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 興味ない人にはどうでもいいんですけど、いやむしろオタ臭くてキモイという声はごもっとも。見なかったことにしたいと言うお言葉もごもっともでございますが、気に入った法器が無いならば自分で作っちゃうという人もいるのです。また買うときにもいろいろこだわりがあるから何でもいいわけではないのです。儀式に使われることも多かった法器にはそれなりの意味や格式がありますゆえ。ただ形が似てるではなく、ひとつひとつの造形に拘りたい、そんな人が少林寺拳法界にはきっと他にもいると思うので、見つけたものをスクラップしていく。もちろん私のために。

 法器に興味を持ち出したら、拳士としては後戻りできないだめっぷりです。法器探すより、練習しろよと。

金剛鈷 参考になるので、、鈷鈴も
教範によると、、、
・五寸を定寸とし鉄製を原則とする。
・防具をつけたるも者に対して拳の変わりに攻撃に用いる。

 金剛杵は本来古代インドの武器で、密教では煩悩を打ち砕く意味で用いられる。杵形の把(つか)の両端に鈷を付け、鈷が一本のものを独鈷杵(とっこしょ)、三本を三鈷杵(さんこしょ)、五本を五鈷杵(ごこしょ)と呼ぶ。また、鈷のかわりに宝珠や塔を表した宝珠杵、塔杵もあり、これに独・三・五の三杵を加えて五種杵という。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他)
 密教法只は古くは奈良時代に雑密と共に一部が我国にも伝わったが、平安時代に入ると伝教大師や弘法大師をはじめとする入唐八家によって、現在でも密教寺院で見受けられるような密教法具が請来された。この密教法具とはインドの生活用具に祖形をもつとされるもので、例えば身を守るための武器や楽器類であった。そしてそれらを用いることにより人々の煩悩を打ち砕いたり、音により仏を歓喜賛嘆させ、人々の仏性を呼び起こすために用いられた。これらの法具類は、仏の三昧耶形(仏の本誓)を示す法具として修法壇の上に秩序よくおかれ曼荼羅世界を形成し、いずれの法具にも把部には蓮弁で飾った、蓮弁帯を有する。(『密教の花』 高野山霊宝館)


密教法具 金銅独鈷杵 重文 高野山 金剛峰寺 鎌倉時代(十三世紀) 総長17.2
鈷部が太めで、鬼目が横長の独鈷杵。把部は、中央の鬼目部の左右に蓮葩をつける。横長で小さな鬼目は出が強く、重瞼につくる。蓮葩は、単弁八葉(間弁付)、各弁の弁央に鏑を弱くつける。断面は円形で、中央を太めの二条突線で約す。蓮肉の周縁に、刻線で蘂を表わす。小振りではあるが、全体に重厚感にあふれる。細部までよく整った力強い彫技は鎌倉時代の典型的な作風をしめすが、その中で鈷部に匙面をごくわずかにつけている点は古様である。総体一鋳製で、地金は黒褐色を呈する。鍍金がよく残り、把部、鈷部の基部に漆状の塗膜が付着している。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.279)
 
金銅三鈷杵 伝弘法大師所持 重文 高野山 金剛峰寺 総長23.6 平安時代
 空海が大同元年(八〇六)に唐の明州で、帰国するにおよんで密教伝法の中心、大塔の建立地を選ぶべく、竜猛から恵果までの真言七祖に相伝された三鈷杵を空中に投じたところ、遠く飛行して高野山に至り松(以後三鈷松という)に懸かった、という伝承をもち、高野山で飛行三鈷杵と称され最も大切に奉安されてきたのが本品である。空海はこれを真然に授け、中院別当空観、雅真を経て仁海(九五四-一〇四六)に至り、以後御影堂に承安されたという。本品は、そのいわれにふさわしく、張り強く逆刺を表わした脇鈷と匙面をとる中鈷、そして先を鋭く尖らせて弁
央を鎬立たせた把の蓮葩など、すこぶる古様の造詣を見せる。また何よりもも、把中央の鬼目か丸く大きく飛び出る姿は、空海請来とみなされる東寺伝来の密教法具中にある五鈷鈴の鬼目に通じるもので、「弘法大師請来目録』に記される「五宝三味耶杵」はまさにこのようなかたちであったと思われる。ただ鈷先がやや膨らみをもち、蓮葩を約す二条突帯部が,断面円形を呈すること、蓮葩に比して鬼目と約条の彫り込みの鋭さに欠ける点など、本品が空海請来三鈷杵を忠実に写した品である可能性も否定はできない。ちなみに飛行三鈷杵は、寛治二年(一〇八八)白河上皇が高野山行幸の際に持ち帰り、嵯峨二尊院の湛空に伝えられたが、瑞夢により建長五年(一二五三)に高野山に戻されたという。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.260)


密教法具 金銅独鈷杵 重文 高野山 金剛峯寺 唐時代または平安時代 総長25.4
鈷部が鋭利な四角錐形を呈した大振りな独鈷杵。
把部は、中央の鬼目部の左右に蓮葩をつける。鬼目は横長で大きく、重瞼につくる。蓮葩は素弁八葉(間弁付)で、各弁の弁央を鎬立てる。把部は断面が八角形を呈し、中程を二条突線で約す..蓮肉の周縁に、刻線と魚々子(ななこ)で蘂を表わしている。鈷部には匙面をとらず、基部に段差をつける。総体一鋳製で、地金は黒褐色を呈する。いっぽうの鈷先がわずかに曲がり、鋳造時の鬆が認められる。弘法大師訪来の伝えがしめすように、本品の表現はわが国の独鈷杵の遺例の中でも特に出様をしめしている。製作地に関しては唐町代の中国製か、わが国での製作かは、今後に検討の余地を残すが、いずれにしてもわが国初期密教法具を代表する優品であることに変わりはない。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.278)
 
密教法具 金銅三鈷杵 重文 高野山 金剛峰寺 平安時代(十一世紀) 総長23.9
 鬼目部が強く膨らんだ大振りな独鈷杵。把部は、鬼目部の左右に蓮葩をつける。鬼目はやや横長で、重瞼につくる。蓮葩は素弁八葉(間弁付)で、各弁の弁央に鎬をつける。把部は断面が八角形で、中央を三条の突線で約す。蓮肉周縁に、蘂を小刻みで表わす。鈷部は、中鈷が脇鈷よりも長く、匙面をつけず、基部に段差を設ける。脇鈷には嘴を設けず、基部にくびれをつける。表裏に刻線で縁取りをつける。総体一鋳製で、地金は黒褐色を呈している。.把の一部に鋳造時の湯切れがあり、その内部に中型土が見えることから、把部は包み中型の構造になっていることがわかる。把部が全体に手ずれで磨耗して、鍍金がほとんどとれてしまい、把部の一部には緑青銹が付着している。弘法大師請来型として後世まで継承して製作される形式の三鈷杵で、次項の金剛峯寺所蔵品のほか、仁和手や観智院などにもこの形式を模した作例が伝えられている。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.278)
 
密教法具 金銅三鈷杵 重文 高野山 金剛峰寺 平安時代(十二世紀)総長24.4
 前項の三鈷杵に倣って製作したとみなされる作例。鬼目の出が弱く、蓮葩の弁長が短めで、弁先が丸く、鏑がゆるやかであるなどの全体に穏やかで整った表現は、前項のような弘法大師、請来型の形制を踏襲して製作されたと考えられる。総体一鋳製で、地金は黒褐色を呈す。把部や一方の鈷部の中鈷などに鋳造時に生じた鬆が多数見られる。前項の三鈷杵に比べて、手ずれによる磨耗は弱い。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.278)
 
密教法具 金銅五鈷杵 重文 高野山 金剛峰寺 平安時代(十二世紀)
 鬼目が切子形を呈し、脇鈷に金剛牙をつけた弘法大師請来型の五鈷杵。把部は、中央の鬼目部の左右に連葩をつける。鬼目部は、二つの截頭八角錐を合わせた形で、各面に円形の鬼目を陰刻線で表わす。蓮葩は素弁の八葉達弁(間弁付)で、弁央に鎬をつけ、弁単を尖らせる。断面は八角形を呈し、中程を三条突線で約し、鈷側を強く開かせる。蓮肉の周縁に刻線と魚々子で蘂を表わす。鈷部は、中鈷が脇鈷よりわずかに長く、断面八角形で、わずかに匙面をとり、基部に三条突線をめぐらす。脇鈷は基部にくびれをつけ、外側に半月形の金剛牙を三ヶ所に付け、鈷の輪郭を刻線で縁取る。総体一鋳製で、地金は黒褐色を呈す。把部が手ずれで磨耗し、鈷部の所々には緑青鋳が付着している。大師請来方の五鈷杵は東寺蔵大師請来密教法具中の作例が著名である。それに比して切子形の猪目形が円形になり、脇鈷の雲形が半月形の金剛牙になるなどの相違点があるとはいえ、前者に劣らないすぐれた作域をしめしている。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.278)
 
密教法具 金銅五鈷鈴 重文 高野山 金剛峰寺 平安時代(十二世紀) 総高 右23.8 左23.7
※ここでは、右が(1)、左が(2)
(1)は鈴身に紐帯をつけ、中鈷が八角錐形を呈する大師請来型の五鈷鈴。把部は、中央の鬼目部の上下に蓮派をつける。鬼目部には、縦長、重瞼の鬼目を四個表わす。各鬼目の瞳が円形で突出する。蓮派は、単弁の八葉連華(間弁付)で、弁端を尖らせて、弁央にわずかに鎬をつける。中ほどを三条突線で約し、蓮肉の周縁に刻線と魚々子で蘂を表わす。鈷部の中鈷は脇鈷よりも長く、匙面を設けず、基部に二条突線をめぐらす。断面八角形。脇鈷は、基部にくびれをつけ、輪郭を刻線で縁取る。鈴身は、肩がやや張り、わずかに外開きの形で、側面に二条一組の突線を三段めぐらす。口縁外側に一条の突線をめぐらす。総体に一鋳製で、地金は黄色がかった灰褐色を呈する。鈴身内側面は、鋳造後に丁寧な轆轤削りを施し、箔鍍金らしき痕跡も認められる。
(2)は、品質・形状とも(1)に準ずるが、把部の磨耗がより顕著で、鬆の痕跡が多数認められる。

(1)(2)とも弘法大師請来の東寺所蔵五鈷鈴の形制に倣って、わが国で製作された遺品である。唐時代の豪放な気宇を感じさせる東寺所蔵品と比べると鈴身の丈が低く、鬼目が縦長になるなど穏やかになっており、この点、和様化ともみなされる。この種の請来型、五鈷鈴は、後世、真言宗寺院を中心に数多く製作されたが、中でもこの二例は最古の例である。把部の鬼目から上方にかけて見られる手ずれによる磨耗は、永年にわたって使用されたことを物語っている。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.278)



金銅三鈷杵 伝覚鑁所持 高野山 宝寿院 平安時代(十一世紀) 総長20.9 重文
 把は丸く大きく、中央に二段に盛り上げた鬼目を大きく作りだし、その上は間弁付きの八葉単弁の蓮弁を巡らして三条の紐帯で約している。中鈷は基部に大きな括りをつけ、節を作って、そこから先端へと鋭く尖らせ、脇鈷も同様に鋭いが、鈷の張りはあまり目立たず、縁に樋を通している。高野山の高僧で、後世新義真言宗の派祖と称せられた覚鑁(一〇九五-一一四三)の所用と伝える。大きな鬼目、簡素な蓮弁、先鋭感のある鈷など平安時代後期の金剛杵の特徴を余すところなく示している。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.287)
 
金銅三鈷杵 高野山 金剛峰寺 全長16.6 唐または平安時代(九世紀)
 鈷先が鋭く尖り、中央の鈷の側面に匙面をとる。また脇鈷も外側の基部近くを深く抉って逆刺状とし、内側にも鎬を立てるなど、古代インドの武器に淵源をもつ金剛杵独特の鋭さを随所に見ることができる。また把中央の鬼目部分は大きく膨らみ、四方に花形八弁の鬼目を表わす。把の蓮葩はやわらかく鎬を立てた素弁八弁で、小さく問弁を表わし、これらを二条線で束ねている。把と三鈷の境に蓮肉をも表わす。以上の特徴は、日本に伝来する三鈷杵のうちでもきわめて古様を示している。とりわけ、二条線の表面に打たれる複連点文と呼ぶ特殊鏨は重要である。これは空海請来の東寺蔵金銅密教法具をはじめ、同じく東寺蔵の金銅羯磨などの舶載と目される法具類、さらに遡って、法隆寺献納宝物中の金銅仏や、古墳出土の刀装具など渡来系工人の手になる金工品に時おり見られる。したがって本品は、全体の造形性も合わせ、庸からの舶載仏具という可能性を積極的に考えるべきであろう。
独鈷杵 銅製 鋳造 鍍金 鬼目式 長21.1 平安時代 12世紀 奈良国立博物館蔵
 この独鈷杵は把に比して鈷部が大振りで、鬼目(きもく)が大きく、蓮把を三紐の約条で締める。蓮弁の反りが強く、鈷の匙面も深い。平安後期の添景を示す作例と考えられ、細部の作技も精緻で鍍金がよく残っている。
 
  
三井寺

鎌倉時代
羯磨
三井寺 鎌倉時代

ヤフオクに出品されてました。35000円でも最低落札価格にかからず。多分五万円以上が設定されていたと思います。
雰囲気もスタイルもとてもいいけど、彫りが甘いのが残念。でも欲しかった。





ヤフオクにて。35000円スタートだた。木製。






ヤフオクです





ヤフオク





ヤフオク
金剛力士像が持ってるのにはこういう形のあるよね。



ヤフオク



ヤフオク。実態は分かりませんが、独鈷として出品されていました。





不動明王が右手に持ってる羂索けんさくてアイテムです。片割れが独古の片割れですので載せときます。
写真はどっかのサイトで売っていたものです。

三井寺 滋賀
胎蔵図像(一部)
禅覚書写 二巻 鎌倉時代1194年 奈良国立博物館
三井寺 滋賀
護摩壇様 三十七尊三摩耶形(一部) 一巻 鎌倉時代
吉野曼荼羅図
京都 三室戸寺 室町時代
上野の国立博物館で。
場所が場所だけにきっと上物ですよ、キャプテン。
京都 河原町三条あたりの仏具屋さんで。
もちろん売り物です。

金銅三鈷杵 銅製 鋳造 鍍金 長17.3 把長6.1 脇鈷巾5.3平安時代 12世紀 奈良国立博物館蔵
 鈷(こ)部、把(つか)ともに厚みのある、重量感に富んだ金銅三鈷杵(こんどうさんこしょ)。把中央の鬼目(きもく)は二重の輪郭を持ち、大きく、高く突出している。蓮弁帯は間弁付きの八葉素弁で、3本の素文紐で約されている。弁先には丸みがあり、弁の中央縦に緩く稜線を表している。蓮弁の外側にはしべにあたる部分に一段を作っているが、しべの筋や連珠は表していない。脇鈷(わきこ)はきれいな弧を描いて曲がり、強い張りを見せている。脇鈷の根元近くに嘴形(くちばしがた)を作り、その先端に鳥の嘴を連想させる2個の窪みを作っている。脇鈷の稜線から中鈷の根元にかけ、やや幅の広い樋(ひ)を通している。中鈷は各面に僅かな反り(匙面(さじめん))を作っている。脇鈷、中鈷とも先端部を鋭利に作っており、金剛杵(こんごうしょ)が本来持つ武器性を感じさせる。また、脇鈷外側の嘴形より先の部分は刃状を呈しているが、これも銛(もり)を思わせる奈良時代の古式三鈷杵にも通じる造形である。本品は川端康成旧蔵で、平安時代後期の三鈷杵の名品として知られている。
銅三鈷杵 銅製 総長23.2 把長7.8 奈良時代 8世紀 奈良国立博物館蔵
 日本に密教(純密)がもたらされたのは平安初期に渡唐した空海らによるが、すでに奈良時代の仏教に密教の影響は部分的に見ることができ、この時代の密教は純密に対し雑密(ぞうみつ)と呼ばれる。本品はいわゆる古式三鈷杵のひとつで、雑密時代の遺品。空海以後の金剛杵とは異なり、銛のような鋭利さをそなえており、その点、古代インドの武器に起源を有する金剛杵のオリジナルな姿を伝えている。把(つか)は中心より外側が細く、断面は扁平な六角形を呈し、中央に三線一組の紐帯を巻く。
三鈷のうち中鈷は把の基部よりいったん外に開く萼状の突起をつくり、さらに逆刺(さかし)のある三角形の鋒をつけ、刃面を面取りして鋭利さを加える。脇鈷も基部にやや太く整えた一段を設け、刃面に面取りをほどこした三日月形の鋒をつける。類例には正倉院宝物の鉄三鈷杵と白銅三鈷杵、福島・恵日寺(えにちじ)の銅三鈷杵、日光・男体山出土の銅三鈷杵などがあるが、本品は正倉院鉄三鈷杵にもっとも近く、恵日寺や男体山の作品よりも先行する要素を残している。(奈良国立博物館)

(参考)
上のシンプル三鈷杵は八大童子の何人かが持ってます。八大同時の数名は普通の独鈷を持っている者もいます。

(例)八大童子立像 恵光童子 国宝 高野山

教範には、正倉院の金剛杵は鋭利で武器の面影を残している。と書いてます。きっとこのタイプのことですね。

(左)重要文化財
金銅三鈷鈴(五種鈴のうち) 銅製 鍍金 総高17.2 平安時代〜鎌倉時代 12世紀 奈良国立博物館蔵

(右)重要文化財
金銅独鈷鈴(五種鈴のうち)銅製 鍍金 総高17.4 平安時代〜鎌倉時代 12世紀 奈良国立博物館蔵

五種鈴とは、独鈷鈴・三鈷鈴・五鈷鈴・塔鈴・宝珠鈴の五種を一組とするもので、大日如来をはじめとする金剛界五智如来を象徴している。密教修法を行う大壇の中心に塔鈴を置き、四辺の中央に残りの四口を配置する
銅五大明王五鈷鈴 銅製 鋳造 総高24.5 鈴身高9.6 口径7.2 朝鮮半島・高麗時代 10〜14世紀 奈良国立博物館蔵

 鈴身(れいしん)に五大明王像(ごだいみょうおうぞう)を浮彫状に表した大ぶりの銅五鈷鈴(どうごこれい)。鈴身の口縁は五弁の花形を呈しており、身側面も縁の形に対応して五つの隆起を作っている。この隆起上に各一尊の明王像が表されているが、構成は不動明王(ふどうみょうおう)を起点に右回りに烏枢沙摩(うすさま)、降三世(ごうざんぜ)、軍荼利(ぐんだり)、大威徳(だいいとく)となっている。鈴身の肩に十弁の蓮弁を三段重ねている。把は中央に縦長の鬼目(きもく)を7箇表し、上下に子持ち紐帯(ちゅうたい)で約した蓮弁帯を作っている。鈷部は脇鈷(わきこ)が獅噛(しがみ)を有し、大きな逆刺(さかし)を見せる忿怒形(ふんぬぎょう)で、中鈷(ちゅうこ)、脇鈷とも各面の両側に樋(ひ)を陰刻している。鈷の表現は中国・唐時代や韓国・高麗時代の法具に類例が認められるが、このような大ぶりの法具は高麗時代のものにしばしば見ることができることから、ここでは高麗時代と推定した。
銅梵釈四天王五鈷鈴 高21.1 径5.8 宋時代(十一世紀) 奈良国立博物館蔵
 把を五鈷形に作る鈴。口を六花形に作る鈴身には、対角の位置に梵天と帝釈、その間に四天王を二体ずつ高肉に鋳出する。このような仏像鈴は日本では作られず、中国の唐から宋・元時代にかけて製作されたものがわずかに舶載され、密教寺院に伝来している。本品は、青銅の地金が強い黄味を帯び、鬼目や蓮葩の表現がおとなしいことから推して、宋代ごろのものと思われるが、脇鈷の逆刺や括れは、密教法具の原型である古代インドの武器の雰囲気をいまだよく残している。
密教法具 金銅四天王独鈷鈴 重文 高野山 金剛峯寺 唐時代
 杵部は蓮葩(れんぱ)を二段に重ね、その上に独鈷をのせる。下方の蓮葩は、中ほど鬼目と縦帯七個ずつを交互に表す装飾帯で約す。叢書帯の下方に八葉、上方に七葉の単弁蓮弁(間弁付)を表す。上方の蓮葩は、撚紐状の子持ち三条線による装飾帯で約し、その上下の蓮葩の間に鬼目部を表す。独鈷の基部の四方には、獅噛をつけ、独鈷各面に太く縁取りを入れ、中程に段を付けている。(『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.277)
羯磨かつま 奈良国立博物館蔵
 羯磨は輪宝と同じく古代インドの投擲用武器を起源とする。十字金剛とも言われるように三鈷杵を十字に組み合わせた形で、修法では大壇の四隅に置き修法作業の成就をはかる。本品は中心の半球形のまわりに間弁付きの重弁八葉としべを巡らし、この四方から鈷根を一条の紐で約した蓮弁帯で飾った三鈷形を出す。中鈷は断面が菱形で各面に匙面をとらず、脇鈷は断面が菱形であるが心持ち匙面をとり、下部に嘴形を作る。総体薄手で鈷部も細みに作っており、おだやかな作風を見せる優品である。
銅九鈷杵 黄銅製 総長26.7 元時代(13-14世紀) 誓願寺
 密教法具の一つ、金剛杵。原意は雷電で、堅固なもの、力強いものを表す。杵の先端を鈷と呼ぶが、この杵は九つあり、それぞれが龍頭と鳳首を象っている。九鈷の先端には蓮台に載った宝珠があり、九鈷の内部には尊像が鎮座する。柄にはそれぞれ四面の鬼面が付されている。元来古代インドの神が持つ武器で、煩悩を打ち砕く菩提心の象徴として法具や諸尊の持物に用いられた。(『栄西と中世博多展』p.165)


まぁだいたいサイズは25-30cmまでみたいですね。

 
 一番上は、静岡県伊豆の修善寺で売ってる物。
 下のは頂き物。硬くはないので演武等には使えません。

 
 上は安かったので何となく買ったもの。400円くらいだた。
 下のはも安かった。これくらいの物なら、そこらのアジア小物の店でよく見かける。三鈷は胴紐に通すしか使いが思いつかないので、もうこれで十分。独古はもう少し探す。

 
 
 上の写真はは自作の独古入れ袋。構造は刀袋と同じ。家にあった端布を使用。ちょうど卍柄だったのでちょうどいいや。下の写真は袋の中身。頂き物。卍の刻印がある。

「五百羅漢」展より
こうやって使うのか知らん。



如意棒
教範には、、、
  • 鉄又は硬い木や竹の根等でつくった変形の短棒
  • 一尺から三尺くらい
  • うちでは、尺八寸が定寸だけど、人により多少の長短あり

>如意は説法、講讃、法会などで講師が手にして威儀をただすのに用いる儀式用具。本品は銅板製鍛造で、金銀の鍍金をほどこした如意。(奈良国立博物館サイトより)
鈴木法衣店で販売されているもの。

紐は真ん中で結び、房紐を揚巻で用いるのは共通ですね。これがスタンダードかなと思います。まさに孫の手。
鈴木法衣店さんではこのデザインも取り扱っているようです。このデザインもよく見ます。以下参照。でもこれは振り回せないので、我々的には用いれませんね。
宝相華文如意 銅製 板金 鍍金 鍍銀 宝相華文 線刻(蹴彫) 木製 黒漆塗 (柄) 長63.5 雲頭幅26.9 平安時代 12世紀 奈良国立博物館蔵
 如意は説法、講讃、法会などで講師が手にして威儀をただすのに用いる儀式用具。本品は銅板製鍛造で、金銀の鍍金をほどこした如意。雲形の頭部は左右に広く、中央に稜先をつくり、その左右に大小の円弧を表して弧端を渦巻き状に刳り込んでいる。雲脚は裏面に彎曲して細くなり、出八双猪目透かしの金具を装して木製黒漆塗りの柄に鋲留めしている。文様は雲頭のまわりに羽状文を並列し、中央に宝相華を咋えた鳳凰を対向させ、宝相華文はほぼ左右対称に拡がって雲頭全体を飾り、花間には3羽の小鳥と1羽の蝶が飛び交い、双鳳文の下には花葉を化生する山岳文を加える。雲脚にも宝相華文と双鳳文を表し、出八双金具は宝相華と鴛鴦を配する。文様はすべて繊細な毛彫りで、文様には鍍金、間地には鍍銀をほどこし金銀相映じて効果を見せている。
 
これは、京都大原の三千院にあった「如意」。あんまり参考になりませんな。これじゃ勿体無くて拳法に使えない。自分じゃ象嵌もできないし。
 
天台大師像 南北朝時代 愛媛 明石寺

このパタパタ如意。普賢菩薩が持っていることが多い、気がする。どっちにしろ見るのはこんな如意ばかりで我々が求めているようなものはまず見ない。ので、以後はこのタイプは基本的に掲載しないでおこう。


 もう関連だから貼っておこう。2011/5頃に江戸東京博物館で開催された「五百羅漢」展で幕末の仏画をたくさん見たわけですが、羅漢たちがたくさんの法器を担いでおりました。そノ中でパタパタ如意棒はいろんな使われ方してました。

以下の写真参照。ほんと用途は何でもいいんだなと。

ほとんどがこういうふうにゆるりと持っているのですが、以下のように描かれているものもありました。
殴ってますな。武器にも。
坐ってる時に、杖にしたり。
杖でござる。
合掌時はこんな具合か。
払子も同様に扱っているので、別に如意棒だけの使い方というか、単に手に持ってる物ものはこうしろてことなんかも。
地獄から人々を掬い上げる時にも。。下に錫杖で同じコトしてる図もありますがやる気のない助け方だこと。
お風呂の時は、こんな具合にかけておくと。傘と同じだな。
ありがたーい掛け軸の被覆をペラッとはぐのに使ってみたり。

ちなみに掛け軸の如来からはビームがでてますな。解説に「ビーム出てる」て書いてあるんです、まじで。
 そして我等が求める如意棒は、百幅のなかでたった二本。てか如意棒というか単なる棍棒ですな。。

八大童子 制多迦童子 国宝 高野山 金剛峰寺

 この利発そうな童子が右手持ってる棒、、、如意棒とは言わず金剛棒というやつらしい。別名は金剛杖というみたいだから、これは遠からず。まま単なる棒だし用途はそう変わるまい。

 ほぼ直線的な棒ですね。前腕よりもニ倍以上長く、紐はなし。
大分 真木大堂
制多迦童子130.2cm
平安時代末期〜鎌倉時代初期(12世紀後半) 重文

これも金剛杖。棒ですな。。。


ぐわっ、信心を凝らしてみても!! ただの棒だ…
興福寺の十二神将 国宝
鎌倉時代(13c)
安底羅大将
招杜羅大将

いちよなんか棒みたいの持ってます。けどもこれを如意棒と書いてるところもありましたけど、二人とも剣を持つとの記述もあり。
 何でもいいのかしらん…

参考にならん。
多聞天 奈良国立博物館 (国宝)

これは宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)てもんらしい。別名「金剛棒」。ちょっと違う? でも用途は近いだろう。

いちよ棒なので取り上げましたが、今後は宝棒・金剛棒は割愛します。

※天然木のぐにゃぐにゃな如意棒が今んとこ全く見つかりません。



錫杖・金剛杖
教範では、、、
  • 槍に似た頭部に金輪をはめ、石突を付ける。
  • 長さは伸長と同じくらいが正式。
  • 金剛杖は四尺くらいで八角が原則。俗に言う半棒。

四尺で八角というたら、富士山登山とかで使う杖、まさにあれじゃないのか。



三井寺

下は石突。リング状なのね。
役行者前後鬼像
三井寺 室町時代
地蔵菩薩像 聖福寺 鎌倉時代(十三世紀)

延暦寺、つまり天台宗ですな。
お土産さ〜
京都醍醐寺で

杖として使ってました。
上野の国立博物館で撮影。
場所が場所だけにきっと上物ですよ、旦那。
ソースは忘れましたが、強そうな錫杖です。炎くらいでそうですね。
山陰 大山寺
尾道 西國寺
上田城跡 上田藩主 松平家小馬印
「僧侶・修験者の持つ杖である錫杖をかたどるとともに、馬の毛の束を飾りとしてつけている。」
京都清水寺
サワラしてくれる。てか置いてある。左は3mくらいあって重い。

デザインはシンプルですね。
右: 鉄錫杖 奈良時代後半から平安時代初期(推定) 富山県立山博物館所蔵 長さ13.4cm、輪経10.cm

明治40年7月、参謀本部陸地測量部員の故柴崎芳太郎氏らが剣岳頂上で発見されたもの。

ペンダントにもなってますw
 MOA美術館 所蔵品

>錫杖は、修行者が山野遊行の際に、地を突き、振り鳴らし、猛獣毒蛇などから身を守るために携行したもので、また、托鉢のときにはこれを鳴らして来意を告げるためにも用いられ、仏具として広く流布したものである。この錫、鉄を鍛造して形作ったもので、円錐形の主軸に、張りのあるハート形の輪を作り、下方で反転させて、その先を二つに分けて蕨手状とし、頂部を主軸の頂上と同様、捻りを加えてストゥーパ(塔)の九輪に形作っている。主軸は鉄板を巻いて鍛接したもので、目釘穴が下部にあり、下から長い柄を差し込むようになっている。形姿は単純だが、力強い造形性を示しており、形式・製作技術ともに古式にみえる。古式の鉄錫杖としては、正倉院蔵の錫杖をはじめ、勝道上人所用と伝えられる日光輪王寺蔵の錫杖、男体山より発見された錫杖などが知られる。これらと比較すると、形式や技法などは非常に近く、製作期は奈良時代と考えられる。
ポスター販売サイトの仏教カテゴリーにあった。

  http://www.allposters.co.jp/g…SearchID=
なんか五輪塔みたなデザインが多いですね。

 主に供養塔・墓塔として使われる仏塔の一種である。五輪卒塔婆、五輪解脱とも呼ばれる。 五輪塔の形はインドが発祥といわれ、本来舎利(遺骨)を入れる容器として使われていたといわれるが、日本では平安時代末期から供養塔、供養墓として多く使われるようになる。(wikiより)

「五百羅漢」展より
 錫杖はたぶん20-30本描かれておりましたが、デザインはすべて同じ五輪塔タイプ。しかし一本だけ、五鈷杵のごとく四方四本の錫杖が描かれておりました。実物てもこんなのは見たこと無いですが、こういうのに描かれているものだから当時はあったのかもしれません。

 それぞれに2環ずつ付いている模様。計八環だから八正道タイプてことかな? 誰か作ってくれ!!
中にはこんな具合に荷物をくくりつけて水の中を進んでいる図もありました。
こんな風に、地獄から人を掬い上げるのに使ったり、、、てやる気のない救い方だこと。
これがよく聞く使い方か。

行脚中に蛇や獣を追い払うため〜てのはこういうイメージなんでせう。






錫杖頭 銅製 鋳造 高27.9 平安時代 12世紀 奈良国立博物館蔵2
錫杖頭 香川善通寺 国宝 
唐時代 八世紀

>この錫杖は如来を中心に梵天・帝釈天や四天王像など、唐代の様式を示す仏像を配し、頂部には火焔宝珠を据えており、数ある錫杖の中でもきわだって華麗な造りです。空海が請来したと伝えられています。
千手観音菩薩立像 

興福寺食堂の本尊
上がプロトタイプ、森道基モデル
下がオザキ量産タイプ。

オザキのものは、森道基モデルを量産化したものです。
ステンレス製だから超〜丈夫。

詳しくはこちら 錫杖購入ガイド
 これらはバランスが違います。プロトタイプのほうが前側に重心があります。オザキタイプのほうがバランスがいい。個人的には振るときにちょうどいい慣性になるので、ちょっと寄ってるプロトタイプほうが好きです。





法輪 これもいちよ、教範に法器として載ってますよ。
昔の教範によると、、、
  • 武器の一種です。
だそうです…使い方は孔雀王でも参考にしてくらさい。たしかに初版教範には「法輪受」とかいう言葉がある。いちよいまでも仏具屋さんに行けば手に入ります。


金銅八角輪宝
 直径13.0 鎌倉時代(十三世紀) 金剛三昧院

 輪宝は梵語で斫訖羅(ちゃんくら)といいもともとインドの武器であった。『長阿含経』には転輪聖王の宝で、王が遠征するとき輪宝の転進するところにしたがって行くと諸国がみな帰伏したと説かれており、密教ではこれを仏法が俗悪の説を論破し、心中の煩悩を擢破することを象徴すると解し、修法のための用具となった。弘法大師も唐から帰朝する際には二口の輪宝を請来している。普通大壇の中央に一つだけ置かれる。輪宝の基本的な形は、●とよぶ車輪の外周に刃をつけたものと、●から独鈷杵の先端が突き出た二様があり、前者を八角輪宝、後者を八鋒輪宝と称している。本作は中央の般の蓮弁が単弁で大きいことや、輻(車軸にあたる独鈷杵形)が鋭さを残していることなどから、鎌倉時代初期の作と考えられる。八角輪宝としては最古の遺品である。●は車偏に罔、読みは「もう」 (『空海と高野山』 編集 京都国立博物館他 P.289)
「五百羅漢」展より

曇り乗ってます。まるでファンネルだな…。
「五百羅漢」展より

 手裏剣みたいに投げてますな。茶色の法衣の羅漢が両手にひとつずつ持って、下の鬼に投げてます。刺さってます。古代インドの投擲用武器が起源だから当然か。
 法器は拳士待望の投げ道具なのかっ!? でも勿体無くて投げられねぇ。執着が無いんだな、さすが羅漢だぜ。
業用虚空蔵菩薩坐像 京都神護寺(五大虚空蔵菩薩のうち)


手の上で立ってましたわ。


ちなみに以下三つが我らが教範で例示されているもの。
これは昔の月刊誌『あらはん』の1981/5号に掲載されたもの。
「義和門拳の文太宗老師から授けられた傳法允可之證念珠一連と如意一本」と注釈にある。これだな、上の写真の如意棒。

 まぁ特に変にクネクネしてなくても、こういうやつでいいのね。開祖の認識は。
古い教範の如意陣の構え写真を見ると、上の如意棒使ってますね。比較的まっすぐ、紐はポンポン。間違いない。
開祖の右手です。写真全体像はいちよ伏せときます。
ネットでもらったこの写真でもまっすぐかな。おんなじやつでしょう。
これ若いころの開祖ね。ほんとにただの棒だな。材質は何なんだろう。今でも大雁塔とかに飾ってそうよね。
カッパブックスの巻頭写真だとこんな感じのを使ってます。
ちなみにカッパブックスの初版は昭和38年。

『少林寺拳法奥義』にもおんなじ如意棒を使った写真があるが、構図的にちょっと見えにくいのでそちらは割愛。

そんでこんな写真もあってー

開祖が法衣の帯に三鈷杵指してるのよねー。意味はわからん。
あとどっかパソコンに埋れてしまったけど、開祖が独古を法衣の帯に指してる写真もある。なんかの雑誌にも載ってるはず。これは中央、結び目ではなくて正面左寄りに指してる。とりあえず自前の写真で。こんなかんじね←。

今となっては独古とかはこんな使い方しかありませんなぁ。独古拳て単演もありますけど、今更単演一つ増やしても、意味はないとはいいませんけど。







【参考関連】如意棒を利用した受け手の練習法


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