞きました。法形の多さは、問題集・例題の多さであり、たくさんの法形があるということは、目指すべき高みへの階段が沢山あるけど一段一段は低い。そういった教育的配慮にも感じてしまいます。 少林寺拳法はその目的に向かって、よく作られているなぁと感心する日々です。 |