とまた615期生がほざいています。のりのりです。
- 私はよく自分の中に生物屋臭を感じて大丈夫かいと思う。生物屋には生物屋の視点があるのだと思う。
- ビスさんの親友に以前聞かれた事があった。「615さんは生物学を学んでいるそうですが、生物とは何ですか」。その時私は「生物てシステムのことだから〜」という話をした気がする。
- そもそも科学(science)で大切なことは、客観性と再現性であろう。たぶん。
- 客観性は、、、こちらは説明しなくてもと思うが、誰の目から見ても同じ〜ということだな、たぶん。
- 再現性というのは、何度やっても同じ結果が出る、出せるということかな、たぶん。
- そもそも現代科学の根本として因果律がある。
- つまり「物事には理由があって結果がある」ということだ。もぅ少し簡単にいうと、「共通の条件の下では、共通の現象が起こる」となる。たぶん。
- つまりテレビでやってるような超能力や心霊現象は現代科学ではボツだ。
- 物が動いているという「結果」はあるが、その「理由」がいい加減だ。もちろん超能力なんて「理由」としては極弱。糸で釣ってるという「理由」の方がまとも。
- 同じく心霊現象もそう。同一の心霊写真(結果)にゲストごとに異なった「理由」を並べている。どれもこれも因果関係がこじつけだ。
- こんなわけで、超能力や心霊現象は因果律を軽視し過ぎなので非科学的とされやすい。
- 近年、生物学もちゃんと進歩していてゲノム解析なんかが流行っている。ゲノムで系統樹でも作ればなかなかおもろい。
- ゲノム解析による系統樹は、大昔の生物学の成果よりもいくらか科学的に観れる。たぶん。
- だって骨の形が似てるとか、発見された地層・地域が近いなんてのより、DNAの中にある変遷を数値的に見る方が美しい。しかも大きく見れる。
- 似てる似てないで議論していた古典形態学にある人はこう言った。「形態学は愛だ!!」
- でも物理・化学、そして何より数学の人からすれば、ぶっちゃけ生物学が愛の塊と見られてる気がする。
- なんせ生物学の実験では度々、脳内因果律を超越されてしまうからだ。
- 夕方に菌を撒いて翌日見てみると、生えてたり生えてなかったり。おかしいな、同じ培地・同じ菌を同じ温度で……とにかく同じようにしたつもりなのに、結果が違う。ムカムカ
- これを物理・化学などから見れば、「美しくない」と言われる。わかる、わかるよその気持ちぃぃ!!
- 「因果律はどうしたの?」「生物学は本当にサイエンスか?」 なんてツッコミが聞こえるw
- わかってないなー、「生物屋さんは生物のことを研究したい」んだよ。これがわかってない。
- 物理と化学と生物の違いは何かというと、もちろん対象とする「系(system)」が違うわけだな。
- 「系」てのは研究する対象のことだ。対象は必ず有限でないと困るので範囲を絞る必要がある。研究とは所詮どこまで言っても閉鎖系で行われるのが常である。少林寺拳法とルール(格闘技と武道の違い)
- 物理なら極端な話(かつ古典の話で申し訳ないが)、物理公式に見られるように単独の系を取り出して対象とできる。
- 等質量のボールを同じ角度で同じ力を加えれば同じ距離飛ぶ。誰がやっても同じ条件でやれば同じ結果か出る。あぁなんて美しいのだろう。物理学の世界ではこれを式で明確に示せる。ほんと古典の話でスマン。
- 「風が吹いたらどうするの?」「ボールが飛ぶ距離は変わるんじゃないの?」 そんなことを気にしていけない。今は風を考慮していない閉鎖系の話なんだから。
- 化学だって物質Aと物質Bを同じ条件で反応させれば同じ生成物ができる。これも生物から見れば試験管の中などまだまだ単独の系といえる。
- だから多少乱暴だが、生物からすればずっと因果律を律儀に守れる閉鎖系だ。やはりこれも美しい。
- もう一度言おう。生物屋さんは生物のことを研究したいのだ。
- 物理現象は小さな系でもそれは物理現象であろう。
- 化学反応も同様に単一な反応でもそれは化学反応であろう。
- しかし生物は違う。物理現象・化学現象は生体内でも因果律を律儀に守ってくれる。
- しかし生物学において、単一の(小さい)系を独立に見ることはできない。何故なら、単一の系を取り出した瞬間それはもう生物ではない。
- 生物を見れない学問は生物学ではない。生物屋さんは落ち込んでしまう。
- 生物とは何千何万という系をうまーく組み合わせた一つの大きな系であるからだ。
- この何千何万と言う「条件」を毎回すべて一致させることはほんと難しい。
- だから菌が増殖に差が出る。これは単純化に限界のある生物学の宿命かもしれない。
- しかし生物は単一では意味がなく、全体として意味がある。つまり生物とは一つのシステムのことだろう。
- これを見ようとするのが生物屋さんの視点なわけだ。そして私は迂闊にも生物科に入学してしまったw
- 「条件」が毎回違うのに生物は何やかんやと生きている。ここがステキだ。lovelyだね〜
- 環境は常に変わる。一時として留まる事がない。つまり条件は様々に変わる。
- でも生物はちゃっかり生きていく。これを恒常性、ホメオスタシスといい、生物が生物である証。
- ホメオスタシス、これはつまり生きていけるだけの範囲に生体の状態を保つことだ。
- 範囲がある、これが重要ではないかと思う。
- 知らない人もいるみたいだが、生物は生きてるんだよね、実は。機械とはちゃうんよ。
- 多少の条件の違いは誤差の内としてしまう。範囲内であればとりあえず生きていける。
- こう考えると、常に生物は変化を許容し、常に誤差と向き合っているらしい。
- 誤差がある。これこそが生物の弱さであり・強さであり、下手さであり・上手さであり、美しさであると思う。
- だから私は「それもまたよし」とする。まぁなるようにしかならん。
- WWII時のナチスの整備士の優秀さは有名だ。宮崎駿のオタっぽい本で、被弾した戦車の修理に車の部品で何やかんやと動くようにしてしまう話を読んだ。
- 当時はバリバリ機械!! の時代だったからこれができた。現代だと電子機器が多数組み込まれているのでこうはいかないらしい。
- 高精度の近代機器は、過去の機器よりも誤差の許容範囲が狭いのかもしれない。
- 専門化は同一の条件化では高性能を発揮するが、一度「条件」が変わると対応できなくなると言うことが往々にしてある。
- 生物で言えば、誤差を許容しきれず死んじまった訳だな。
- ある環境に高度に適応した生物が、環境の変化でコロッと絶滅することがあるみたいだし。
- 日本各地に残る五重塔には、「浮柱」という固定されていない柱を持つことで耐震性を備えていた。
- 日本の伝統建築は木組みを重ねて耐震性を獲得していた。木組みには「遊び」があるという。おもろい(´∀` )
- 強固過ぎる建築物は地震にむしろ弱いらしい。
- ある科学雑誌にはこうあった。「近頃は何でも清潔にしなければいけないなんて言って抗菌グッズが流行っているがあれはナンセンスだ。菌がいない環境なんてありえない。菌がいないなんて不潔だ。」
- ある有名な研究者が、生物の説明にスタビリティstability,(安定性)ロバストネスrobustness,(頑健性)という言葉を使っていたような気がする。
- スタビリティとは、変化した環境に対する耐性。風が強くてもグラつかず飛び続ける飛行機だな。
- ロバストネスとは、変化に対する順応能力のことを言う。風でグラついてからもまだ飛び続ける能力…みたいな。
- ここには風という誤差が考慮されてはる。
- 開放系では、機械も誤差と向き合わなきゃならんという例えも考えてみれば可笑しい。
- 物事には乱雑に見えるが、見ているとその中にひとつふたつの共通点のようなものが観えてくるときがある。
- サイエンスで言うところの定理・法則・真理・愛みたいなものか。私はそういうのが好きだ。萌える。
- 多少乱雑でないとそれ見えないんだな、これが。差がないと見えない。微分してゼロもこれ。
- Negative control、Positive controlがいるわけ。
- 色即是空・空即是色だな。
- 法形もそういうもんではないかと思う。
- いろんな、例えば、逆小手系の法形が沢山あるから、逆小手の理解がより深まるのだろう。
- また一つ一つの法形にも沢山の法則が含、まれてんだろう。たぶん。
- 中道なんて言葉がよく流行るが、中道しか知らないでどうして中道と認識できるのだろうと疑問に思う。一句道え
- 左右対称、完成された荘厳さを備えた西洋の庭園。それに対して日本庭園は一見すると不均一な作りであるが、それが粗雑ではないことは日本人であれば知っている。
- 2ちゃんねるでは、名無しによる書き込みが許されているから玉石混合なのだと思う。
- 2ちゃんねるからすると他の掲示板は上品過ぎる。私には退屈だ。
- 批判されるのが好きとは言えないが、言われなよりましだ。だから誤差だらけの2ちゃんは実にステキ。
- 少林寺拳法にはもう消化しきれないほどの知識の蓄積がある。
- 整いすぎたがために、観えなくなってしまったものがあるのではないだろうか。
- 2ちゃんでは叩かれまくるり、拳士の中にも疑っている人が多い受、三防受なんてその典型では。
- 自得内証も無しに法形を理解できるのだろうか。軍鶏の喧嘩にもちゃんとダーマはいると思うんだが。
- 現代の法形にはいつまでたっても誤差が許されない。
- まるで、「数学なんか社会では無用」という言葉を耳にしている時の気分だ。
- 数学はあまりにも美しすぎる故に、このような評価を受けてしまうのだと思う。
- 古い先生は仰っていた。「昔は〜上中二連が来たらなんでも突天一で返した。今で言えば逆天一・対天一みたいに受けても突天一と言った。あの頃は法形を変化・応用するのが当たり前だった。」
- 過去の法形にはもっと変化と誤差とそして応用があったのでは無いか。
- そして誤差を許容していたのではないか。
- 生物は美しい。また自然というものは美しい。乱雑なのに美しい。
- 社会は閉鎖系ではない。開放系である社会は常に変動している。
- 上中二連一つ見ても、毎回同じではない。人が変わればこれまた違う。
- 相対とは自他共楽とは開放系を受け入れることだ。
- 少林寺拳法はどうか。変化に対する組織・拳士の意識はどうか。
- 閉鎖系に閉じこもる拳士は、実に勿体無い。どんな護身術だ、どんな禅宗だ。
- 私は乱雑なのが好きなのだ。多少の不快さは調味料よ。
- だから乱捕りが好きだ。ちゃんこ鍋みたいな黙々乱捕りなんて(*´д`*)ハァハァしちゃう。
- ERRORがあるのは当たり前。ERRORを恐れすぎては観えなりゃせんか。
- 「若者は教えられることよりも、刺激されることを欲する」というゲーテの言葉もまた好きだ。
- 私は変化を「所詮は誤差」と許容できる太い幹に憧れている。
- 豊かな枝葉は、確りとした幹から育つだろう。
- 『天道生々只自然。屈伸消長幾千年。人よく体得し無極を楽しまば、また天に先んずべく天に後るべし』(元田永孚)
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