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ルールは意識を浸食する

■ルールと意識
  丸廉では毎回乱捕り稽古のはじめの段階としてウォーミングアップとしてフルコンルールによるライトスパーを行っています。簡単にルールを言えば「上段突無し」のルールですが、このルールに慣れてくると、近間でドンドン殴り合うのが本来やりやすい・有利だ。しかし実際には丸廉ではあまりそういう光景は見かけませんでした。

  特に注意しなくてもほとんどの方は「上段突無しというルール」にも関わらず、上段突を意識した乱捕りを行っているようです。普段からフルコンルールばかりしている人達ではないので特化していない(また慣れきっていない)ということもあると思いますが、やはり少林寺拳法は護身の技術であり上段突が本来あるものという前提が意識の中にあるからではないかと私は考えています。



■キックボクシングの試合における空手家
  こういった風に平素から自分が想定している状況はルールを変えて乱捕り稽古していると、潜在的な刷り込みとなって大きな影響が現れるものではないかと思います。私は空手家とキックボクシンサーとの話で以下のような話を聞いたことがあります。
  キックの試合において転倒した場合、空手出身の選手の方が転倒時に怪我が多いという。空手家はたとえリングの中であっても、頭のどこかに武道家という意識があるため転倒することを大変嫌う。しかしキックボクサーは転倒することに迷いがなく転倒しそうならば素直に転倒するからだ。
 キックの試合では転倒するとレフリーが止めに入ります。追撃を食らうことはありません。にもかかわらず空手家の中には転倒に対する抵抗があるのです。そのためサラッと転ぶキックボクサーよりも不自然な体勢で転んでしまうことがあり、空手出身の選手に怪我が多いというのです。



■乱捕り稽古とルール
  私は乱捕り稽古にルールという概念を持ち込むことが好きです。安全な乱捕り稽古を行うためには、互いにルールを明確化することが安全上重要ですし、ルールによって乱捕り稽古の目的も明確にもできます。特に丸廉のように初めて顔を会わせた者同士ではルールの明確化が絶対に必要です。
初対面同士には(共通の)暗黙のルールというものが無いからです。
 これは初対面同士だけではなく、乱捕り経験の浅い拳士にも同様のことが言えるではないでしょうか。つまり何をしてよいのか、何をしたらよいのかが分からない場合があるのです。ルールを明確にすれば、それはテーマを明確に示すことにも繋がります。
  ですから私はさまざまなルール・制約を考えます。こういったルールネタの中には、「少林寺拳法にそぐわない」という意見を感じるかもしれません。少林寺拳法として不自然なルールというものもあるかもしれません。もちろんそういった場合は改良またはしなければいいのですが、「少林寺拳法にそぐわない」といった心配はさほど必要のないものだと私は考えています。

  上記の通り、平素から持っている意識はどのようなルールで行っても反映されるものだと信じているからです。偏ったルールであっても頻度や程度を調節すれば十分に旨みがあるのではないかと思えます。だからより多くの拳士にも、自分の目的に合わせて
どんどん新しいルールを自分もそして後輩に試してみてはどうでしょうか。駄目ならどんどん改良すればいいのです。こんなルールじゃ、あんなルールじゃと考えているよりはきっとより早く上達できることでしょう。
  慣れてる者同士ならにルールなんて暗黙の了解なんですけどね。



運用法とルール
 運用法ルールというルールがある。2010年段階ではまだ少林寺拳法の技術体系を生かせるとは言いがたいと私は考える。まだまだ模索中といったところだと思う。今後幾度か大きな改正があると信じている。自由攻防のルールはその流派を特徴付けるのに大きな要素となるので、どこの流派でも何十年も試行錯誤をしているんだし、我々だってすぐにこのルールを
オンリーワンと考えるべきではない。それでも運用法が大会であることはたくさん良い影響を出していると信じている。
 丸廉がスタートした時はこのようなものがなかった。故に丸廉レギュラーはどうしたかといえば、他流試合に出ることにした。東京では月一でなんかしらのオープン大会があるからいくらでも出られる。これは大変幸運だ。なにより私が幸運だと思うのは、私達が運用法ルールというものを知らなかったということだ。知識のことではない、意識のことだ。

 私たちは、2ちゃん武道板で他流派交流オフを何度か開いたことがある。その時は様々な人達が来た。ボクシング・テコンドー・日本拳法・フルコンタクト空手・防具空手・中国拳法各派・柔道・合気道、いろいろだ。楽しいんだなこれが。そしてこのメンツでスパーリングをするのである。なんせまったくやってることが違う物同士だからこまる。普段やってるルールも違うし強度もバラバラだ。
 まずは、フルコンルールから始める。これがもっとも導入しやすいルールだからだ。そして次にグループ分けをした。上段攻防あり、組み技、寝技、そしてフルコンルールをそのまま続けるグループ。だいたいこんな分けだったように思う。この時、特徴的なことが起こった。
フルコンの人の内、数名はフルコンルール意外をしなかったのだ。誘ったけども断られた。
 フルコンルールというのは極めて優秀なルールだと思う。ライトにやればいろんな流派の人間が交流できる。また多くの流派で有段者以前に行う安全なルールとして採用されている。そしてハードにやればこれまたそのフルコンタクトの特徴を如何なく発揮する怖いルールでもある。そこにはある一つの方向性として完成度の高さが見える。そのためなのかもしれない、フルコン選手はフルコンルール以外は興味がなかったのではないか。
 これは当然な話である。野球選手がゴルフを遣ることがあっても、野球をやってる時とは真剣さの度合いが異なるだろう。必ず悪く取る人がいるので書いておくけども、フルコン選手の中にはもちろん自分が不得意な顔面攻防グループや組み技グループに積極的に参加する人もいた。要は個人の興味の問題だけどね。でも折角の多流派が集まる場ではちょっと勿体無いなと私が感じたのも事実です。

 私は何をここで書きていのかというと、拳士はルールに縛られてほしくないということだ。「その攻撃は運用法ではん禁止されてますから、いりません」みたいになっては欲しくないのだ。私がいろんな他流派試合でいろんなルールを体験できたのは、運用法ルールが意識になかったからだ。そしていろんなルールでぶちのめされることは大変いい糧となった。できれば、多くの少林寺拳法の拳士にも仲間内でいいからたくさんのルールを経験してほしい。
 ましてや、運用法ルールはまだまだ発展すべきルールであろう。このような段階のルールに若い拳士が浴し過ぎないことを願っているのです。それは自分の技とそして何よりも考えを狭くしてしまう。

 このように考えると、アクティブに動ける環境にある拳士からすれば、自流派に自由攻防ルールなど無いほうが気楽でよかったのかもしれない。と、皮肉なもんだなぁと考える。開放系の技術体系であるべき少林寺拳法において、折角の運用法ルールが足枷にならないことを願っている。どうせなら、有名所のルールを30個くらい集めて、大会当日に、くじ引きで「本日のルール」を決めればいいのに。これなら一つのルールに縛られなくてもいい。審判が大変だけどな。でもそんなぐちぐちゃな内容で三連覇とかしたら、そりゃもんあんた、めちゃくちゃすごいよ。



少林寺拳法とルール(格闘技と武道の違い)
【参考】 試合出て良かった
2ちゃん抜粋 ルールの重要性


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