●ビビビッ 人間は様々な刺激を受けています。物理的なものであれば、光や音、機械的な接触、味や匂い、温度もそうでしょう。しかしここで一つ大切なことがあると思います。それは、「人は刺激を認識しているのではなく、刺激の変化を認識している」ということです(たぶん)。刺激を受けることと、刺激を認識することは別のことですよね? また変化があっても”緩やかな変化”は”急激な変化”よりも遥かに認識しずらいとのではないかなと。 物理的な〜と挙げた項目に当てはめてみますと〜
●拳法でも 上記当たり前の内容で恐縮ですが、この「変化を認識」というのを意識していると拳法でも私生活でも度々登場するんですよね、私は。(☆∀☆) 例えば、【柔法】で手を捕られた時、引いたり押したりせずに持ったままなら、感覚的には持たれたこと忘れませんか?w 視覚や体温の伝わりで持たれている事を確認出来ますが、それは別の入力ですし。グニグニと握られれば握られていることを再度機械的な接触で認識できます。また投げられる時やさしく崩されると咄嗟に足が出ないのは、ベクトル(向きと力量)の変化が緩やかだからではないでしょうか。またはずみの理も含めて柔法には、「刺激の変化」を逆用したものがたくさんある気がします。 【剛法】でもビクッ!!と動かれると何かしら反応してしまいますが、すぅーと間合いに入られるとまったく反応できなかったりするじゃーないか。遅いんだけど避けれない攻撃てありますよね。あれは変化に乏しいからでは無いかなと思うんです。 拳法をしていると、柔法で言えば昔は認識できなかったような微細な変化を感じ取れるようになったり、剛法で言えば昔は分からなかった相手の細かな動きが見えたりと、小さな変化も認識できるようになってきますよね。感覚が研ぎ澄まされてくるてやつですかね。 ほんと、人間の体というか意識はオカルトで、力を入れてるいう認識と実際に力が入ってるかどうかは別問題なんですよね。だから拳法は難しいけど面白い。 付け加えて言うと、「運動=変化」はもちろん誤りで、「加速=変化」なんだと思いますね。微分してゼロてのが私には何よりもつまらない、うーむ感覚的な表現で申し訳ない。負でもいいから変化が欲しい。極端な話、私なんかは等速直線運動している物体って見てるとボーとしてしまいます。 ●頭も魚も
●変数 人間が反応すること反応しないこと、これは「刺激の変化」に寄っているのであって、変化を調節すれば刺激を与えても認識できないということがあるだろうし、うまく変化を利用して人の注意を引くことも出来そうです。いつもこれをうまく出来ないかな〜と私は考えてるわけです。 だからこそ乱捕り稽古が必要だと思うのです。乱捕り稽古をしないといのは、なんというか、平面的というか、真っ白という、波穏やかな海というか、兎に角、私は自分の拳法に変数を放り込みたいし、新たな変数の存在に気がつきたい。それでその都度計算してどんな値が出るのかな〜て観たい。それの方が拳法も楽しそうでしょ? ( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`) おしまい 関連・参考 一句道え 一句道え02 諸法無我と自他共楽 天方と地位 ビビビッと書いたとき、思わず「ビビビッ、ビス○ュイ!!」と叫びかけた…大丈夫かオリ orz 本当はもっと動いてほしいのは、コリじゃなくてブラックゴーストだ!! 寝すぎ!!
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