88 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 01/09/15 01:08 ID:9KXmidek
>身体の自然な動き方?本当にそうでしょうか?
>私は疑問ですね。ならどうしてキックボクシングや空手が
>法形みたいな動きにならないのか?
>乱捕りのときに法形と違う動きになってしまうのか?

いろいろありますが、ひとつ例を挙げるとすればルールによって金的攻撃がないというのがあります。 金的OKなら蹴り技は極端に減り(あっても腰から下)ほとんどが手技になるでしょう。 また、蹴りの種類も回し蹴りなどはでなくなりほとんどが順蹴りになるでしょう。 つまり、ルールがあるかないかで、まったく動きは変わってしまいます。

始め極真ルールを手に練習し、その後基本力が身につくとともに少林寺的な複雑な技法の混ざった乱捕りに昇華させていくとよいと思います。最初から複雑なものをやるよりも長い目で見ると始めは極真ルールを採用した方が良いでしょうね。


312 名前: 不活 投稿日: 01/12/26 23:19 ID:tt0igN+6
(中略)
乱捕りに使う法形の話ですが、最初から使う気もなく乱捕りしている人は大抵使えなくなってしまいます。パワーとスピードと我慢の戦いになりがちです。
最初は無理にでも法形を使うようにするほうが後の上達が早いです。構えの意味や手足の位置も自ずと理にかなったものになります。


484 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 02/01/17 12:52 ID:AmnCKKmV
極真ルールは取り入れることにより乱捕りまたは武道的な基本要素を身につけることが出来ます。打たれ強さ、攻撃の力強さ、スピード等がこれにあたります。
これを経ずして技術に走って失敗している空手流派が多々あります。その団体のトップ選手にはもちろん該当しませんが、一般会員の場合ですね。大道塾は黄色帯までは極真ルールを採用して基本力を鍛えており、実際その後の伸びはとても素晴らしいものがあります。


696 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 02/02/12 00:58 ID:rCZgBO8R
競技乱捕りするならルールが必要です。 その
ルールによって技術が変わります
少林寺拳法はルールなしの護身の技術を標榜しているのだから、色んな場面を想定して初心者は限定乱捕りを多くするのがいいと思います。
  乱捕りはやりたいけれど、どうやったらいいか分からない人が多すぎ。やっぱりできる人を探して自分でやるしかないですね。 実力を試したければ、他流の大会に卍外してエントリーするしかないのかなと思います。


972 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 02/05/26 01:00 ID:1RCsnHqA
 武道には2つのタイプがあります。ひとつは「競技ルール」がその武道の特徴となっているタイプ。日本拳法、相撲、空手の一部などがそうでしょう。もうひとつは「技術体系」が特徴となっている場合。これは合気道、少林寺拳法、空手の一部などがそうでしょう。

 「技術体系」を特徴にしている武道では"競技"を実施することで特徴たる「技術体系」が競技ルールにマッチするように変化してゆくことがあり、また漸々修学の特徴を損なう可能性もあるため、それらを避けるために競技化に慎重となる傾向があるようです。
 なかには組手競技を導入しつつも「技術体系」が変わらないように競技ルールに工夫を施している武道もあります。例えば空手を母体にして生まれた"躰道"がそうでしょう。基本的な競技ルールはいわゆる寸止め空手ルールと同様ですが、運足や残心などに流派の特徴を表すことをポイントを得るための前提とし、独自性へのこだわりを持っています。

 また「競技ルール」がその武道の特徴となっていると考えられる"日本拳法"では競技ルール以外に"防具"も特徴ある動きを支えていることがわかります。直線基調の攻撃が中心となるのは、重量防具の影響が大きいからです(もちろん悪影響という意味ではありません)。
 このように「競技ルール」は各武道が生命線とする「独自の特徴」と密接な関係があり、安易に競技の導入、ルールの変更はできないものです。
 また「競技ルール」を特徴とする武道はあまりことさらに「護身術」をアピールしていませんが、一方「技術体系」を特徴としている武道は「護身術」であることをアピールすることが多いようです。

 これは「護身術とはルールなきもの」「わが武道はルールがない」「全てを想定している」といった説明ができるからなのでしょう。

 しかし競技だけではルールにない攻撃に対処する力がつかないとはいえ、競技をしないからルールに縛られずルールにない攻撃に対応しやすいというのは詭弁に聞こえるのは私だけでしょうか?


975 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 02/05/26 01:09 ID:1RCsnHqA
 相手の隙を見つけ出し攻撃する力、自ら隙をみせずに攻撃する力、これらは実際に相対し、どのようなルールであれ真剣な組手を試合形式でおこなうことでのみ身につくものです。 こうして得た対応力はその稽古をしていない者との差は歴然と現れます。

 以上のように我々は「護身武道」でも「試合形式の組手」が必要であると考えるのですが、もしその武道の「特徴維持に影響がある」からといって、そのことを心配して組手を行わなかったら「実戦を経験しないかぎり武の力はつかない」という、とても乱暴なお題目ばかりの護身武道になってしまうことでしょう。

 さて「可能な限り制約のないルール」を求めることが「ルールのない護身術」の習得にとってよい方法だといえるのでしょうか?

 結論から言えば「ルールとは体得すべき技術を身に付けるためにある」
手段なのであって、大いに制約的であって構わないと思います。大切なのはどのような技術を身に付けようとしているのか自覚して行うということです。そしてそれが本当に磨かれていくことです。

 例えば柔道に関して言えば実は極めて制約的なルールで、完全に守りに徹する戦いをしてはいけないというルールがあります。そのことが投げ技を伸ばすことに結びついています。また相撲は実はあの土俵の直径が微妙で、突進的な立会いしかできない(逃げるスペースがない)ようになっています。バーリトゥードでも寝技中心になるよう工夫されたルールと言えるのではないでしょうか?

「誰でも強くなれる空手」を考えると、会員にいきなりF1レースに参加させるのではなく、徐々に段階を踏ませてあげることが指導者の役割と考えます。

 〜続く〜


381 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 02/01/07 00:23 ID:BL7sWaFr
自由乱捕りもいいけど、少林寺の技術は、限定乱捕りのほうが身につくように思う。
限定乱捕りの試合ってのもルール考えるといいかもしれないと思う。


257 名前: タテケン 投稿日: 01/12/19 20:13 ID:GfMCRHWt
私は現在、日本拳法をやっているのですが、最初に防具をつけての組手をした時は、一本を取れずに苦労しました。日拳の殴り方、蹴り方ができるようになって、やっと一本を取ることができるようになりました。そして、組手で一本を取れるということは、基本でも突き蹴りが出来ていると言うことに気がついた次第です。
そのため日拳では、初段レベルでもグチャグチャとした試合は少なく、技の攻防がキチンと行われます。
これは、「有効な打撃しか一本と認めない」と言う日拳のルールにあると思います。つまり、技ありや有効と言うのが無く、一本しかポイントが無いことが、防具組手でも日拳の技術を磨くことにつながっているのではと勝手に考えている次第です。

私も昔、少林寺拳法を少々かじりました。 その時教わった先生が、元乱取り試合の猛者でした。鬼のように強かったですよ。私が弱かったのですが・・・。

やはり、乱取りは絶対に必要だと思うし、ルールさえキチンと決めれば少林寺拳法の技術向上につながる乱捕り試合が行われるのではと思います。乱取り競技が廃止された経緯は、私も当時の先生から聞きました。しかし、現在は防具も進歩しましたし、医学的な見地からの格闘技へのアドバイスもあります。安全性を確保した、乱取り競技が可能だと思います。
あれだけ顔面をど突き会うボクシングや、関節を取り合う修斗でも、安全管理をしっかりして、アマチュア競技を行っています。 少林寺でも充分可能でしょうし、少林寺の組織力なら問題無いと思います。

個人的に、少林寺の剛法、柔法がおり混ざった高段者同士の試合をぜひ見たいですよ。


322 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/01/22(月) 02:15
>>321
いや増えてきてるよ。ほんと。真剣に練習できないやつ。いいわけはおきまりの「強さを追い求めているんじゃない」。そういうやつらが演武を演舞にしてしまうんだ。


51:名無しさん一本勝ち 2006/10/21(土) 18:19:03  ID:U7mLfCi0
試合って何のこといってるかは知らんが、
そもそも試合って蹴っても殴っても安全なところしか殴らせてもらえないことない?ルール的に。
だから、筋力やスピード勝負になるんじゃ?

752 名前:名無しさん@一本勝ち[sage] 投稿日:2006/01/19(木) 22:28:35 ID:HFvIF2b50
嘉納治五郎の偉大さは、古流柔術の技術から危険な技を取り除き、練習生が全力で技を掛け合うことのできる体系として柔道を作り上げたことである。
このことが、 かえって柔道の実戦性を高め、 型稽古中心だった古流柔術諸派を、駆逐する原動力となった。

全力で乱取りに取り組める練習体系によって練られた技術、体力、精神力が、実戦格闘技としてのJujitsuを生み出すことになった。
このような意味のことを、グレーシー柔術の本で読んだことがある。

少林寺拳法にも同じことが言えるんじゃないかな。
つまり、全力で技を掛け合える仕組みが必要なんじゃないか?
安全性を保ちながら。


754 名前:名無しさん@一本勝ち[] 投稿日:2006/01/19(木) 23:05:38 ID:4+cRLd720
嘉納冶五郎はすごいね。型稽古中心だった柔術に乱取りを導入して、武を実戦から実戦でも応用のきく体育という時代のニーズに変換させ、組織の運営力とか先見性とか半端じゃない。剣術や空手やら他の武道への名称を含めての懐の広さもすごい。柔道の練習カリキュラムも明治時代からほぼ変更もなく、カリキュラムの完成度も高かい。柔道を組み技と捉えず、武道と捉え打撃の試合法やカリキュラムの研究にも熱心だったそう。
後、すごいのは柔道は完成されていない点。嘉納治五郎は死ぬまでカリキュラムや試合方法に試行錯誤して、いまだ柔道は完成したものではない点がすばらしいと思う。

じゃあ柔道行けってバカがいるだろう。でも総合格闘技が盛んでない時代から総合格闘技理念(Uオタクとも言うw)でやってたオレは柔道だけでは打撃が出来ない。少林寺だけでは組み技にもろいと思い相互補完する意味で両方やってる。他に行けってだけでは勉強不足認識不足になるし、向上心が少ないと思う。


755 名前:名無しさん@一本勝ち[] 投稿日:2006/01/19(木) 23:12:14 ID:L3uRLryy0
基本的に「他へ行け」は絶対にナシにしような、スレの趣旨からして。

>>752
最後3行特に同意!
手首系の柔法にあんまり執着すると全力度が下がるし、前足底の蹴りにも同様の事が言える(極真は随分前に前足底の回し蹴りを捨てた)。
ある程度のキックボクシング化は仕方ないと割り切った方がいいんじゃないかな?


756 名前:名無しさん@一本勝ち[] 投稿日:2006/01/19(木) 23:16:41 ID:lq44dbcd0
311 :多聞天:2006/01/18(水) 07:07:28 ID:xm+81DSu0
>>307・308
 建前的に『我が日本空手協会では投げ締め関節寝技もやります』とか言う先生はいるが、体系的に指導する 訳ではなく、
・・・・・・・・それだけで実際に使うには余程のセンスや実戦経験が無ければ無理と思う。しかし、柔道経験者なら解説を聞き、少し 対人練習をやれば出来る。
 私が協力指範をしている青少年会館武道場のクラブは畳敷きなので、私の一存で受身は 教える「こともある。」大抵、稽古体系の一環になっている訳ではなく、受身をやる「こともある」 位だろう。時間が限られているわけだし・・。でも、頭を打たない転び方、顎を引いて臍を見る事を教えてあるだけで、怪我防止になり指導者として安心感はある。
 沖縄時代は唐手以前に皆、子供の頃から沖縄相撲という取っ組み合いをやり、従って受身も 当たり前に出来たらしい。本土に初めて唐手を紹介した後の日本空手協会最高師範・船越義珍先 生に、嘉納治五郎先生が「講道館の打撃部門としてやらないか。」と言われたそうだが、感謝しつつも「空手は独立の日本武道として普及します。」と固辞したことで、敢えて柔道・組み技系との差別化を はかったため、武道・格闘技で大事な物が失われてしまったのかもしれない。今の時代を生きる我々は、自分で柔道・レスリング・相撲等を習って補うべきと思う。

#少林寺も他武道との差別化を図るため、初期著作では他武道をけなしたり開祖も「習うな」と言っていた時期もある。ただ、今は少林寺というジャンルが確立された、また他武道の進化も近代トレーニング論も発達していたり、開祖があまり重要視していなかった羅漢功などの気効等の見直しも進んでいる。これを進んで導入しないのはもったいない。
ただし、少林寺の教えは決して忘れてはいけないしきちんと心にとめておくべきだろう。そして、法形等少林寺の中核となる修行をおろそかにしてもいけない。
あくまで、少林寺の周辺領域としての研究である。


757 名前:名無しさん@一本勝ち[sage] 投稿日:2006/01/19(木) 23:57:54 ID:RdTvADUc0
>>731>>733
いや護身には長所が一つあればいいと思うよ
銃器があればどんなに他がヘタレでも相手もビビるって事を考えれば分かるでしょ

護身って事はリングの様にガチガチ何でもさせられるシチュエーションじゃない
寝技が出来なくても護身としては普通に役立つしハイキックが出来なくても十分役立つし
目打ちが下手でもいい突きがあればいいし突きが下手でもいい目打ちができればその場から逃げるだけの隙は出来るし

ちょっと話がずれたが護身としてなら今の総合の様に強くなる必要は無いと思うんだけど違うかな
今の少林寺の技術でも十分いい部分はあると思うよ
いいところはいいと認めた上でそれを今風に発展できたら最高じゃない?


758 名前:名無しさん@一本勝ち[sage] 投稿日:2006/01/20(金) 00:04:26 ID:meKPsTR/0
長所が一つってのはちょっと違った
短期的にはそれで十分使える長所があれば十分って事
リングの技術の様に隙を研究しつくされたら通用しなくてもいい
イザと言う時のほんの一瞬だけ役立つ技術があれば十分と思ってみたりする

774 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/20(金) 01:08:24 ID:XguICAra0
嘉納治五郎は負けるために勝敗の付くやり方を模索したって聞いたことある。
心が折れたら厳しいけど、ルールの勝ち負けにこだわるなよって思う。
他流の試合に出る人も、どこまでいけるかって思ってチャレンジする。
勝つのが目的じゃなく、どの程度のところで負けるのかを知るのが目的。
勝った負けたにこだわるなって言ってる人が一番勝敗にこだわってるよな。

  ルールというのはとても重要です。その後の流派のスタイルを決定してしまうほどのものといってもいいでしょう。
  少林寺拳法には現在、自由攻防を伴った大会は(公式には)無いので、少林寺拳法ルールというものは一般的には存在しません。おかげ様で乱捕り練習の頻度はグググッと低下している現状を迎えてしまいましたが、一部熱心な拳士によるルールに縛られない自由な研究を後押しする結果も生んでいることも間違いではない事実です。

  話は飛んで武道とスポーツの違いは何でしょうか? それはルールの有無です。スポーツの大会では選手宣誓を行っています。「我々は正々堂々と戦い抜くことを誓います」  正々堂々と戦い抜くとはルールを厳守するということです。スポーツの世界とはルールを守らない者はプレーヤとしては認められないからです。サッカーで「相手が手を使ってきたらどうしよう」なんて心配はまったく無用なのです。
  武道には本来ルールというものは無いのです。相手が何をしてくるかはわからないものです。武道の心得がある者かもしれません。武器を持っているかもしれません。相手は一人ではないかもしれません。こういった想定しきれない現実の中でいかに危機管理出来るのかというものです。試合を設けているのは、出来るだけ安全に怖い思いして胆力を養ったり、実力を自覚したりするためなど理由があります。そのため多くの団体が組手試合を行っています。しかし前述の通り固定したルールを持つことは、武道において諸刃の剣といえます。
  乱捕りのルールというものはとても難しいものです。公式に固定してしまうとそのルールに特化した練習に偏ってくることはほぼ間違いありません。それは武道として致命的なことなのです。しかし稽古の中で一時的にルールを設定して取り組むことは大切です。また段階的にルールを厳しくしていくことは有効です。そして
ルールに特化したスタイルであっても、一つのスタイルを持てるということは大切なことです。

  ルールというのはとても重要です。その流派のスタイルを決定してしまうほどのものです。最近私が試合形式の影響がもっとも出ていると感じた団体は剣道でした。
  私も昔やっておりましたが、剣道では見事な打ち込みに対して「一本」として判定します。実はこの時気合が無ければ審判はどんなに綺麗に入っても絶対に「一本」を取ってはくれません。むしろ気合のこもった一撃であれば多少打ち込みに難があっても取ってくれる時があります(ほんとに多少です)。それは気合に審判が押されてついつい取ってしまったとか、気合があまりにも見事なので打ち込みも冴えて見えた、などに起因すると思います。
  私は中学生時代にしか剣道をしておりませんので、もっと上のクラスになるとこのようなことはもしかしたら無い事なのかもしれません。しかし今のところ経験者は結構同意してくれます。
  話を戻して、もしあなたが剣道を想像した時、気合のこもった打ち込みシーンを想像しませんか? 実際にも剣道の稽古において静かな道場など無いのです(たぶん)。道場では、子供から老人まで本当に声が枯れるほどの気合を入れて稽古に励んでいるものです。気合を入れるのは何も試合だけを意識したものであるとは考えてはいませんが、剣道に気合を出せない者など一人もいないことを考えれば、多少なりに試合形式(≒ルールとす)の影響を感じずにいられません。


  実は、少林寺拳法ルールとは「なんでもあり」「後遺症が残らなければ何でもあり」のとする事が多いです。これは護身の場を想定しているからです。しかし法律に触れないように注意しましょう。(2004/06/11 615期生)
【関連・参考】少林寺拳法とルール(格闘技と武道の違い) 試合出て良かった
丸廉-少林寺が弱いと言われるのは仕方ない-