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ある日、掲示板にこんな書き込みが。

3285 名前: とけいや 投稿日: 2004/05/05(水) 23:58
     私も学生の時、先輩から「後輩には絶対負けるな!」と教えられました。
     乱捕りでも技でもそして日常の立ち振る舞いでも。
     後輩にとっては迷惑だったかも知れませんが学年が上るほど、後輩の「目」は自分を律するいい修行でした。

とても厳しい内容に見えますが、いかにも少林寺拳法らしい…。感動した!!
ので毎日反芻・思考していると私の中でこのように落ち着いてきました↓

  先輩は後輩に絶対に負けてはいけない。乱捕りでも技でも、ということはそれらを支える練習量も決して後輩に負けてはいられない。さらに平素の立ち振る舞いにおいても決して後輩に遅れをとってはいけない。
     「あの先輩は乱捕りは強いけど、技は下手だ。」
     「あの先輩は技はうまいけど、乱捕りは苦手だ。」
     「あの先輩は少林寺拳法はすごいけど、普段の生活は滅茶苦茶だ。」


  なるほどこんなことを後輩に陰口叩かれたくはない…あの先輩は少林寺拳法もできる、また普段でも頼りになると言われるようになりたいものだ。先輩は後輩に対して「拳禅一如」を示し「力愛不二」を体現しなければいけないようだ。


つまり↓
  • 後輩は常に先輩を注意深く視る。良質な先輩・粗悪な先輩を見極ろ!!
  • 先輩は、後輩に後指差されることのない、良い先輩だと言われるように努力を怠らない。怠けていると後輩はすぐに追い付き、追い越していく。後輩を侮ってはいけない。日々脚下照顧と漸々修学。
  立ち居振る舞いまでもが対象とするところに少林寺拳法らしさを感じる。いい先輩だな〜、後輩はこのような先輩を臨んでいるものだと思います。がんばらないと(TT)。
  ふー、少林寺拳法の道はなんと険しい、とこんな事を考えていると
ポァッ(~o~)赤の女王仮説を思い出した。


赤の女王仮説
  生物学の進化論に関する一つの仮説です。イギリスの生物学者Wiliam D. Hamiltonの「なぜ雄雌は存在するのか」という命題への仮説。仮説の名称は、L・キャロル著『鏡の国のアリス』の一節に由り、下の一句がキーワードです。
 It takes all the running you can do, to keep in the same place.
「その場に踏み止まるためには、力の限り走り続けなくてはならない。」

  その場に踏み止まるというのは少し違うかもしれませんが、ちょっと思い出しました。




【参考1】
3283 名前: 40過ぎ拳士 投稿日: 2004/05/05(水) 16:17 32733283
 武道とか武術とか格闘技とか、まあ呼び方は色々有りますが「立ち会ってみればわかる」というのがその良さだと、私は思っています。
 大学の拳法部というのは、まあものすごく封建的です。ですからやっぱり、大した実力も無いくせに後輩には威張りたがる、イヤな先輩もいるわけです。でも、空乱(極真ルール)・乱捕(グローブ)があるんですよー。
 どうしても頭にくる先輩に対しては、「○○打倒3ヶ月計画」を立てるわけです。毎日の練習が終わった後、頑張って自主トレ。ベンチプレス・スクワットをやって、やっぱり自主トレに残っている先輩に、空乱・乱捕の稽古をつけてもらって…それで3ヶ月ぐらい経った頃、練習の空乱・乱捕のときに、頭にきてた先輩に「お願いしまーーーす」と、思いっきりかかっていくわけです。空乱にしても乱捕にしてもフルコンタクトです。先輩は「なかなか、いい突だ」「うーん、いい蹴だ」としか言えません。ほっほっほ。ボコボコにして差し上げたことも、ボコボコに返り討ちされたことも、ありました。
 ちなみに、毎日の練習が終わった後、自主トレをやっているような先輩は、変に威張ったりしませんね。だって、自分が強くなることに夢中で、そんな暇ないわけです。そういう先輩方は、「空乱(乱捕)付き合って戴けますか?」とお願いすると、本当に親身になって相手して下さるんですね、これが。そして、そのあとも「ああでもない、こうでもない」と話が尽きない。そういうの、本当に楽しかったですねぇ…
 そんなんでしたから、1年生の間はただ練習についていくだけでしたが2年生になって自分に後輩が出来ると、後輩にボコられる危機感に駆られるようになり、3年生になるとますます… でした。
 ですから、学年が上がるほど頑張るようになる訳です。こういうのって、健全だと思いませんか?

【参考2】
  先日とある武板のオフ会に行ってきた。そこである他流の人にその流派の先輩のことを聞いた。「世界大会前でホテルに後輩がスーツで集まって整列して待っていたら、その先輩はジャージで現れて『うぃーす』て言った。」みたいな内容だった。いくら世界大会に出るくらい強くてもあの社会性の無さにはまいったと話していた。
  そういえば少林寺拳法では服装については開祖もよく話していた気がする。社会人としては恥ずかしくない服装や挨拶を心がけるようにと。さらに思い出して、東京では武専に来る時はスーツ推奨・サンダルは禁止、だった気がする。

【参考3】
  さらに思い出して、開祖の話。詳しく忘れましたが、何かの集まりに開祖が来ていて拳士が挨拶に行くと、開祖は座りながらうんうんと話を聞いている。ある拳士が自分の妻を紹介すると開祖は立ち上がって挨拶をしたという。拳士は門下生だが、拳士の妻は門下生ではないから、ということらしいです。

【参考4】

赤の女王仮説[英Red Queen hypothesis]
  ある生物種をとりまく生物的環境は,その環境の構成に加わる他種の進化的変化などによって平均的にたえず悪化しており,したがってその種も持続的に進化していなければ絶滅に至るという仮説.ある生物群を構成する分類群は,その分類群の出現後,一定の確率で絶滅しているとする絶滅率一定の法則(law of constant extinction)を説明する一つの仮説として,L.Van Valen(1973)が提唱.L.Carrollの童話‘鏡の国のアリス’に登場する赤の女王の‘同じ場所に留まるためには,力の限り走らねばならぬ’という言葉にちなむ.
  分類群の絶滅様式の事実をめぐる論争のひきがねとなった.また仮に絶滅率一定の法則が経験則として成立しても,この仮説を検証することは難しいため,この仮説で生物の絶滅様式が説明されるかどうかは,不確定である.しかし,物理的な環境の変化がなくとも,多種系では生物間の相互作用を通じて持続的に進化が起こるという主張は,漸進論的な生物進化観の内容とされるものであり,その意味でこの仮説は現在でも注目されている.
  これに対し,生物進化には物理的環境の変化が先行しており,環境が安定ならばやがて進化は停止するという対立仮説を,定常モデル(stationary model)とよぶ.また,最近では,無性生殖に比べ2倍のコストをもつにもかかわらず性が維持されるのは,有性生殖を通じてたえず新しい遺伝子型がもたらされる点が,一般に宿主よりも進化速度の速い寄生者などに対抗するうえで有利なためであるとする仮説を,赤の女王仮説とよぶことも多い(→有性生殖).『岩波書店 生物学辞典第四版』より


【参考5】
プロジェクト杉田玄白http://www.genpaku.org/
●『鏡国のアリス』http://cruel.org/sugita/alice02/alice02j.pdf
俺一生
少林寺拳法が弱いと言われるのは仕方ない

 もっと参考したいこともあるのですが、本編より長くなってしまっているのでここで止めておこう。。。
 なにかこういった類の経験やお話をお持ちでしたら、掲示板にでも書いてください。ここに載せます。

Now, here, you see, it takes all the running you can do, to keep in the same place. If you want to get somewhere else, you must run at least twice as fast as that!
「いいかい、その場に踏み止まるためには、力の限り走り続けなくてはならないだよ。」
「もし次のところへ行きたいのなら、その2倍の速さで走らなくてはならないのだ。」

こんな文章を書いていると話すとまこっちが→『明日のために戦うのなら今がその時だ!』 ゲッターロボらしいです。(^_^;
「停滞は後退なり」
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